nagajisの日不定記。
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四時半起床し直に朝食をとり五時三十分集合したれども、雨のため相撲中止となり明日に延期す。金曜日の授業ありき。防毒面及び飯爨〔盒〕を個人に渡され記名す。夜の行事は明日に同じなりき。中期も今や四分の三を過ぎたり。又期末考査もそろヽ近づきたるにより、いよヽ奮励努力するべき日となりたり。冬休暇も近日にせまる。いよヽ中期の残りを有意義に過さん。
たまヽ小雨あり。授業も十分と身が入らずに愈〃待望の剣術大会とはなりぬ。十三時より開始。二年も総当り試合にていずれも運動班に関係するものなりき。我は一本を得るのみ。やはり練習不足がものを云い攻撃精神に欠けたり。成績は二・三年合せて第一が一 第四が二 第二が三 第六が四、第五が五 第三は六なりき。特に之は二年の我等に罪あるものにして各人が努力せざりし故なり。二年の成績 一-63 二ー62 三-43 四-51 五-43 六-53 一訓は熱心なる練習の賜なり。反省。〔欄外朱:「子等は之に劣りしか」〕 十六時半より会食をなす。以後普通なり。
実力より常の努力大切なれ
あんたのために作ってるんじゃないんだからねっ。と慣れない書き方を試してみよう。聞きかじりのbuzzwordなのが残念だが。ホントに聞きかじりだからなっ。
この日nagajisは大変面倒臭い人になった。
証拠その一。「ぱ・る・る」と「廃道」の似つかわしくなさといったら。
証拠その二。8110えんでないことには突っ込まないでいただきたい。
申し込みから口座開設までに家と郵便局を二度往復するような長い長い紆余曲折があったのだが割愛させていただこう。そもそも何か大きな間違いをしているが、作ってしまった以上は後に引けない。というか作った後に気がついて凹んだ。
その日のうちに別所で振替口座の開設をし直した。この日のために作っておいた団体規約、あっさり受理されたかに見えたが、後日電話がかかってきた。「「編集部」という名称だと1人である可能性もあるので
団体と認められない」そうだ。なぜORJの現状を知っている郵便局。どうするORJ。しかし例示された修正案「日本の廃道研究会」では余りにも締まりがないし、何だかnagajisの生態を遠巻きに観察する会みたようでちょっと違う。そもそもそんな会は嫌だし非観察者たるnagajisが加入できない。
そのうえ郵便局からの帰りに唯一の身分証明書である健康保険証を落としてしまって激しく激しく凹む。恐らくその凹みは地球を貫いてチリメキシコまで達していたに違いない。アディオス、おれの身分。たった一枚のカードでしか存在を証明できない儚い存在・nagajis。
「今すぐ購入」がわかりにくいので、通常のアカウント方式で買うボタン「アカウント購入」(要はタイトルやサムネをクリックした時と同じリンク)を設置したうえで「お試し購入」に変更。でログインしている時には「お試し購入」ボタンを消す。そういう配慮が足りないよね>ORJ
いっぱい番号抜けてるなあ。
会議の最後で財政問題が取り上げられた。かなり逼迫していると。原因はいろいろある。今年から学会誌の印刷を業者に丸々委託したこと(以前は製本だけお願いしていたが、手間が掛かりすぎるので全委託とした)、幹事会の会場費がかかるようになったこと(一回数千円なので年間万単位になる)、大会で講師謝礼が発生したりしたこと等々が重なって、とのことだった。サイトの維持費も地味にのしかかっている模様。
もともとうちは寄り合い所帯の小さな学会なので、あれやこれやを手弁当で済ませている。見学会の前には必ず下見に行かれているのだが、その費用は見学会担当の先生が被っているし、幹事会の出席にかかる電車代、資料印刷代、その他裏方作業はみな持ち出しだったりする。 人件費など二の次三の次な話だ。 個々にかかる¥はそれほどでないにせよ、積もり積もって結構な負担になっているのではないか。
