nagajisの日不定記。
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なるほど、彼らが私を呼んでいたのか…。
9時過ぎに武田尾に着いて、廃線敷に辿り着いたのが15時とは、どういうわけだ。我ながら馬鹿げた本願を抱いたものだ。しかしそのおかげで最古のレールに出会えたわけで。このレールが現役だった頃西郷どんも大久保卿も生きていた。そう考えると感慨も一入だ。
DARLINGTON IRONのは71や73も存在する。錆び尽くしてダメだこりゃと思えるものも、裏を見たら意外と綺麗に残っていたりした。水平材は腐っていることが多いみたいだが何しろ数があるお陰で状態のいいものを見つけられる。
それにもまして謎なのが、DARLINGTON IRON CO LIMD 73 IRJの平底レールがあったことだ。その頃は双頭なんじゃないのか。
→京都大阪間は平底であったらしい。その後逢坂山隧道の辺りは再び双頭レールになって、それが最後だそうだ。確かにCAMMELLのと思われる1878も存在した。てことはこの鉄柵には関西地方の鉄道建設黎明期のレールが全部揃っていることになるな。官営八幡の1903も一本こっそり混じっていたからさらに話は広がりまくりんぐ。ただし平底レールの大半はCAMMELL・ILLINOISの阪鶴納入レール1896-1897、関西鉄道KTK(Wいくつやっけ)、大阪鉄道OTK 1888~1889とかなのでずいぶん幅がある。加えて官営八幡の1910年代のも混じっている。相当幅があるのはどうしてだろう?
実物を見たい人はこの送水管の高さまで登ればよい。
もしくは武田尾バス停の背後のここ。
長尾山第二隧道前のゲロ藪に塗れたものと第二隧道出口脇の沢の柵はパスし、親水公園の付近のものを1/3ほど調べたところでタイムアップ。つうか武田尾駅からここまで鉄柵は全部双頭レールを使ってあるのだな。