トップ «前の日(12-01) 最新 次の日(12-03)» 追記
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|05|06|07|08|09|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉化 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

1941-12-02 この日を編集

[陸幼日記]十二月二日 火曜日 曇

教練考査(不動之姿勢・速歩行進)あり。こゝ二三日急に寒くなりたるが、今日に到りて、一増冷気を加え、遂に冬襦袢着用を決心す。


1942-12-02 この日を編集

[陸幼日記]十二月二日 水 曇

今日より地理は外国地理に入りたり。授業が何とはなく愉快なり。之れ緊張している故なり。〔朱棒線、欄外「攻勢に出づれば何でも愉快なり〕 午後は狭窄射撃をなす。結果は丙なりき。要するに五発一ヶ所に集れば良し。我全部下に命中す。初は不安にして如何にすれば弾が出るかとて恐怖心と共に稍〃あわてたり。落着けば良きものをと思いし時は後のたゝりにて残念なりき。然し我は此の五発の射撃に依りて今後は決してあわてず、又中るとの自信を得たり。食卓変えありて今度は磯部さんと並びぬ。近日頗る気候温暖にして益〃元気なり。然〔併〕し指に凍傷を生ず。思うに之は入浴後の不始末なり。


2009-12-02 歴史の連綿 この日を編集

[独言] 大正6、7年、於関西。

“大塚切れ”の復旧談を読んでいる。これについてはどこかでまた詳しく述べることにして、復旧が遅れた背後には、滋賀県の瀬田洗堰に加え、陸軍大演習まで絡んでくることに気づかされた。瀬田洗堰は琵琶湖の水位調整の役割を果たしたものだが、同時に淀川流域の水量調整を行う役割もあり、大雨直後に角落としが落とされて流量が絞られたものの、長200間の破堤を復旧するのに手間取っているうち琵琶湖は約5尺の水位上昇を見、こちらも非常事態となった。それで、大塚堤防の復旧の目処が立たないうちから洗堰の角落としをめぐって大論争になった。

早く水位を下げたい滋賀県と、絶え間泣く流れ込んでくる淀川の水を止めるのに必死な大阪府。最終的に内務省判断で角落としが外された。日に一寸ずつ下げる程度に、という何ともどっちつかずな対応だった(それでも沖野忠雄は激怒して内務部出張所長の首を飛ばした)。

滋賀県の言い分は琵琶湖沿岸の農作地帯(明治末に洗堰ができ、ようやく確実な収穫が保証されるようになった畑作地)を木阿弥にしたくないというのが第一にあったが、もう1つ、この年の11月に行われる予定であった陸軍大演習の演習地や道路を水没させたくない、という思惑もあったらしい。当時の滋賀県知事・池松時和は『御巡幸の為に新設した道路』を楯に取って放水を主張したと、柴田善三郎の講演録に書かれてある(淀川治水誌。柴田は当時大阪府内務部長、のちに府知事)。陸軍大演習には軍の統帥者である天皇が行幸する。それに対して/備えて過剰な道路改修をしないよう、あからじめ通達がなされていたにも関わらず、そういう道路が存在したということだ。

(これは程度の大小であって、大演習に備えた改修はどこでも行われていたことだろうけれども。あるいは「新設」というのは記憶違いで、改修した道路が烏有に帰すことを懸念しただけなのかも知れぬ)

大演習に備えて作られたものと思われる家棟隧道がそれに相当するのだったら面白いのだが、1.5m程度の水位上昇で沈むような場所ではないから、別の道路か日野川河岸の演習地のことだろうと思う。ともかく家棟隧道の建設には元埼玉県北足立郡技手の遠山貞吉が当たっていた(はず)。その2年前には埼玉で上司であった山田博愛が、同期の吉田勇が、佐藤道之介が滋賀県へ移って要職を占めていた。大演習ではともに工営係を勤めている。元上司・同僚らが滋賀県で腕を振るい、大六水害一件では大阪と対立したであろう一方、村田は大正7年4月に大阪府に移り、府の水害復旧工事に当たった(と思われる)。それだけならばまだ運命の悪戯とか何とか評せるだろうが、半年もしないうちに村田は滋賀県へ移り、遠山と入れ替わりで隧道工営所主任になるのだ。

