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2018-11-27 [長年日記]

[きたく] 東京は夜の七時

画像の説明

何年か前にこれと全く同じ構図の同じ時間帯の写真を撮っているはずだ、と撮ったあと気づいた。何一つ進歩していないじゃないか。

25日:午前中は煉瓦を探して市街をうろうろ。東京という街に対して抱いていた先入観を払拭できる程度には煉瓦を見つけられた。午後はガクシカイカンで他人様の迷惑を顧みずきっかり1:30しゃべり続け。まったく迷惑な存在である。そうして上の写真を取りつつ御茶ノ水のホテルに向かって、何故か本郷の上水道施設まで行ってしまったがまあ引き返して御茶ノ水北に泊まった。あれ絶対エアコンのリモコン用意し忘れてるぜ。暖房が入れられなくて寒い寒い思いをした。

26日:午後からMさんが新永間高架や荒川区の煉瓦建造物などを案内して下さった。新橋待ち合わせだというのに新宿ヘ行ってしまい(だいいち新永間高架なんだから新橋に決まっておるだろうが馬鹿nagajis)Mさんの貴重な時間をムダにするという悪行を働いてしまう。そんなやつは業火に投げ込まれ焼かれるべきである。

東京は以前よりも数段きれいになっている印象。どんな細い路地でも吸い殻一つ落ちてねえ。公共の場での喫煙が禁止されたのが大きいんだろうが、そのことよりもむしろ住民がそれを律儀に守っているらしいのに驚く。大阪で同じ事やっても絶対そうはならない。その辺りはさすが日本の首都の住民、と敬服する。上野のお花見とか渋谷の騒ぎのあとのゴミの山が事あるごとに出回るのも自然とうなづかれたことだ。普段はゴミひとつ落ちてないのだから、ゴミの放置ということ自体が珍しい事象であるから人々は撮るのだ。

画像の説明

福知山線武田尾駅なんか、土日祝の夜はこれがデフォルトなのだ。当たり前すぎて誰も撮ろうと思わないだけで、同じかそれ以上の惨状はここにもある。(別に東京の肩を持つわけではない。多少なりとも偏見を持っていたことに気付かされたのでその反省のつもりで書いておる)

[煉瓦][煉瓦工場][煉瓦刻印] 東京煉瓦と日煉

画像の説明

山手線の沿線でも大正昭和初期の煉瓦をみつけられることを確認した。聞かされていたごとく大変均一な断面をしている。機械成形のささくれの入った煉瓦で歪みも大きかったから戦前戦後くらいのふるさのものだろうと思うがまこと砂粒一つも見当たらない(それは言い過ぎか。大阪は風化花崗岩の成れの果ての赤土を使うので石英質の石粒が入る。関東は所謂関東ローム層だからまこと均質な土である)。でも強度は関西の煉瓦のほうが上だったというから不思議なものだ。金町製瓦の煉瓦はヒビ入ってから割れるまでが一瞬。大阪煉瓦は若干粘ってから割れる。

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小判型に「T.B」は東京煉瓦株式会社のものらしい、と「煉瓦のある風景—あらかわの近代建築と煉瓦産業—」には書かれてあった。途中で他工場を買収して移っているのでいつの時期のものとはいいづらいが最初の工場はM36に鳥井庄右衛門が始めている。鳥井はのちにタイル製造のほうで有名になってたはずの人。他工場買収はT6だったかT8だったか。そうして昭和初期の通覧ではもう出てこなかったはずあ、嘘書いた、S14までは少なくとも居る。S22版で消えてるんだ。とうろ覚えを立て続ける。

画像の説明

画像の説明日本煉瓦製造の「日本」刻印。歩いた範囲でよく見られた古い煉瓦は古くても機械成形で、なにしろ日本煉瓦製造はM21創業時から機械成形だったし、その影響で各工場とも早い段階から機械を導入している。日本煉瓦製造のは特に小口長手の仕上げが丁寧で、そこだけ見ると近年の製品かと見紛うばかり。ぬめーっとした質感。しかし平には特徴的なささくれ立ちがあって、そういうささくれ平に「日本」刻印が押されてあるものをいくつか検出した。金町製瓦のもささくれ立っていたが小口長手の平滑さが及ばないカンジ。ああしまった! 佐藤病院の金町の壁撮ってねえ!

