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旧道倶樂部録"

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2018-09-15 [長年日記]

[ORJ] 発行

またひとつとしをかさねてあきのかぜ。書くことで気づくことも多い。有り難いことである。

[][煉瓦工場] 堺煉化石同盟販売所 大阪毎日M22.1.3.

比較的余裕を持って進められたので昼間は図書館へゆく。そうして毎索を漁る。やはりこの方面を探るのは正解であった。かなり重要な情報をゲット。

画像の説明東雲新聞に出ていたのとほとんど同じ堺煉化石会社の広告がM21.12の早い段階に出てくる。その後小記事で組合設立の話が出てきて、翌年早々にこの広告が出ている。2月の記事には会社として登記が完了したことも出てた。継続期間は3ヶ年と短い。

この時期堺の煉瓦工場が組合を結成していたことはM22.7.の記事にもあるが、その構成工場や設立日がはっきりしたんは大きな収穫。要するに堺煉化石・原口・稲葉組・その他昔からある小工場がまとめて加入してたわけである。ここに成金社や旭商社が入っていないのは注目すべき。そうしてM22.1.から始まっている由良要塞の構造物には若井煉瓦(←成金社)や(推)旭商社や(推)共立社や和歌山煉瓦石の刻印ばかり見つかっているのだ。な・ぜ・だ。組合を通さないほうが安くで買えたからか。ただし第4砲台の細い★印などは組合経由かも知れぬ。あとM29には若井や附洲や岸和田も煉瓦組合に入ってる。そのへんまで詰めないと断言はできない。

[][煉瓦工場] 青山商会(←青山工場) 大阪毎日M22.2.2.

画像の説明粘って目を通した2月分にはこれ。この少し前に青山工場が「堺煉化石製造所 青山商会」と名前を変えたことが広告されていて、しかしそちらには「山」マークはない。初めは「青山商会=堺煉化石会社の分工場?」と誤解してしまったが、そうではなく、組合結成により「堺煉化石」をブランド化しようとしていて、そんな「堺煉化石」を作っている工場だというアピールのようである。分工場だったら分工場だと明記しているはず。そして第一分工場だった丹治煉瓦が独立名で前広告には記されている。

この、隷書体の山に近い意匠的な山マーク、類似刻印が奈良駅の旧転車台で発掘されている。報告書では山城煉瓦の刻印か?とされていたものだ。まさかそれが堺発だとはな。そうするとアルファベット刻印も出所を考えなおさないといけないかも知れない。転車台からは漢数字刻印も見つかっているのだ。

青山工場(青山商会)はM19創業でM22度まで生きていたことが確認されている。だとするとあの転車台も開業時のものと絞り込めるかも。しかし山城≠山刻印だと確認されたわけではないからな。。。(そういうわけでマタ新情報追加でございますT様)

なんだかんだと、この時期の煉瓦製造業の真影に迫れている。すごく大変な作業だがわかった時のエウレカは大きい。裸で疾走するくらいじゃ済まない。

ていうか、窓口を一元化し粗製乱造を防ぐために堺煉化石同盟販売所が作られたんじゃないのか。加盟工場が自社宣伝の広告を出してたら意味無いじゃんか。改名の告知は必要だろうけど。。←この年7月には脱退しておったらしいから早々に居なくなっていたのかも。この年7月の記事では組合外の3社のひとつになっておる。かわりに附洲商社が入ってる。

堺煉化石会社の名前は上記記事にも出てくる。稲葉組はこの年9月・10月頃には高石へ移転してしまうが、それが脱退を意味していたかどうかは不明。M29には稲葉組自体存在してねえ。

[奇妙なポテンシャル] 130年前のティザー広告

画像の説明

大阪毎日新聞M21.12.24.6面。広告面である。様々な広告がごちゃごちゃとひしめいている中に、妙に白地が目立つ区画があり、否応なしに目につく。

画像の説明博文堂 原田庄右衛門 広告領地

とあるだけである。

始めは広告原稿の入稿が間に合わんかったんか?などと思ってしまったのだけれども、翌日も翌々日も同じような「領地」があって謎は深まるばかりだった。しかしその次の日の新聞に、博文堂のごく普通の広告が載っていて、ちょっとガッカリしたことだった。要するにそういう新手の広告だったわけである。「こは何ぞ?」と気を引いておいて4日目の広告に注目させようというものなのだろう。今でいうティザー広告みたようなものか。

この頃の広告は文字ばかりなのが多く、自分みたいに何か目的を持って読もうとしているような人以外はなかなか読まないだろうと思う。そんななかで何とか目立とうとして風変わりな広告が現れ始める時期のようで、例えばその広告だけ天地逆になっていたり、けったいなイラストを添えてみたりといったものが時おりある。●●●●●●●●●●で囲ってみたりするのはまだいいほうだ(そういう広告のほうが煩くて読もうという気が殺がれるのだけれど)。

ちなみに4日目にどんな広告が載っていたかは忘れた。同社刊行の本の広告だったと思う。

当時の大阪毎日の広告料がどのような計算になっていたのかわからないが、時事新報だったかは1行○銭・掲載日数が増すごとに安くなる仕組みだった。毎日も面積ではなく行数で計算されてたとすれば、3行×3日+数十行×1日ということになり、毎日同じ広告を掲げるより安上がりになったかも知れない。

[][煉瓦工場] 琵琶湖疏水工場→京都監獄 大阪毎日M21.12.30.2面

琵琶湖疏水工場がM22.3に閉鎖されるので工場施設を京都監獄が買い取って同所で煉瓦をつくる、という記事も掘り出した。「煉瓦史」にはない流れである。

考えてみたらアレなんだ。蹴上工場はM22.3に終わっていて、開業はM23.4.9。その間の工事には作り溜めた煉瓦でまかなえたかも知れぬが、第三隧道はM22.3.26に完成してるし安朱川橋梁の区間なんかはM22.12.25までかかってる(琵琶湖疏水要誌)。総合して蹴上製以外のが入っててもおかしくはなく、もし上記の通りに行ったのであれば「カ二」の「カ」が監獄のカであってもいいわけだけど、膳所なのか京都なのかという余計な悩みが増えることになるわけだ。なお南禅寺水路閣には蹴上工場の刻印のない煉瓦が使われている。しつこく見たもん。

○煉化製造所 京都府監獄に於ては囚人に煉化の製造を為さしめんとの事にて既に本年府会号外議案にて決議にもなりしが愈来る二十二年度即ち明年四月より疏水工事に使用する山科煉化製造所は不要に属するを以て之れを買上げる事とし修繕を加えて同所にて京都監獄煉化製造所と為し廉価を以て広く人民に販売するの目的にて四月より実施せらるる事とはなりたり

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