背後に何があったのか、いまの段階ではわからない。確かに村田は埼玉で河川改修に従事していたが、その経験が買われたにしては余りに駆け足過ぎる。大正5年の大阪府の土木疑獄(7人起訴、9人退職で都合16人の土木課職員が一斉にいなくなった)の煽りで人材不足だったためか。あるいは丸橋の指摘のような疑いの目を逸らすための計略であったのか。そういえば中澤徳次郎も直接滋賀県へは来なかった。最初の任は郡吏員だ。違う違う!(かぶりを振るナウシカ)

向こうに書こうかと思ったが(はず)(かも知れない)が多すぎるのでヤメ。

[独言] その他資料等

@府立。萩原俊一発電水力(常磐書房)初版のコピー。落筏路の例の写真を発見してwktk。デジタルアーカイブスのpdfは引用できないものね。高津尾発電所にも同様の落筏路があったようだが現存しないようだ。

洛北発電所の資料。京都市の近代化遺産より。説明短ッ! 京都電燈五十年史までは手が回らず。

淀川関係。以前探近土でコピってきたような気もするので大正分の必要最小限のみ。しかし工事箇所に味舌の名は出て来ず。淀川河川工事事務所のHPの記述は「淀川百年史」をですます調に変えただけですます。


帰りに日本橋に寄ってCDケースを買おうと思ったら在庫がなくなってた・・・仕方がないのでスリーブタイプのものを買っておく。あとはウィンドウショッピング(死語 こういう機会でないと行けない&ものが買えない状況はずいぶん慣れたが、沸き上がる物欲は何ともいたしがたく。じゃあ行くな。

[原稿] 伯母峰.zip

(こんなタグ作ってたのか。忘れてた)

半ばやけくそになって全てを詰め込んだ。すべての出来事が何日のことかわかった人がいたら賞品をさしあげる。何回登った/通過したかわかった人は次点。nagajisに二言はない。えーっと、多分、いや、おおまかには、うう。これに限ってはないっ。

そうやって無駄な遊びをやってないで他の事すればいいのに・・・。

[ph.] Cold sun

@湖北。with FinepixS602(トリミング・リサイズ・シャープネス1段)
画像の説明

[独言] うう

資料コネー

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ とと [シナリオなり…。“陰謀”とも言うが、カッコイいな…←妄想厨]

_ nagajis [んにゃ、これが歴史というもののようです]


2011-12-02 この日を編集

[産業遺産] 一覧

うむ.何をしたかったのか早速わからんくなってしまった.

「文化財」になれば「文化財」という価値が認められたことになる.保存の義務が生じる.保存される.「近代化遺産」にはそういうものがない.とりあえず古いものをそう呼ぶことにしただけであって,何か価値が生まれるものではない(近代化遺産だからといって価値があるとは認められてない.文化財になれば違うが)? 調査報告書では価値判断を下してないし.

いや違うか,「近代化遺産」という価値は認められてるけど法的に云々なんか.「近代化遺産」の考え方が一般に浸透すれば自然と価値が認められるか.

うーん,「価値」と「認定基準(認定対象)」を分けて考えないといけないな.ごっちゃになってる>nagajis

それからすると「近代土木遺産」は思い切ったことをしたのだなと思う.認定と価値判断を同時に行なったので,たとえそれが恣意的なものであるとしても,どんくらいの価値があるかひと目でわかるようになった.利用する側としてはわかりやすい.土木学会がAランクと認めたよ!というようなことが言いやすく,言葉が浸透し認知される前から「土木遺産=価値あるもの」というイメージを与えられる.勝手に「超A級廃道!」て言っちゃうようなもんやね.

一方でわが産業考古学会の「推薦産業遺産」は影が薄い.しかし制度が始まったのは行政や他学会よりも先んじているし,なにより制度の趣旨がいい.文化財指定*されていない*物件を対象とし,認定することで,物件の価値を世間にアピールしようというもの.こういうボトムアップなやり方は地道だが必要なことだろう.

ToDo:近代化産業遺産
    http://www.jsce.or.jp/committee/jyuten/files/H19j_03.pdf

文化庁の文化財行政

重要文化財(建造物)

定義の典拠
文化財保護法
ものさし(対象)
建築物,土木構造物及びその他の工作物のうち,次の各号の一に該当し,かつ,各時代又は類型の典型となるもの
  1. 意匠的に優秀なもの
  2. 技術的に優秀なもの
  3. 歴史的価値の高いもの
  4. 学術的価値の高いもの
  5. 流派的又は地方的特色において顕著なもの

登録有形文化財

定義の典拠
文化財保護法
ものさし(対象)
原則として建設後50年を経過したもののうち,
  1. 国土の歴史的景観に寄与しているもの
  2. 造形の規範になっているもの
  3. 再現することが容易でないもの