何十万も不足するわけではないのだが、足を出さないようにすべきなことは言うまでもないことで、これまでも様々涙ぐましい努力が続けられてきた。レターの発行を隔月にしたりだとか、学会誌を高めの値段設定にしているとか。その上でさらに歳入を増やさなければならないとなった時、意外と途がないことを思い知らされて、途方に暮れている。会費を値上げするのもどうかと思うし(そもそも年間3000えんなんて破格の安さだと思うのだが、参加しやすさ継続のしやすさを犠牲にするわけにはいかない。ただでさえ人数が少ないのだから)。
ほかに削減できる経費といえば、学会のサーバ・ドメインの移管か。例えばxxxx辺りに移せば年間ん万円浮かすことができ、以前に一度相談したことがあるような気もするが、確か法人契約でなければならないという制約があり(以前個人契約でちょっとした失敗があったため)、それがネックになっている。法人契約できるところはどこも同じような出費になるとのことだった。正直なところ今のサーバがよいとは決して思えない。いまどき数十MBしか使えず、cgiがcgi-bin以下でしか動かせないのは時代錯誤も甚だしい。そこは費用対効果を取って個人契約で安いところに移した方がいいのではないだろうか・・・・・・。そうしたらもうちょっと使い手のあるサイトにできるだろうし、しようという気力も沸くんじゃないかしらん。管理者がこんなことを言ったら怒られるかも知れないが。
この問題は、残念ながら会員を増やしたら解決するものでもないらしい。会員増だけで解決しようとすると、たぶん2倍以上に増やさないといけない。会員が増えればその分作業の手間が増え、担当の先生の手を煩わせることにもなる。大学が独立行政法人化してより先生の忙しさは二倍増三倍増している。手の空いている自分ができればいいのだろうけれども、印刷だとか封だとか、印刷会社のツテだとかは大学の先生でなければ勤まらないだろうことは容易く想像される。
収入の悩みはORJにも通じるところがある。貧しいからといって一号価格をあげると買ってくれる人が減る(安いから読んでもらっているという側面が大きいと理解している)。よほどのことがない限り値上げできない。かといって貧困を抜本解決できるような臨時収入の途はないに等しい。アイテムやバックナンバーCDなんて利潤度外視・赤が出なければ恩の字で売っているのだ。ちゃんとした企業なら、値上げでどれだけ収入が増え、どれだけ部数が減るか、リサーチで計ることができるのだろうが、現状では読み間違えない自信などこれっぽっちもないのである。
昨日の残り物とたっぷり野菜のスープ。卵は目玉焼きにした。
夕食は牛肉。「ナガジスのくせになまいきだ」と言われるのが目に見えているので写真は載せない。それぐらいの思慮ーーー自分よりも惨めな人間を設定していないと生きていけない可哀想な人がこの世には存在するので惨め役をやってやろうというボランティア精神ーーはある。
立派なカレイの煮付けを頂いたので推し戴くようにしてイタダク。26晩のさつまいもご飯を、やっと消費し尽くした。
カレイの煮付けは言わずもがなの旨さ。やや濃い目でご飯がすすむ。しかし今日の主題はピンの当たっているほうである。自前で用意した里芋の煮っ転がしのようなもの。レシピではさつまいもだけを使うことになっていて、それがちょっと寂しく思えたため、にんじん、しいたけ、これまた頂きものの筍を加えてみた。最初に砂糖、次にめんつゆ、最後にしょうゆを加えて煮通す。 薄味なのでいくらでも食べられる。
白いのは簡単白和え。 本来は豆腐の水切りをよくしなければならないそうだが、乾燥ワカメを乾燥のままぶちこんで混ぜれば水分を吸ってくれると教わった。
味付けは味噌、砂糖。1丁につき即席味噌1袋、砂糖小さじ2くらいが目安。塩ゆでしたオクラを加えるのが本来のレシピだが、手に入りにくい昨今、わざわざそのために買うのも何だかなあということで道を外れた。余っていたニラをさっと湯通して加えてみた。
味はバッチリ。ニラの香味もよい。しかしちょっとシャバシャバ気味。もう少し水切りするか、ワカメの量を増やしたほうが良かったかもしれない。
掲示板で直父さんに教わっていた刻印を見に行く。三光神社側から墓地に降りていく階段の、框に相当する所に使われていた。摩耗もせずによく残っていたものだ。
同じ並びに漢数字の一四?らしき刻印煉瓦と、
