nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
探検隊に参加させていただいて、「日本遺産」という概念の理解の仕方が甘かったなあと反省させられるところがあった。「日本遺産」とは日本全国に誇ることのできる地域特有の歴史、その切り口なり丸め方なり、あるいは絵巻物仕立てのストーリーとでもいうか、そんな抽象的なものが認定されるのであって、モノが認定されるのではない。モノはあくまでも日本遺産を構成する要素。例えば中芸地区の場合は「森林鉄道から日本一のゆずロードへ」と題されたストーリーが日本遺産に認定され、魚梁瀬森林鉄道はそのストーリーを構成する要素でしかない。魚梁瀬森林鉄道が日本遺産に認定された、ちう言い方をすると間違いになる。その存在だけが価値あるものと認められたわけではないので。これは素直に反省せねばならない。間違いなくどっかで間違えている。あれ。間違いなのか間違いないのかどっちだ。
「森林鉄道から日本一のゆずロードへ」。西日本最大の森林鉄道網が発達し、林業が盛んに行なわれていた時代があって、林業は衰退してしまったけれども、それに代わる新たな産業として柚子生産への切り替えに成功、かつて木材が運ばれていった道々が今は柚子を運ぶ道に生まれ変わり、山々には柚子の香が漂っている。そういう地域性歴史性が特異であって(林業衰退から立ち直れないでいる地域が多い中で産業転換に成功した例)、それを端的に物語るオハナシなんじゃないかということで認定されたわけだ。柚子生産の始まりに中岡慎太郎も関わっているから中岡慎太郎の生家もこの日本遺産の構成要素になっている。
上記のような定義がらみのことは正直煩わしいとは思うけれども、日本遺産という考え方自体独特なところがあり、その独特性を維持し活用するためには逆にそのへんのことを徹底していかないといけないのだと思う。立ち上がって間もない今は特に。でないと「インターネットを買う」とか「ギガ数が足りない」とかいう語が出現して幅を利かせることになる。「日本遺産魚梁瀬森林鉄道」に違和感を覚えないといけない。その点上のバナーは偶然かろうじて間違いでないんじゃないかしらん。
その観点に立ってストーリーを見直してみれば「森林鉄道」と「柚子」がくっついていることに違和感を覚えなくなる。どちらもその地域を物語る上で欠かせない歴史であり林業→新規産業創出に成功→現在という流れで繋がっていることになる。むしろそういう定義でもしないと地域の歴史を端的なストーリーにまとめられないだろうとさえ思う。歴史がそういうもの---個々の出来事が勝手に興って消えていったの繰り返しってわけじゃない。離散関数なんではなくて連続関数もしくはフーリエ級数の個々項みたいなもん---なんだから。
「世界遺産」と対にして考えてしまいがち、そういうミスリードを誘う名称であることは否めないかな。世界遺産はモノやモノの集まりが認定される(無論その背後にある歴史性も重要視されるけれどもその歴史が認定されるわけではない)。世界遺産・アンコールワット遺跡というモノは存在するわけで、それを先入観として「日本遺産:(なんちゃらかんちゃらなモノ)」を予測してしまう。先読み判断は人間の賢い証なんでそれを駄目だとは言わないが、もちょっとすんなり先読めるような仕掛けというか言葉の選択かができなかったもんだろーかなあ。どこもいまそれで頭を悩ませているようにお見受けするが。
日本遺産は活用して地域活性化につなげることを目的としている、と文化庁自身が宣っている。要するにこれでジェンジェコ稼ぎましょ、ということ(「ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。」)。世界遺産だって本来はその目的で出来たもんじゃなかったけか(今もか)。文化財を埋もれさせたり死蔵したりするよりは、使って経済が回るようになるほうがはるかによい。何よりそれで地方に活力が出てくるのであれば歓迎しちゃう。清貧を貫いて死んだって、誰も褒めそやしてはくれないのだよこのご時世じゃ。
むしろそうだ、消費者のほうがこれを賢く利用すべきだな。今度どこそこに行くんだけど、なんか面白いものない? みたいな愚問をする前に、その地域の日本遺産を読んでみれば、その地域が特に推しているものがわかるうえに地域の歴史も大づかみできて旅が楽しくなる。中芸へ行って柚子土産を買っただけで帰っちゃったりしなくてすむわけだ。