重要文化的景観

定義の典拠
文化財保護法
ものさし(対象)
地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された次に掲げる景観地のうち我が国民の基盤的生活又は生業の特色を示すもので典型的なもの又は独特のもの
  1. 水田・畑地などの農耕に関する景観地
  2. 茅野・牧野などの採草・放牧に関する景観地
  3. 用材林・防災林などの森林の利用に関する景観地
  4. 養殖いかだ・海苔ひびなどの漁ろうに関する景観地
  5. ため池・水路・港などの水の利用に関する景観地
  6. 鉱山・採石場・工場群などの採掘・製造に関する景観地
  7. 道・広場などの流通・往来に関する景観地
  8. 垣根・屋敷林などの居住に関する景観地
(うち太字のものが『産業遺産』にかかるもの?として挙げられてる)

近代化遺産

定義の典拠
見つけられず.文化庁施策「近代化遺産(建造物等)総合調査」により,各都道府県の教育委員会が調査を行なう.
主として近代的技術によって造られた産業・交通・土木に関する構築物(文化庁サイト
参考:近代の文化遺産の保存と活用について(報告)(平成7年10月16日 近代の文化遺産の保存・活用に関する調査研究協力者会議の報告)
ものさし
文化財としての価値の評価基準は明示していない.
県によっては「価値評価」の項目を設けたところがある(福岡県).山口県・愛知県・岡山県・兵庫県は共通の「調査票」を用いて調査.
※大分県は保存状況・利用状況をA-Dの尺度で評価.保存状況「A:良好,B:普通,C:不良,D:その他」利用状況「A:当初のままで利用,B:一部変更して利用,C:廃棄・廃屋,D:その他」.ある意味物件の価値判定と取れなくもない.

歴史的砂防施設

定義の典拠
歴史的砂防施設の保存活用ガイドライン[国交省・文化庁(2003)]
江戸期以降の砂防関連施設で,文化財指定されているもの?
ものさし
登録有形文化財に準拠しながら具体的な例示を加える
  1. 国土の歴史的景観に寄与しているもの
    • 特別な愛称で親しまれている
    • その土地を知るのに役立つ
    • 絵画など芸術作品に登場する
    • 新たな景勝を創出した
    • 地域の発展に貢献している
  2. 造形の規範になっているもの
    • デザインが優れている
    • 著名な設計者や施工者が関わった
    • 後に数多く作られるものの初期の作品
    • 時代や建造物の種類の特徴を示す
  3. 再現することが容易でないもの
    • 優れた技術や技能が用いられている
    • 現在では珍しくなった技術や技能が用いられている
    • 珍しい形やデザインで,他に同じような例が少ない
歴史的砂防施設の価値をどこに見出すかについて,
施設自体に係わる事項
材料:構成する材料(材質・色調)
形態:構造形式(外観と構造)
技術:技法の継承,再現
土地との関係に係る事項
地勢,地質を考慮した特徴的な形態
周辺の自然と一体となった景観

歴史的公共建築物

定義の典拠
国交省・文化庁「公共建築物の保存・活用ガイドライン」(2002)

国土交通省及び文化庁の指導のもとに平成13年度に「歴史的公共建築物の保存再生活用に関する懇談会」を設置し、保存・活用にあたっての障害となる問題の解決方法を調査するとともに、これまでの事例をもとに歴史的公共建築の保存・活用の手法をガイドラインとしてとりまとめた。(Google BooksのAbst.より)

対象
(古い公共建築物.詳細は未見)
ものさし
公共建築物の多様な価値=5つの評価軸
  1. 歴史的評価
    • 建物の時代的特徴からみる先進性,成熟性,希少性(学術的位置付け)
    • 記念性
  2. 文化的評価
    • 芸術性,観賞性,設計者の意図
    • 地域文化への貢献
  3. まちづくり上の評価
    • シンボル性(ランドマーク)
    • アイデンティティの形成,地域振興
    • 誘発性
  4. 機能的評価
    • 建物位置,利便性
    • 安全性(耐震,防災,防犯等)
    • 快適性,環境負荷
  5. 経済的評価
    • 土地利用,施設利用状況
    • 維持管理費,不動産価格(および将来的な費用対効果の可能性)

文化的景観・歴史的風致(地区)

