nagajisの日不定記。
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記事にするのはもっと先になると思われるのでメモ書きを残す。双頭レールが使われているのは武田尾駅〜最初のトンネルの間に2個所、第一・第二隧道の間に1個所、第2隧道の先(桜の園)に最長の柵、そして武庫川第二橋梁の前。それから第二橋梁の先の隧道を抜けた所に双頭レールだけで作った朽ちた柵がある。野田尾の区間はホッパーの前の4基のうちの一つとその手前の沢の柵。野田尾Tと次のTの間はまだ確認できていないのでここを終えてからまとめるつもり。下のほうは平底レールで作ってあり、藪まみれ&C基礎の上なので飛ばした。ここに古いものが使われていないわけではなくIllinoisの阪鶴レールや1922のBSCoとかある。余裕があれば調べてみたいがハイカーの視線を浴びまくること必至だし藪が面倒だしでちょっと辛い。阿草の柵に官営八幡1903があったようにここにソレ系が混ざっている可能性もなきにしもあらずだ。しかし可能性から言えば双頭レール使用柵のほうが明らかに古く、面白いものが見つかるようである。
古レール柵を探していると、柵があるだろう高さの藪の中に見上げるような高さの擁壁が築かれているのを何度も見た。コンクリート製のものもあれば石積み+コンクリ目地のもある。第二橋梁以下右岸をゆく区間などは特にこの高擁壁が多い。実はその擁壁の中にレール柵が埋まってたりするんじゃないだろうかと思ってみたりした。使い分ける基準がはっきりしない。傾斜がきつい=崩れやすいから擁壁でがっつり固めているかと思ったりもしたがレール柵のある場所の傾斜とさほど変わらない気もする。岩勝ちであるか否かかも知れないな。
それにしてもIllinois/Carnegieの阪鶴レールの多いこと多いこと。使ってあるレールはまっすぐだからそのようなレールを流用したはずだが、あんだけ曲がりくねった阪鶴鉄道線上にそんなに直線区間があったっけ?と思ったりしないでもない。まあ、全部足しても1kmにもならないか>柵のレール。ともかくHANKAKU銘は見飽きるほどもあるが、数多く確認できたということはそれだけ錆びにくい良質のレールだったということかも知れぬ。Illinoisのは1897年10月もしくは1898年1月のばかり。Carnegieはほぼ100%1896年9月製。
そういやNTKやSTK、KTKは武田尾区間ではほとんど見なかった。微妙に分布が均等でないのは興味深い。