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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1942-09-12 週番司令・週番副官(週番下士官) この日を編集

[陸幼日記]九月十二日 土 曇

終日授業無し。是れ又以外なりき。期頭なりし故か極めて緊張し何事に於ても今までの所人に一歩も後れは取らざるものと信ず。必勝の信念は心中に湧き攻撃精神を以て物事をなせば成らざる物は無し。午前中生徒舎内の掃除をなし午後十四時校長殿の検査あり。之に依り一層心を引き締められたり。後期始めての随意運動は極めて調子良好にて一ヶ月鉄棒なさざるに何故腕力斯くの如くあるかと驚く。思うに力を養うには鍛錬のみにあらずして或期間に於ては必要なる休養が大切なりと。夕食誕生日会。校長殿は曰く、和歌をなすことを進む。と。之に依りて真の日本精神を養うなり。〔欄外朱:「然り休暇は潜勢力を養うにあり」〕
何事に於ても緊張は第一の必要項目なり。後期(今日)より校長直属に週番司令週番副官(下士官)を設けられ週番士官は司令の下に置かれることとなる。日直教官は指導教官に改名称し、新たに巡察高等官を設け、夜間校内の巡察をなし特に火に用心することとなりたり。


1943-09-12 この日を編集

[陸幼日記]九月十二日 日 雨

雨の為に予定は行われず、浩然の気も十分養われず。飯盒炊爨し九・三〇食事。真裸にて雨にぬれて何事も作業す。一二・〇〇帰校す。濡物・汚物の手入三時間、集会所二時間、雨なるも愉快なる露営なりき。良好。


2011-09-12 この日を編集

[独言] うげご

ギギギ,という擬態語を駆使して残り図3枚まで.今日中にはカタをつける.

請求図書が思いの外早く届いてしまい,しかもそれを10月頭に返さなければならないと言われている.結構大変である.一冊1500ページもある本3冊に1000ページ弱4冊をたった2週間かそこらで読んでしまえというのは非情な話じゃないか.かといって全く見ずに返してしまうわけにもいかない.救いなのは図書館留めになっていること.行きさえしなければよいだけの話である.

とはいいながら送られてきた複写物に目を通さずにはいられない.便所に篭る時にちらちら見ているが,なるほど宮崎村誌は素晴らしい出来である.越前町教育委員会の担当さんが一押しするだけのことはある.どこの町村史もこれほどものだったら,と勝手な消費者気取りで思ったり思わなかったり.しかも天爵大神大降臨.

と書いて寝たところで間違い電話に起こされる.月が近いとかいう夢に陥るところだったのに.おしい.わたしはいしいさんではありません,きのうのこともおぼえてません.


2015-09-12 この日を編集

[煉瓦] 黒髪山隧道関西鉄道社章@交通科学博物館

黒髪山隧道関西鉄道社章

2015年4月に廃館となった交通科学博物館。庭に置かれていた黒髪山隧道社章はそのまま放置され藪に包まれていた。どうするんだろうな、これ。


2017-09-12 この日を編集

[ORJ] Aha.

メーリングリストの設定を誤ってwww.ドメインでMLつくってしもうた。変なところにアクセスが取られてページが表示できひん。削除はしたのでしばらくしたら元に戻るんだろうけど。@22:47


2018-09-12 この日を編集

[独言] 「残念」「あまりに不自然」天空の城に白いコンクリ 補強工事に不満の声 大分県竹田市

この記事を見る限り不満を述べているのは商店街の一人だけであって別に反対運動が起こったわけでもなんでもないのだった。誇張タイトルでしかもYahooニュースに載ったとあれば困ったものだ。

反対意見の人は目先のことしか考えていない。観光資源として有益だから古い姿を守りたいという立場。何も手当てせずに崩壊したら「大切な観光資源」が見るも無残な姿になってしまうことには考えが及ばないのだろうかと思う。そうして役場はこの遺構を守りたいからという立場。双方がちがう土俵でちがう反論を述べているんじゃあ噛み合うわけもなく。

