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2018-09-12 [長年日記]

[独言] 「残念」「あまりに不自然」天空の城に白いコンクリ 補強工事に不満の声 大分県竹田市

この記事を見る限り不満を述べているのは商店街の一人だけであって別に反対運動が起こったわけでもなんでもないのだった。誇張タイトルでしかもYahooニュースに載ったとあれば困ったものだ。

反対意見の人は目先のことしか考えていない。観光資源として有益だから古い姿を守りたいという立場。何も手当てせずに崩壊したら「大切な観光資源」が見るも無残な姿になってしまうことには考えが及ばないのだろうかと思う。そうして役場はこの遺構を守りたいからという立場。双方がちがう土俵でちがう反論を述べているんじゃあ噛み合うわけもなく。

竹田城にハイキングコースが整備されて雰囲気が台無しになった、という話とはちょっと違う問題のように思われる。竹田城は観光資源として最大限活用するための改変であって、利用者の安全云々も結局は観光客のことを考えてのことだ。でもまあ文化財なんてそうやって金づるにしないとしようがないのかも知らぬ。価値あるものも埋もれていればただの遺構だ。

んで、未だに「天空の城」とかいうレッテルを貼ろうとしている西日本新聞。やめとけばいいのに、そんな一過性な俗称は。ついこの間まで「荒城の月で有名な」しか言わなかった口が何を云うかという感じだ。ありゃ、記事本文の冒頭でも使ってら。

九州は雨が多いし暖かくもあるのでたぶん10年かそこらで苔るんじゃないかと楽天的に思う。肌は多少荒らしておいたほうがいいだろうな。むしろこの施工ごと全部崩落したりしないだろうかと心配する。そんなに硬い岩盤だったっけ。岡城の辺り。

昨日のNHKラジオだったかでは東北の防潮堤の話が話題になっていた。町を守るために各地で防潮堤を建設中だが、いざ出来上がってきてみると「高くて海が見えないのは寂しい」という。だからといってアクリル板の窓を設けたら「狭くて小さくて意味が無い」。どうも、人間というものはわがままというか、目先のことしか考えられない生き物のようだ。<この評は異議を申し立てた人に向けたものではない。人間の性に対する嘆息であって要するに全世界を敵に回している。

津波碑のことを引き合いに出すのも虚しい。安治川口の津波碑だって、そんな警告などお構いなしに大大阪が出来上がってしまった。次に大きな津波が来れば壊滅的被害を被らないわけがないのだ。そういう被害のリスクを受容して暮らす覚悟がある者だけが市街に住んだり勤めたりするべきだろうな。都市の便利を享受する見返りとしてリスクを払う、という考えが出来る人でなければ。「先祖代々の土地」っていっても高々数世代前からだし、その最初だって仮住まいのつもりだったかも知れぬ。出屋敷とか浜場くらいのつもりの小屋掛けでしかなかったかも知れぬ。

百年に一度くらいの地震・津波でリセットされることを前提にした都市、というのでもいいのかも知れない、などと投げやりなことを考えてみたりする。文明が停滞することはあっても文化はなくならないだろう。阪神大震災は確かに大きな被害であったけれども、いま神戸が死んでいるかと言えば決してそんなことはない。さまざまな教訓をもたらしてくれたとも考え得る。惜しむらくはその教訓が将来の被災を100%防いでくれはしないことだ。震災で亡くなった方もそれでは浮かばれまいが、事実だから仕方ないのである。寺田センセも死なない程度に小さな被害を被っていたほうが幸せなのかも知れないといった意味のことを書いてはったぞなもし。


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