nagajisの日不定記。
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近頃はキャベツの千切りばかり食べている。焼きそば用に買ってきたキャベツを半分あるいは1/4残してしまってそのまま腐朽させてしまうことが多かったことから思いつきで千切りを試みたのがキッカケといえばキッカケであった。元より千切りは下手だという自負があり試し切りのつもりで試みてみたところ案の定な結果になってしまいそれが残念であったために再度一玉贖ってきたりなどしているうちに泥沼に嵌ってしまったようである。そもそもキャベツを縦に切るべきか横に切るべきかわかっていない。葉の詰り具合いから察するにどちらから切っても同様の仕上がりになるだろうと思われたのだが同様なのはその巾の太いことばかりでちっとも千切りらしいものにはならぬ。どんなに薄くスライスした積りになっても5mm巾1cm巾のが出てきて仕舞う。かつくらの千切りとまでは言わないけれどももう少し細い千切りらしい千切りが食べたいものだ。
そういう話を某所でしたところスライサーを使うが吉とアドバイスされた。なるほどスライサーならどんなに手抜きしても細くなるであろう。元来この手の省力機器は使いたがらない質であるのだが千切り欲に負けて我を折り100円ショップでそれを求めてきた。確かにスライサーで作った千切りは多少千切りらしく見え食感も悪くはない。某としながら手を動かしてもそれなりの細さの千切りが積み上がっていくのはある種の快感である。
今日などはコンビニでキャベツの千切りが売られているのを発見してしまい食後であるにも関わらず購入してしまった。流石に製品として売られているだけの細さであり食感も手製のそれを数段凌駕している。一袋150gで88円というのは少々高いかも知らぬが千切り欲を満たすには悪くない額と思われた。しかしかの千切り欲のうちには自身で作りたいという欲も含まれているわけでそれを放擲し既製品を贖ってしまうことには些かの敗北感がつきまとわざるを得ない。それはスライサーに逃避した際に感じた敗北感を軌を一にしてなおかつ大きい。包丁一本でここまで細く作れたならばどんなに快哉であるだろう。聞けばキャベツの葉を剥がし折りたたんでから咲々と切るのが最も丁寧な作り方という。そうやって手間をかけて作ることが即ち王道であるには違いない。ただその手間と現在抱えている千切り欲との天秤が釣合わないらしく中々試せずにいる。食したいだけの量の千切りをその方法で作り終える頃には疲弊して食欲が失せてしまうように思われるのだ。あるいは千切り欲の構成成分のうちの切りたい欲だけが大いに満たされ食したい欲が隅に押しやられてしまった絵面が思い浮かぶ。切るだけ切って食わないのは勿体無いしキャベツが可哀想でもある。最近ようやく安くなってきたとはいえ一玉200円とか300円とかを無駄にするのはやはり忍びないではないか。人倫に悖ると迄は行かないにしても不調法であるだろう。
そうして不思議なことにいくら切っても食しても千切り欲は満たされない。ひとたび満腹しても翌日にはまたキャベツを手にしている自分がいる。キャベツに取り憑かれたのであろうか、このまま行けば業務用の、それこそかつくらやコンビニのキャベツの千切りを製造しておる機械を買ってしまうのでないかと慄いたりしないでもないのであるがしかしその手のスライサーがどこで売られているのかを今の私は知らないのが幸いである。検索して探す気にも今のところはなっていない。悪魔の囁き的な不意打ちの広告とか余計なお世話の耳打ちとかがない限りはそんな極北まで行くこともないだろうと思う。所詮キャベツはキャベツなのである。栄養価が特段高いわけでも箆棒に安いわけでもないのである。業務用スライサーを買って来る位なら包丁技術を磨く方が先であり自身の実にもなるであろう。と自分に言い聞かせて予防線を張っておく。たかがキャベツの千切りの話に千五百数十文字も費やして愚駄愚駄書き連ねておるのもある意味そんな予防線の積りなのかも知れない。
ついでに書き添えておくがそれだけ大量にキャベツを食しているにも関わらず体調頗る良しという結果にはなっておらぬ。もう少し健康体になれるものかと思っていたがそういう効果はないようだ。お通じが良くなったわけでもない。案外である。
千切り欲ってなんやねん。と読み進めて思ったが、読み切ってnagajisらしさ全開で安心した。<br>キャベツは胃に優しいらしいから、心配無く食べるのが吉。マヨネーズだけじゃなくソースやドレッシングでもいけるしな。<br>いざとなったらお好み焼きに入れてしまえるし。などと書いたところで古坂や愛宕山のを思い出した。あの頃は色々とぬるかったし、色々な意味で良かった(苦笑)
にんげんってそんなにかんたんにかわらんものらしいよ(はーと