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2018-05-14 [長年日記]

[古レール][] Dowlais Ironworks

https://www.gracesguide.co.uk/Dowlais_Ironworks

ウェールズ・マーサー・ティドビルの主要な鉄工所。同地4大工場の1@19th century。他はCyfarthfa、Plymouth、Penydarren Ironworks。

1759
Thomas Lewis、Thomas Price、Richard Jenkins、Thomas Harris、John Curtis、Nathaniel Webb、John Jones、Isaac Wilkinson、Edward Blakeaway の9メンバーのパートナーシップにより設立。Merthyr Tydfilの近く。南ウェールズで2番めとなる石炭燃料の溶鉱炉だった。
1767
John Guestが同工場のマネージャーに指名される。彼はLewisの資産から(所有する土地から?)石炭を発見し製錬に使っていた木炭を置き換えた。
1782
John Guestはルイスとセールスマン・ William Taitt(後に彼の義理の息子になる)とビジネスパートナーになる。
1787
Thomas Guestが父親の跡を継ぐ。
1795
Dowlaisでは1753年ころから蒸気機関の要求(claims of steam power)があったが、1795年に高炉を吹くために蒸気機関を導入したのはThomasだったと考えられている。
1815
Johnの孫、John Josiah Guestがこの工場を管理していた頃、同社は世界最大の製鉄・製鋼会社(iron and steel producer)(といわれた)
1816
大きな争議。
1816
工場はレール製造の契約のお蔭で成功を収めた。鉄道が急速に発達しレール需要がますます増加したので。
この頃Dowlais Iron Co取引していたパートナー:Josiah John Guest、Wyndham Lewis、William Price Lewis、Thomas Hevel Guest
1824
Guest Lewis and Coは年間15,000トンを生産。
1839
DowlaisにIfor Worksを建設、既存の工場を拡張。
1845
7,300人を雇用、18の炉で毎年89,000トンの鉄(iron)を生産。
1848
William Price Lewis死去。彼はDowlaisの5分の16を所有し、彼の財産を彼の甥William Wyndham Lewisに残したが、意志の正確な意味が法廷で解決されるまでに数年かかった。
1851
Dowlais Iron Co, Guest, Lewis and Co, and Guest and Co,の商号・ファーム下でのSir John Josiah Guest と Edwin John Hutchins(製鉄家・採鉱家・ Dowlaisの商人)の間のパートナーシップが解消される。
1852
John Josiah Guestは、妻のLady Charlotte GuestによりDowlais Worksの管理を手伝われてた。John Josiah Guestの死によって、工場は彼の管財人であるGT ClarkとHenry Austin Bruce、1st Baron Aberdareによって管理される。
1850s
ベッセマープロセスライセンスの組織(に加入?)
1857までに
世界で最も強力な圧延機(rolling mill)を建造。
1850s
この頃使用していたエンジン。
ビームブローイングエンジン(beam blowing engine):空気圧シリンダー直径144インチ、ストローク12フィート
蒸気シリンダ(The steam cylinder):ストローク13フィート、ボア55インチ
エンジンは60psiの蒸気で650 HPを発生。20rpm。
エンジンとベッドプレートの重量:約300トン 以上1851年建造
圧延機(pair of rolling mill):24 rpmで約1000 HPを発生、重量約1000トン
直径45インチのシリンダー、ストローク10フィートビーム(高さ24フィートのの8つの鋳鉄製支柱で支えられる) 以上1857年建造
ブローエンジンと圧延機のエンジンのシリンダーはPerran Foundry社が鋳造、他のすべての部品はDowlais Iron Works社製。
1859
ペニーダーレン製鉄所(Penydarren Ironworks)の鉱床を購入
1865
最初のベッセマー鋼を製造。早い段階に鋼製造に転換したお陰で1930年代まで生き残ることができた(近くの Cyfarthfa Ironworks はそうでなかったので消滅)。
1869