定義典拠
採掘・製造,流通・往来及び居住に関連する文化的景観の保護に関する調査研究会『都市の文化と景観』(2010)
同会報告[文化庁]
地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律[国土交通省]
対象
文化的景観.ものさしにあてはまるもの(と思う)
ものさし
    1. 一定の場・空間に所在し,自然的・歴史的・社会的主題を背景とする一群の要素が全体としてひとつの価値を表していること
    2. 諸要素の関係及び機能が,現在に至るまで何らかの形で維持・継続されていること
    3. 記憶・活動・伝統・技術等の無形の要素に特質が観られること
    4. 一般に広く受け入れられていること
    1. 景観が歴史的・社会的に重層して形成されていること(景観の重層性).例えば
      • 都市の計画又は設計理念が明確かつ特質を持つこと(例:金沢市街地)
      • 計画の全部又は一部が地割(緑地を含む)として残存していること(例:宇治)
      • 過去の計画における土地利用の区分が現在の地割に影響を与えていること(例:萩市街地)
      • 各時代に計画的に配置された街路・水路等の都市の骨格を表す痕跡が残存すること(例:堺環濠都市)
    2. 景観がある時代又はある地域に固有の伝統・習俗,生活様式,人々の記憶,芸術・文化活動の特徴を顕著に示し,象徴的であること(景観の象徴性).例えば,
      • 地域における伝統や習俗等によって象徴的な意味を持つこと(例:高山市街地)
      • 地域の人々の記憶の中で象徴的な意味を持つこと(例:平和通り)
      • 芸術・文学などにおいて多様に表現されていること(例:城崎温泉街)
    3. 特定の場所とそこで行なわれる人間の行為(活動)との関係が景観形成に影響を与えていること(景観の場所性).例えば,
      • 地域特有の生活・生業等によって独特の特性を持つ場所であること(例:巣鴨地蔵通商店街)
      • 地域社会・信仰等の観点から意味ある場所又は聖なる場所であること(例:浅草界隈)
    4. 諸要素が形態上・機能上,有機的な連関を顕著に示し,全体として一つの価値を表していること(景観の一体性).例えば,
      • 自然環境とその持続的な利用システムが景観形成において重要であること(例:四万十川流域)
      • 地域におかる社会的・経済的なつながり又は諸制度(例えば,産業地−都市−港湾,都市−農村−産業−流通等)が,計画的・非計画的であることを問わず,全体として景観形成において重要であること(例:佐渡金山)

建造物

定義典拠
日本建築学会「建造物の評価と保存活用のガイドライン
ものさし
5つの基本的価値
  1. 歴史的価値
  2. 文化・芸術的価値
  3. 技術的価値
  4. 景観・環境的価値
  5. 社会的価値

産業遺産−推薦産業遺産(産業考古学会,1985)

定義の典拠
産業遺産(Industrial heritage):国際産業遺産保存委員会(TICCIH)のニジニ=タギル憲章

Industrial heritage consists of the remains of industrial culture which are of historical, technological, social, architectural or scientific value. These remains consist of buildings and machinery, workshops, mills and factories, mines and sites for processing and refining, warehouses and stores, places where energy is generated, transmitted and used, transport and all its infrastructure, as well as places used for social activities related to industry such as housing, religious worship or education.

産業遺産(Industrial heritage)は,歴史的,技術的,社会的,建築的または科学的価値のある産業文化の遺跡(remains)で構成される.これらの遺跡は,建物や機械,工場,鉱山およびその処理・精製の​​ための施設,倉庫,店舗,エネルギーを生成・送信・利用する施設,輸送,それらすべてのインフラ,産業に関係する社会活動のために使用される場所(住宅,宗教礼拝,教育施設など)により成り立っている.(nagajis勝手訳)

産業技術の歴史を実証する遺跡・遺構・遺物の総称(産業考古学会『日本の近代を開いた産業遺産 推薦産業遺産1985〜2010』P197)
推薦産業遺産制度:産業考古学会公式サイト

「産業遺産の多くが,文化財保護法などによる有効・安定な保存措置を受けていない現状を考慮し,「保存を必要とする重要な産業遺産のうち,国あるいは地方自治体による文化財指定を受けていないもの」について,本学会が独自に選定・推薦を行って発表」(『日本の近代を開いた産業遺産』P197,強調nagajis)

対象
具体的には「北見市のハッカ取卸油生産機械群」「住友赤平立坑櫓と関連資料」「積丹半島泊村の田中の袋澗」等々.機関車単体,設計図面と関連資料等も.
ものさし
会員推薦を審議し認定

近代土木遺産−選奨土木遺産(土木学会,2000)