歩きながら、街の雰囲気と煉瓦の量とを積分して、大阪だったらどこと似ているだろうと考えた。神保町の辺りは堀江が一番近いだろうか。雑居ビルが連なっていて、その間に時おり住宅が挟まっていて、なおかつ稀に古煉瓦を見る。検出頻度的には随分近い。ただ堀江のほうが明らかに古い。堀江の更改をもう20年遅らせたら神保町の駅北の辺りか。中崎町ほどの古さで煉瓦も多いような場所はなさげ。住宅街に不意に紛れ込んでいる2,3個を発見するというパターンは、どっかで経験しているはずなのだけれど。

むしろ微分、gradで考えるべきか。発達した市街地の中にぽつんと残された古い建物、古いブロックに向かって、古煉瓦が寄せ集められていく。わずかでもそういう古区画がありさえすれば。荒川区とか足立区なんかはフィールドワークに最適だと思うのだけれど。あるいはMさんが勧めてくださった樋口一葉旧家の辺りなどどうだろう。明治まで遡ると&保存が進んでいるとかえって瓦礫たる煉瓦は排除されてしまっているかも知れぬ。要するに探してみようという発想としつこく探す根気さえあれば見つけられぬことはあるまい。そうして都心がそうなのだから名古屋辺りでも十分に可能性はあるような気がする。西尾市などは格好の渉猟区ではなかろうか。

[奇妙なポテンシャル] 読字方向と真雁

画像の説明

情報のUIとしてはあまり宜しくない例である。縦に読んでしまうと「シャラキ・・・?」となるし(あるいは今風に間違えて「夏ツ」から読み始めてしまうやも知れぬ)、横に読めば夏の別名がシャラになってしまう。伝えたいことをたくさん抱え込んでいて、なんとかしてそれを伝えたいのだ、という思いは伝わってくるけれどもしかし、その試みは残念がら失敗に終わっていると言わざるを得ぬ。頭が俐いひとが陥りがちな陥穽である。と陥穽覚えたての人がそういうのだから間違いない。

そういうケチをつけるのは簡単で、そこで終わるようではPs求道者を名乗ることができぬ。というわけでいろいろ考えてみたのだがやはり上手い解決方法がない。3つの枠に「夏ツバキ」という4文字、あるいは「別名シャラ」という5文字を無理なく収めようとするのがそもそも間違なのかも知れぬ。例えば「夏」「ツバ」「キ」と区切ってしまえば「ツバ」が「唾」を連想させて街路にはふさわしくない。「夏」「ツ」「バキ」としてしまえば格闘漫画か真空魔法になってしまう。そうなると「夏ツ」「バ」「キ」とするほかないが、何だ最初と変わらないではないか、ということになる。

だから結論としては「3枚パネル」であることに元凶があるのであって「4枚パネル」もしくは「2枚パネル」で設計すべきであっただろうということになる。そう2枚パネルなら「夏ツ」「バキ」/「別名」「シャラ」となって、前者は多少余計を連想させるが後者などいい収まりではないだろうか。

以上のようなことを考えたあと坂道を下って行ったら、次に出てきた3枚パネルが 画像の説明

これだったことにむしろ奇妙なポテンシャルを感じたのだった。マガン。マガン。マガン。マガンのリフレイン。何故そこまでマガン推しなのだろう。(それは後ほど不忍池を通った時に理解された)

さらにその次にあった3枚にも追い打ちをかけられたのだが残念ながら写真を撮っていない。人通りの多い狭い舗道で立ち止まって物珍しそうに写真を撮っている姿が我ながら田舎者臭く邪魔臭く思われたからである。そうして多分それは写真で見せないと伝わらない。ここで言葉で解説するにはnagajisの文章力が役足らずである。

そういやそもそもこのパネル、なんで三枚綴りなんだろうな。歩道脇の樹木のところにあったから、成長して根が上がってきた時に外せるよう用心しているのかも知れぬが、だったらなおさら3枚に拘る必要はあるまい。まあそのお陰で奇妙なポテンシャルを感じさせられたわけだけれどもさ。


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