三ツ矢なのか三線なのか見分けづらい刻印があった。この組み合わせは初めてだ(そもそも桜マークを見たことがない私だ)。ちょっとした特異点であるかも知れない。 框に連続して煉瓦製の境界壁があったが平が露出していないため刻印を確認すること能わず。読み解くヒントはやはり「漢数字」か。漢数字だけならいくつか例がある。
軍人墓地の周縁部を一回りして、西辺〜北西辺にかけて煉瓦が散乱しているのを確認した。手成形のものが多く、かつ刻印の種類が多い。★、キシレン、大阪窯業、六稜星、丹治(小)・・・。あまりにバラエティ豊かなので、軍人墓地の建設、あるいは墓地の建造物に使われてたものというよりも、墓地周辺から持ち込まれた瓦礫のように思われた(桜四も当初からの構造物かどうか)。ただし刻印の年代は軍人墓地のできた頃とそれほど離れていないはずだ。
この大阪窯業の刻印、珍しく綺麗に押されている。手成形である。
順番は前後するが kousenさんに教わった物件にも行ってみた。大阪砲兵工廠の荷揚門の下に煉瓦混じりの瓦礫があるという情報だ。
探してみると、数字の2が刻印された煉瓦を発見。他に「13」もあった。他には日本煉瓦、キシレンなど。ここも同一出処の瓦礫ではない感じ。
「2」の書体、どっかで覚えがあるぞ・・・と思ったら、堺市の外れで見つけた起拱石風煉瓦の刻印と似ている。しかしこんなに小さくはなかった。
大阪城公園の北西隅に残っている理化学棟?周辺の煉瓦には刻印が見られず。確かここは大正半ばに作られた施設だったはず。
ホームの構造物でここをヒンジにしているのは初めて見た。どういう狙いがあるのだろう? しかも古レールをヘアピン状に曲げて作ってある。面白い。
近頃はキャベツの千切りばかり食べている。焼きそば用に買ってきたキャベツを半分あるいは1/4残してしまってそのまま腐朽させてしまうことが多かったことから思いつきで千切りを試みたのがキッカケといえばキッカケであった。元より千切りは下手だという自負があり試し切りのつもりで試みてみたところ案の定な結果になってしまいそれが残念であったために再度一玉贖ってきたりなどしているうちに泥沼に嵌ってしまったようである。そもそもキャベツを縦に切るべきか横に切るべきかわかっていない。葉の詰り具合いから察するにどちらから切っても同様の仕上がりになるだろうと思われたのだが同様なのはその巾の太いことばかりでちっとも千切りらしいものにはならぬ。どんなに薄くスライスした積りになっても5mm巾1cm巾のが出てきて仕舞う。かつくらの千切りとまでは言わないけれどももう少し細い千切りらしい千切りが食べたいものだ。
そういう話を某所でしたところスライサーを使うが吉とアドバイスされた。なるほどスライサーならどんなに手抜きしても細くなるであろう。元来この手の省力機器は使いたがらない質であるのだが千切り欲に負けて我を折り100円ショップでそれを求めてきた。確かにスライサーで作った千切りは多少千切りらしく見え食感も悪くはない。某としながら手を動かしてもそれなりの細さの千切りが積み上がっていくのはある種の快感である。
今日などはコンビニでキャベツの千切りが売られているのを発見してしまい食後であるにも関わらず購入してしまった。流石に製品として売られているだけの細さであり食感も手製のそれを数段凌駕している。一袋150gで88円というのは少々高いかも知らぬが千切り欲を満たすには悪くない額と思われた。しかしかの千切り欲のうちには自身で作りたいという欲も含まれているわけでそれを放擲し既製品を贖ってしまうことには些かの敗北感がつきまとわざるを得ない。それはスライサーに逃避した際に感じた敗北感を軌を一にしてなおかつ大きい。包丁一本でここまで細く作れたならばどんなに快哉であるだろう。聞けばキャベツの葉を剥がし折りたたんでから咲々と切るのが最も丁寧な作り方という。そうやって手間をかけて作ることが即ち王道であるには違いない。ただその手間と現在抱えている千切り欲との天秤が釣合わないらしく中々試せずにいる。食したいだけの量の千切りをその方法で作り終える頃には疲弊して食欲が失せてしまうように思われるのだ。あるいは千切り欲の構成成分のうちの切りたい欲だけが大いに満たされ食したい欲が隅に押しやられてしまった絵面が思い浮かぶ。切るだけ切って食わないのは勿体無いしキャベツが可哀想でもある。最近ようやく安くなってきたとはいえ一玉200円とか300円とかを無駄にするのはやはり忍びないではないか。人倫に悖ると迄は行かないにしても不調法であるだろう。