竹田城にハイキングコースが整備されて雰囲気が台無しになった、という話とはちょっと違う問題のように思われる。竹田城は観光資源として最大限活用するための改変であって、利用者の安全云々も結局は観光客のことを考えてのことだ。でもまあ文化財なんてそうやって金づるにしないとしようがないのかも知らぬ。価値あるものも埋もれていればただの遺構だ。

んで、未だに「天空の城」とかいうレッテルを貼ろうとしている西日本新聞。やめとけばいいのに、そんな一過性な俗称は。ついこの間まで「荒城の月で有名な」しか言わなかった口が何を云うかという感じだ。ありゃ、記事本文の冒頭でも使ってら。

九州は雨が多いし暖かくもあるのでたぶん10年かそこらで苔るんじゃないかと楽天的に思う。肌は多少荒らしておいたほうがいいだろうな。むしろこの施工ごと全部崩落したりしないだろうかと心配する。そんなに硬い岩盤だったっけ。岡城の辺り。

昨日のNHKラジオだったかでは東北の防潮堤の話が話題になっていた。町を守るために各地で防潮堤を建設中だが、いざ出来上がってきてみると「高くて海が見えないのは寂しい」という。だからといってアクリル板の窓を設けたら「狭くて小さくて意味が無い」。どうも、人間というものはわがままというか、目先のことしか考えられない生き物のようだ。<この評は異議を申し立てた人に向けたものではない。人間の性に対する嘆息であって要するに全世界を敵に回している。

津波碑のことを引き合いに出すのも虚しい。安治川口の津波碑だって、そんな警告などお構いなしに大大阪が出来上がってしまった。次に大きな津波が来れば壊滅的被害を被らないわけがないのだ。そういう被害のリスクを受容して暮らす覚悟がある者だけが市街に住んだり勤めたりするべきだろうな。都市の便利を享受する見返りとしてリスクを払う、という考えが出来る人でなければ。「先祖代々の土地」っていっても高々数世代前からだし、その最初だって仮住まいのつもりだったかも知れぬ。出屋敷とか浜場くらいのつもりの小屋掛けでしかなかったかも知れぬ。

百年に一度くらいの地震・津波でリセットされることを前提にした都市、というのでもいいのかも知れない、などと投げやりなことを考えてみたりする。文明が停滞することはあっても文化はなくならないだろう。阪神大震災は確かに大きな被害であったけれども、いま神戸が死んでいるかと言えば決してそんなことはない。さまざまな教訓をもたらしてくれたとも考え得る。惜しむらくはその教訓が将来の被災を100%防いでくれはしないことだ。震災で亡くなった方もそれでは浮かばれまいが、事実だから仕方ないのである。寺田センセも死なない程度に小さな被害を被っていたほうが幸せなのかも知れないといった意味のことを書いてはったぞなもし。


2019-09-12 この日を編集

[][煉瓦] とうとう煉瓦税まで遡る

https://en.wikipedia.org/wiki/Brick_tax

イギリスでは1784年に煉瓦税ちうのができた。アメリカ南北戦争独立戦争の資金にするためを償還?するため。1000個につき2シリング6ペニー。製造者は煉瓦サイズをでかくすることで課税額を抑えようとする。その結果9 1⁄4×4 1⁄4 × 4 1⁄4 in (230mm×110mm×110mm)なんていう煉瓦も登場した。

政府はもちろんそれに対抗。1801年に煉瓦サイズを 10 in × 5 in × 3 in (254 mm × 127 mm × 76 mm) に制限し(limiting the dimensions of a brick to なんでソレ以下ということやろ)、それを超えるものを二倍課税。課税額もだんだんあがって5シリング10ペニーになるin1805。

https://www.scottishbrickhistory.co.uk/brick-tax-1784-1850/

1839年には煉瓦の体積を150立方インチ以下とした。いろんな煉瓦形状を許すため。

この税は1850年に廃止されたそう。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954785/118