70トンというモンスター級の鋳鉄塊を製造。スチームハンマー製造用に。真夜中から鋳型に注ぎ始め、翌日午後三時までかかった。熔解状態が12時間持続し完全に冷めるまで12-14日かかった
1882
Edward Pritchard Martin がジェネラルマネージャーに就任。彼は以降20年間その座に就いた。省力化機械(labour-saving machinery)を導入。
1882
Thomas F. Harvey が再生熱風ストーブ(Regenerative Hot Blast Stoves)を設計。
1888
同地で新しい工場を建設。
1888
Cardiff MoorsにDowlais-Cardiff Works設立。
1891
2月に二つの高炉(blast-furnaces)が稼働を始める。ふっ飛ばしたんじゃないよね。
1895
製鉄所(The steel works)と板圧延機(plate mills)が稼働を始める.製紙工場じゃねえよな。
1898
この年にG. T. Clarkが死去するとJohn Josiah's son, Ivor Bertie Guest, 1st Baron Wimborneが工場経営に積極的になった(became active in the management of the works)が彼は他の興味に気を取られた。彼は1899年にArthur Keenのアプローチに応える。
1900
6月9日 Dowlais Iron CompanyとGuest and Co(どっちもLord Wimborneの影響下にあった工場)がPatent Nut and Bolt Coと合併。 Patent Nut and Bolt CoはArthur Keenの所有。んで Guest, Keen and Coが設立される。この合併に因るKeenの会社は石炭と製鉄(iron upplies)を得、製品種を多様化させた。
1912
英国王ジョージV世ととメアリー・メアリーが訪問。
1926
7月8日 Dowlais-Cardiff Steel Works の元マネジャー・Mr James Thomas死去。
1930
GKN(かつてGuest,Keen,Nettlefoldsという名で知られていたエンジニアリング会社、産業革命期の1759年に創業)と Baldwins(1902創業の製鉄・製鋼業、石炭鉄商)の鉄・鋼部門を統合して新しい会社、British (Guest Keen, Baldwins) Iron and Steel Co が設立される。GKN は統合会社にDowlais Iron and Steel Worksを供出(contributed Dowlais Iron and Steel Works amongst other units)。
1935
Dowlais worksは余剰(redundant)になる。
1936
鉄製造を終える。East MoorsのCardiffのドックに隣接して新しい鉄・鋼製造所が建設される。この鋳造・工作工場は 地元では"Ivor Works"として知られた。 after Ivor Bertie Guest, son of John Josiah Guest。
1937
Dowlaisに残っていた高炉の一つは銑鉄不足に対応して操業に復帰。Dowlaisは1929年に閉鎖するまで170年間銑鉄を作っていた。
after WW2
第二次世界大戦後に新しい工場が建設される。Dowlais Foundry and Engineering Companyの名で数年間操業。
1951
British (Guest Keen, Baldwins) Iron and Steel Co 、鉄鋼法の下で国有化、国営企業Iron and Steel Corporation of Great Britainの一員となる。
1954
一貫製造(the whole production chain)を達成するため GKN はGuest Keen Iron and Steel Co をHolding and Realisation Agencyから再取得する.
1967
Dowlais Foundry and Engineering はオートメーション化された製鋼プラントをドイツに発注。包括的な再建計画の一環として(as part of a comprehensive re-equipment programme)
1967
British Steelの一部になる。
1987
廃業

なげえ。しかし250年も前に誕生した工場の来歴がこれだけ詳しく判明している(ここでいう「判明している」はネット上accesibleな場所に体系的にまとめられているという意味)のはさすが産業革命の御国だと敬服する。鉄道がらみはともかくとして、例えば足立鉄工所とか丹治煉瓦とかの歴史がわが国にあるかっちゅうと、どがいかや。製鉄製鋼とそれ以外じゃ調べる意味合いも違うかもしれんけど。


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