そうして不思議なことにいくら切っても食しても千切り欲は満たされない。ひとたび満腹しても翌日にはまたキャベツを手にしている自分がいる。キャベツに取り憑かれたのであろうか、このまま行けば業務用の、それこそかつくらやコンビニのキャベツの千切りを製造しておる機械を買ってしまうのでないかと慄いたりしないでもないのであるがしかしその手のスライサーがどこで売られているのかを今の私は知らないのが幸いである。検索して探す気にも今のところはなっていない。悪魔の囁き的な不意打ちの広告とか余計なお世話の耳打ちとかがない限りはそんな極北まで行くこともないだろうと思う。所詮キャベツはキャベツなのである。栄養価が特段高いわけでも箆棒に安いわけでもないのである。業務用スライサーを買って来る位なら包丁技術を磨く方が先であり自身の実にもなるであろう。と自分に言い聞かせて予防線を張っておく。たかがキャベツの千切りの話に千五百数十文字も費やして愚駄愚駄書き連ねておるのもある意味そんな予防線の積りなのかも知れない。
ついでに書き添えておくがそれだけ大量にキャベツを食しているにも関わらず体調頗る良しという結果にはなっておらぬ。もう少し健康体になれるものかと思っていたがそういう効果はないようだ。お通じが良くなったわけでもない。案外である。
断面。見れば見るほど均一である。砂粒さえ見えない。
明治10年内国博覧会出品解説なんかを見ると、芝口1丁目の林七兵衛の工場などは荒木田土を掘って乾かして砕いて粉末にして水加えて練って成形して焼く、とあって砂を加える工程がない。たぶん千葉県の長浦村の鈴木門四郎出品品も同様。確か明治10年発行の東京府勧業課雑誌(4)でも当府下某氏の製造法として砂を加えないで作る手順が説明されている。ほんとうに土だけで作ったらしく読める。
明治後半の専門書、例えば「応用土木工学」(M31発行)では「粘土及び砂を混合して之を焼きたるもの」ってある。現今東京で焼きたるものは土8分砂2分とも書いてある。2分も入ってねえよなあ、これ。だからといってこれが古い煉瓦だと主張したいわけじゃなく、砂を使わない煉瓦、という発想がなかったものだからとても新鮮なことに思えたのでメモしておく。
砂を加えないと強く収縮してしまい煉瓦が歪んでしまいやすい。事実この煉瓦は小口が焼き過ぎに焼かれていて一部ガラス化しているほどだ。してその小口だけがキュッと細くなっている。砂を含まない素材で強く焼いたために歪んだのだろう。なお長手や平には取り砂がいっぱいついている。この砂も大変目の細かなやつである。
しっかしまあ、見れば見るほどきたねえな、スキャナのガラス・・・
この煉瓦に関する覚書:長手縁が鈍っている。わざと面取りしたかのよう。関西の手成形煉瓦は基本的にエッジが立っている。>例の小さなくるくる回る台に乗せて形を整える工程と関係する?
長手縁の一つに粘土を盛り足した痕跡。型枠の隅まで粘土が行き渡っていないまま抜いてしまってその後に粘土を足しているように見える。平の縁が若干めくれていて盛り足し粘土はそのめくれを埋めるようにつけてある。この平をなでて整えてめくれたところに足してある。てことはこっちが裏か。表なら詰める段階で気づくはず。
破断面にも若干モルタルがついている>割った煉瓦を端揃えのために使ったか。ちょうど半枡な大きさだしな。
断面には意外とスがはいってる。粘土の質は均一だが空隙がないわけではない。多いというほど多くはない。これは、そんなものか・・・
平がたいへんきれいに撫でられている。関西の煉瓦には撫で板の筋状の跡がつくのが普通<砂粒が多いせいか?
長手の仕上げもきれいだがわずかに粘土粒の付着あり。乾燥前にこの面を下にして置いたと見える。
小口の上下を四本指で掴んだ跡がある?そう掴んだ時の下面に粘土粒。
他の煉瓦をもっと凝視してちぇっくしておくべきだったなあ。
_ マフラー巻き [いや、それ重大だから。ちゃんと警察に遺失物届出しときなさい。 名簿上の必要があれば名は貸すぞっと思ったけど、無事に通帳できたのね。 おめでとう。CD早く発売汁。]