出典典拠
「日本の近代土木遺産−現存する重要な土木構造物2800選−」(土木学会,2005)
土木学会公式サイト「選奨土木遺産
対象
土木構造物.
  1. 橋梁
  2. トンネル
  3. 水門(樋門・閘門)
  4. ダム(砂防,水道,発電,農業)
  5. 河川構造物(堤防・堤),海岸・港湾構造物(防波堤・灯台)
  6. 発電・水道施設
それぞれに対し3つの評価軸で評価.
  1. 技術
    1. 年代の早さ
    2. 規模の大きさ
    3. 技術力の高さ
    4. 珍しさ
    5. 典型性
  2. 意匠
    1. 様式とのかかわり
    2. デザイン上特筆すべき事項
    3. 周辺環境との調和
    4. 設計当初のデザインに対する意識の高さ
  3. 系譜
    1. 地域性
      1. 気象
      2. 地形・地勢
      3. 材料の供給
      4. 運輸状況
      5. 地場産業
      6. 起業意識
      7. 外交・行政
      8. 人脈・技術者
    2. 土木事業の一環としての位置付け
    3. 故事来歴
    4. 地元での愛着度
    5. 保存状態

      について,構造種別に評価,A〜Cのランク付け.

機械遺産(機械学会,2007)

対象
Site(機械遺産のある歴史的な風景)
Landmark(機械を含む象徴的な建造物・構造物)
Collection(保存・収集された機械)
Documents(記録に残る機械関連文書類)
評価
  1. 機械技術発展史上重要な成果を示すもの
    • 機械技術で独創性または新規性のあるもの
    • 品質または性能が優秀なもの
    • 機械技術の進歩発展の過程において一時代を画したもの(改良発達)
    • 新たな産業分野の創造に寄与したもの(波及効果のあったもの)
    • 設計上特筆すべき事項のあったもの
    • 日本のものづくりの心と技を端的に示すもの
  2. 機械技術で国民生活,文化・経済,社会,技術教育に対して貢献したもの
    • 国民生活の発展,新たな生活様式の創出に顕著な貢献のあったもの
    • 国民生活・文化に貢献したもの
    • 地域の発展と活性化に貢献したもの
    • 社会,文化と機械技術の関わりにおいて重要な事象を示すもの(最初,最古のもの)
    • 動態保存で現在も活用されているもの
    • 製造当初の姿を良く留めているもの
    • 意匠上特筆に値するもの
    • 機械技術の継承を図る上で重要な教育的価値を有するもの

重要科学技術史資料「未来技術遺産」(国立科学博物館,2008)

典拠
H12「産業技術史資料の評価・保存・公開等に関する調査研究」
ものさし
  1. 産業技術史上重要な成果を示すもの
    1. 産業技術の発展の重要な側面及び段階を示すもの
    2. 国際的に見て日本の産業技術発展の独自性を示すもの
    3. 新たな産業分野の創造に寄与したもの
    4. 地域等の発展の観点から見て記念となるもの
  2. 産業技術を次世代に継承していく上で重要な意義を持つもの
    1. 日本のものづくりの心と技を端的に示すもの
    2. 我が国産業技術の発展に貢献した代表的人物の創造的活動の事跡を示すもの
    3. 試行錯誤,失敗の事例など産業技術の継承を図る上で重要な教育的価値を有するもの
    4. 次世代の技術者となる若者の創造性や技術開発意欲を高めることに貢献するもの
  3. 国民生活,経済,社会,文化のあり方に顕著な影響を与えたもの
    1. 国民生活の発展,新たな生活様式の創出に顕著な貢献のあったもの
    2. 日本経済の発展と国際的地位の向上に一時代を画するような顕著な貢献のあったもの
    3. 社会,文化と産業技術の関わりにおいて重要な事象を示すもの

情報処理技術遺産(情報処理学会,2009)

典拠
対象
  1. 技術史的成果・製品
    • その時代において独創性または新規性が著しかったもの
    • その時代において性能が格段に優れていたもの
    • 情報処理技術の発展過程において一時代を画したもの
    • 新たな産業分野の創造に寄与したもの
    • 技術的波及効果の大きかったもの
    • 製造技術上特筆すべき工夫があったもの
    • 日本あるいは世界の標準的な技術となったもの
    • 日本独自の技術で他国に類を見ないもの
    • 最初あるいは現存する最古のもの
    • 動態保存されあるいは製造当初の姿をよく留めているもの
    • 意匠上特段の創意があるもの
    • 情報処理技術の継承を図る上で重要な教育的価値を有するもの
  2. 生活,文化,経済,社会に著しく貢献した情報処理技術・システム
    • 国民生活の発展,新たな生活様式の創出に顕著に貢献したもの
    • 社会,文化と情報処理技術の関わりにおいて重要な事象を示すもの