野呂長四郎『近世建築用材料 上巻』には次のようにある。

英国に於ては一千八百三十九年頃煉瓦使用税を課したる時其の大さを一定せし以来今日に至るまで其大さとなれり、其の寸法は長八吋四分の三、幅四吋四分の一、厚二吋半にして其の重さ七封度なり

これをミリに直すと222.25mm×107.95mm×63.5mm。92.968 cu inch。

並形:224.2mm×106.1mm×53.0mm。目地4分。

東京形:227.3mm×109.1mm×60.6mm。目地9.1mm(3分)

8-3/4が9になったら228.6mm。8-1/2だったら215.9mm。8-5/8=219.075mm、8-7/8inch=225.425mm。1/8は約3mm。

3寸7分は112.121mm。7寸7分=233.333mm。7寸3分=221.212mm。じゃあ7寸3分で良かったんじゃね?と思ったら3寸5分で3分目地、3寸6分で1分目地か。じゃあますます7寸3分×3寸5分×厚でいいのではないか。

仮説:ヲートルスは8 3/4×4 1/4×2 1/2inchを基準にして厚さを変えた。目地1/4インチ(2分)。この寸法を寸に読みなおした時に三寸六分にするか三寸五分にするか。1/8インチはインチ→寸に近似した時いちばん近い値になるよう日本で見出されたもので、英国ではせいぜい1/4インチ刻み。

1/8インチと分の誤差を無視して考えれば8-3/4インチ=70/8インチになって7寸になってしまうな・・・。ああ、そこで1/8インチと分を相互変換しちゃいかんのな、呼び名が分ていうだけで。

大阪の土は高火力で強く焼けるので厚さは薄くてかまわない。東京の煉瓦は高温に焼くことができず(温度あげると溶ける)、また反りやすい特徴があったんで厚くする必要があった(←はT14JES制定時の大熊喜邦報文)。その土の差を吸収するために東京では厚い煉瓦を製造したと。2寸=2 3/8インチ。1.8寸=2 1/8インチ。

やっぱりめんどくせえなあ。8×4×2寸枠で1割縮んで7.2×3.6×1.8・・・だと目地が1分以下になるんかなあ。目地の分2分3分足したらええんちゃうん。

↑自分で書いといてさっぱりわけわかんねえな。8-3/4×4-1/4×2-1/2inchをそのまま尺寸に直そうとすると尺寸でキリのいい数字になりにくい。なので1/8インチ刻みで8-7/8inch=225.425mmというのを考える。この数字は7寸4分にも7寸5分にも近似できる。長手がそうと決まると幅はそこから目地厚を引いて1/2したものと自動的に決まる。その目地厚と幅も尺寸でキリの良い数字のほうがいい。7寸4分なら3寸5分×2+4分。3寸6分だと2分目地になって、まあ悪くはないのだけど、定常的に形の整った煉瓦を作る技術が期待できなかったので(誤差を目地厚で吸収する方向で考え)3寸5分にした、というのが並形。7寸5分と読んで小口幅3寸6分(目地3分)としたのが東京形。元の英国規格は目地1/4インチ=6.35mmを見込んでいる。といったことを想像したのだが、うん、全然説得力がねえな。だったらむしろ小口幅4-1/4インチが3寸5分にも3寸6分にも近似できたので、それを基準こ長手長を引っ張って7寸4分/7寸5分という流れでもよいわけで。英国規格に寄せて1/4インチ目地=2分目地としたら7寸2分or7寸4分になる。このサイズでも別に構わなかったんじゃないかとは思う。

そうしてこのサイズが8寸4寸2寸というキリのいい寸法の型枠で作れたとしたらベストなのだが、各辺約1割縮んだとすれば7.2×3.6×1.8寸となって実際に合わないし、だいいち目地厚が入らない。長手を少し長くする必要がある。あるいは詰める作業によって長手のみ非等方的に縮まなかったかも?というのは想像の階上屋である。


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