nagajisの日不定記。
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思い余って丹治に行ってみたのだけれども、最後の最後に、外壁の一部に大正丹治(左ズレ)刻印があるのを発見してしまった。しかも4、5個。
現時点ではこの刻印、大正時代の合資会社時代の社章と考えていたのだけれども、だとすると建物自体も比較的新しいものということになってしまう。而してこの基礎、建物本体の角の柱状部(白く塗られている部分)に踏まれている。追築ではあり得ないということに。(載っている壁は新しく見えるけれども、表張りをし変えただけのようで、建物側は他と同じ煉瓦が全面に積まれている)
表の透かし積みの煉瓦には確かに丸丹マークがある。そしてその煉瓦とは質を異にする化粧仕上げの煉瓦が壁面には使われている。表面を撫でて磨いてあるつるつるした煉瓦だ(故に取り砂が一切ついていない)。左ズレの煉瓦や建物内部に面しているものは普通の仕上げだ。
丹治のシェフさん曰く、正確な竣工年はわかってないとのことだったけれども……。わかればこの謎も解けるんだろうか。それとも謎が重なって身動き取れなくなるだけだろーか。
こっちのほうは素直な発見。今まで堺市域で見つけられていなかったカナ刻印。上は翁橋町の空き地で。「ス」っていうことはイロハの最後だから、少なくとも50人以上はいた会社ということになる。下は賑町の煉瓦溝の近くで。以前来た時も見てたんじゃないか?という位置にあったが見逃している。
カナ=旭商社と推測するのであれば、堺市域でもカナ刻印が見つからなければオカシイ。この発見でそれをクリアしたことになる。できれば漢数字も見つかってほしいところだけれども……難しいだろ-な-。
帰りに千体村の辺りから北へ歩いてみたが、例によってめぼしい発見はなし。旧版地形図で市街地の位置を確認しつつ歩いてみたんだけれど。昭和初期にこの辺りにはいくつか工場があったらしいが跡地はいずれも学校になっていて痕跡を留めない。煉瓦センサーが反応する路地はあっても見つかるのは岸煉とか日本煉瓦とか六稜星とか、そして大半は無刻印手成形の崩れたやつ。三栄組とかあれとかこれとか、どこいっちゃったんやろ。
調べれば調べるほど謎が増えたり反証が出てきたりしてますますカオスになっていく。運気もなんだか下がりっぱなしなカンジだ。進め急いでいるのかも知れぬと思ってみたりもするしとにかく情報を蓄積していくべきかも知れぬとも思ってみたり。それか現状の情報を再整理して一度固めたほうがよいような気もする。しかしそれやっちゃうとやることがなくなりそうでもある。うーむ、八方塞がりってえやつか。
まー、できてもできなくっても世の中は変わんねえんだ。↑の状況なんか無視して続けたらええねん。やったらええねん。やってもやらんくてもnagajisの価値は変わらずゼロなんだぜ。