でんきの礎−礎賞(電気学会,2008)

典拠
ものさし
  1. 技術史的価値
    電気技術の発展史上重要な成果を示す物件,史料,人物,技術,場所など
    1. 未来技術に貢献をしたもの(途中で埋もれた技術も含む)
    2. 独創的で第一号になったもの<礎賞>
    3. 世界的業績になったもの
    4. 技術革新をもたらしたもの
  2. 社会的価値
    国民生活,経済,社会,文化のあり方に顕著な影響を与えたもの
    1. ライフスタイル,コミュニケーション方法を変え,新しい文化を築くなど,社会変革をもたらしたもの
    2. 広く世の中に普及し,一般的となったもの
    3. 伝記に関連する産業あるいは事業に著しく貢献したもの
    4. 世界標準になったもの
    5. 循環型社会を支える技術のさきがけとなったもの
  3. 学術的・教育的価値
    電気技術を次世代に継承する上で重要な意義を持つもの
    1. 新しい概念の提案,電気理論の構築を行なったもの
    2. 学術として電気工学に貢献したもの
    3. 電気工学の教育に大きく寄与したもの

化学遺産(日本化学会,2010)

典拠
対象
  1. 化学の発展史上重要な成果を示すもの
    • 独創的または新規性のあるもの
    • 進歩発達の過程において一時代を画したもの
    • 新たな市場,産業分野の創造に寄与したもの
    • 技術革新を伴う原料転換によって化学工業の発展に寄与したもの
  2. 国民生活,文化,経済,社会,教育に対して貢献したもの
    • 国民生活の発展,新たな生活様式の創出に顕著な貢献のあったもの
    • 社会・文化の発展,地域の活性化に貢献したもの
    • 歴史的遺産として保存され,当初の姿をよく留めているもの
    • 動態保存で現在も活用されているもの
    • 化学の継承を図るうえで重要な教育的価値を有する歴史的遺産
ものさし
  1. 対象物が,独自性を有すること(たとえば,日本国内で初めて開発されたもの,日本国内で初めて生産されたもの,現存する最古のもの,国際的に見て独自性があるものなど)
  2. 化学史上に重要な位置を占めるもの
本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [nagajis本を買いに行ったのに置いてなかった。残念。 廃道3はあるのになあ。 ちなみに検索機では「ゲーム攻略本」にカテゴライズされてましたよ。]

_ ocoze@三重 [写真のありか発見しますた。長浜大橋と神通川橋梁の間の川にプカプカしてますた。 すべての人がネットを使える訳ではないですが,こういう紙とネットのハイブリッド書籍というのもいいですね。]

_ ocoze@三重 [禅海の項の補足訂正がリンク切れしてます。]


2012-12-02 この日を編集

[独言][ToDo] ならず

大正拾年 県令第三八号土木工事取締 土木課 1-T10-50d 556004014

県令第三十八号ニ依ル土木工事取締一件 1921 1-T6-51 556003649

県令第三十八号ニ依ル土木工事取締一件 1921 1-T6-52 556003650

県令第三十号ニ依ル土木工事取締一件 1921 1-T6-53 556003652

なんでやねん、とツッコミ2発。bookid=100290565と100290567が一緒なのはどういうわけか。なんで一つだけ37号なのか。

検索の陥穽を躱せ!>nagajis。

[独言][索道] 洞電

軌道申請の理由はブラフじゃなかったようなんだが、ぽしゃった辺りからいろいろダメになったっぽい。当初目的が神童子山材の搬出だったからにはそれが下火になればグッと落ち込むのは道理だろう。

[] 各社

大軌は無視する。

大和索道第20期 T9.10.1-T10.3.31
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290565&tocid=0&page=170&pageseq=170
大和索道第21期 T10.4.1-T10.9.30
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290565&tocid=0&page=186&pageseq=186
大和索道第22期 T10.10.1-T11.3.31
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290565&tocid=0&page=242&pageseq=242
大和索道第23期営業報告書
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290565&tocid=0&page=344&pageseq=344
三芳索道 第一期事業報告書 大正11年下半期
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290565&tocid=0&page=391&pageseq=391
吉野水電 第21期事業報告書 自大正11年6月1日 至大正11年11月30日
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290565&tocid=0&page=405&pageseq=405
大和索道 第24期営業報告書 自大正11年10月1日 至大正12年3月31日
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290565&tocid=0&page=440&pageseq=440
長谷鉄道株式会社 第13回営業報告 T11月4月1日 至大正12年3月31日
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290565&tocid=0&page=470&pageseq=470
大和索道 26期 T12.10.1-13.3.31
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290565&tocid=0&page=528&pageseq=528
長谷鉄道 第14回 T12.4.1-T13.3.31
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=2&pageseq=2
宇治川電気 T5下 第21回
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=37&pageseq=37
宇治川電気 T6上 第22回
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=43&pageseq=43
宇治川電気 T6下 第23回
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=49&pageseq=49
宇治川電気 T7上 第24回
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=55&pageseq=55
宇治川電気 T7下 第25回
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=55&pageseq=55
宇治川電気 T9下 第29回
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=67&pageseq=67
宇治川電気 T10上 第30回
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=75&pageseq=75
宇治川電気 T10下 第31回
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=82&pageseq=82
宇治川電気 T11上 第32回
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=89&pageseq=89
宇治川電気 T11下 第33回 (合併後)
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=97&pageseq=97
宇治川電気 T12上 第34回
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=105&pageseq=105
神戸市に送電開始 4.12より 最大3500kWを供給
宇治川電気 T9上? 
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=114&pageseq=114
吉野水電 第23期 T12.12.1-T13.5.31
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=118&pageseq=118
東邦電力 大正13年上半期 T12.11.1-T13.4.30
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=154&pageseq=154
宇治川電気 第36回 T13.上
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=169&pageseq=169
大和索道 第28期 T13.10.1-T14.3.31
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=191&pageseq=191
長谷鉄道 第15回 T13.4.1-T14.3.31
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=220&pageseq=220
大和索道 第29期 T14.4.1-T14.9.30
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=260&pageseq=260
三芳索道 第7期 T14下
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=303&pageseq=303
東邦電力 T15上 T14.11.1-T15.4.30
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=317&pageseq=317
吉野水電 第27期 T14.11.1-T15.5.31
http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100290566&tocid=0&page=330&pageseq=330

[] 柳田国男全集12 家閑談 解説

文庫の解説を読むことはあまりないのだが、珍しく読んだこの巻の解説は良かった。 柳田国男はさりげなく娘視点で論を展開していること、それが戦後まもなくの新しい時代に書かれたものであること等々、気づかずにいたこと、そうだと認識しないまま理解していたこと(そう言われてみれば思い当たる節が多々ある。「妹の力」とか)を端的に指摘された。解説は須くかくあるべし、と思わずにいられない。

かつては女性が衣・食を分配する権力があった->嫁を迎えるということは次期権力者を迎えるということ->家の存続繁栄が至上であった時代には特におおごと・慎重にならざるを得なかった->恋愛結婚の抑制という流れなのだな。それが戦後になって家父長制度へ疑義が突きつけられ家による拘束が緩んだ結果、自由恋愛の復権となり、さらにそれがオーバーランしたのが今日だということになる(もちろん間にもう少しいろいろあるはずだけど)。果たして翁はそこまで見抜いただろうか? いやいや、処世の武器として「さかしさ」を授けようとした翁だから、それで万事上手く行くと信じていたに違いない。残念ながらそうはならなかった。

一度も会ったことがない2人が見合い結婚するというようなことは、本来とても稀なことで、知った仲から発展して結婚に至るのが一般民衆にとってのごく普通だった(娘宿・若集宿とかヨバイとか。もっと遡れば歌垣のような積極的な求愛もあった)。それが特に家柄を重んじていた上流階級のやり方に影響され、真似、かぶれていった結果、見合いでなければならない・お偉い仲人がいなければならない・そしてそれが日本古来的、というような意識が広まったと。今は逆にお見合いなんて・・・というイメージがあることだろう。これもまた近代ならではの一過渡現象だったと言えるのかも知れぬ。

[KINIAS][橋梁][煉瓦] 加古川見学会

思えばKINIASに入って初めて行った見学会が加古川だった。今から5年も前のこと。そこで見たニッケの工場も平木橋もすっかり姿を変えた。感慨が沸かないわけがない。

画像の説明

変わるものは致し方ないので、新たな出会いを喜ぶほうがいい。加古川橋。増田淳設計のPG桁。大正12年竣工。確か増田の設計橋梁でも最初期のものだったように記憶する。

画像の説明増田淳設計と聞いて俄然特別扱いするのもどうかと思うが、実際そう思ってしまったのだから仕方ない。90年近くも国道2号の交通量を支えてきたのだし。さすがにI鋼で補強が入ってたり、ガーダーの補剛材の根元が腐りかけていたりはするが、大部分は頑健そのものという印象を受けた。この桁から関東大震災の年の空気を嗅ぎ取ることはできない。

この橋も手狭になってきて、じきに架け換えられそうな梅塩。昔だったら他所に持っていって橋に使うことができただろうが、今じゃそれも望み薄だ。できないわけではないが橋として利用することはないだろうと思う。わざわざリベット外して打ち直してなんてしてられないだろうからな、経費的に。記念に一部が保存されるか、形ばかり真似た橋らしくない橋になってしまうんだろう。


2013-12-02 この日を編集

[料理] 12/2朝

いつものトースト。作りおきの高野豆腐煮物。野菜スープwith高野豆腐。だし巻き卵は弁当にも入れるために作ったが、ちと失敗してしまった。そのうえ卵を一つ流しに落として無駄にしてしまった。弁当用に酢豚。

[料理] 12/2夕

一週間前に豚肉を贖っていたのを思い出し、慌てて生姜焼き風のものを作ってみる。しょうが一かけをすりおろし、細切れ+スライス玉ねぎと合わせて寝かせたあとエリンギ、にんじん、えのきと炒める。炒めながら味を見て味付けしたのでそれなりに整ったが、場当たり的・再現不可能な味付けのものを料理と言っていいものかどうか。そのほか頂きものと並べて食す(PCを落としてしまったので写真は省略)。

そろそろ青物が尽きてきた。赤・茶・白ばかりの料理はやはり寂しい。

[奇妙なポテンシャル] #327

画像の説明社家町のはずれにて遭遇したライド。ロシアの公園遊具として紹介されても信じてしまいそうな気怠い佇まいをしている。滲み出るような怖さがないお蔭でここは日本だという現実に引き戻される。

強化プラスチック製。頭が半分に割れている。


2016-12-02 この日を編集

[煉瓦][煉瓦刻印] フィラデルフィア チェンバーブラザーズ社製煉瓦製造機

岸煉が大正初期に導入していた煉瓦製造機。米国チャンバーブラザーズ社製。同社20周年記念誌のこの写真は写りが悪くて(そもそも閲覧用に複写されたやつだったので孫コピー劣化してる)機構がはっきりわからなかった。

ふと思い立ってphiladelphia chambers brothers brickとかなんとかいうワードで調べたら、同社の煉瓦製造機のパンフレットが出てきた。

パンフは1892年(明治25年)発行だから、岸煉が採用した時期より20年ほど古いけれども、写真のとシルエットがそっくりだし、そもそも煉瓦製造機なんてそんなに日進月歩してないような気もする。

スポークの入ったホイールで切断するっていうのは想像通りだが、ホイールの中心軸の位置が違った。押し出される粘土の真上ではなくて、その横っちょ上方にある(ラインの脇に設置する感じ)。となると切断面の傷は右図のように小口に抜ける斜め線になる。

つまり、こんな感じ。この筋のつきかたであればチャンバーブラザーズ社製煉瓦製造機で作られたもの≒岸煉製といえる。他の会社が何処のを導入していたかにもよるけど、それは調べる手立てがついていてゲフンゲフン。


2017-12-02 この日を編集

[独言] 漠然とした(健康への)不安

どうもここ1ヶ月ほど潜在的体調不良である。あからさまに痛かったり動悸がしたりするわけではないのだが寝ても寝ても寝ても疲れが取れないのである。食っても同様だ。昨年の今頃あるいは半年前と比較してみても明らかに披露している。疲労し続けている。明確な回復フェーズがないままずるずると生きているだけのように思われる。

それなりに栄養のあるものを満足に食べているつもりだし(キャベツの千切りは除外してもだ)別に体力仕事をしているわけでもないのだけれども、何というかこう、漫然と疲労している感じだ。右目の視野がおかしいのもその絡みなんじゃないかと思う。眼圧が高くなってるとか低くなってるとか云うあれ。

ビタミン類の不足だろうか。今まで意識して摂ったことがなかったが貯金が底をついたのかオイル切れを起こしたかであるのかも知れぬ。一度病院へ行ったほうがいいのかも知れぬ。

疲れることには吝かでないがその結果としていろんなことが面倒になるのが困る。あれしたりこれしたりせなあかんねん。でも疲れているのでやる気が起こらず食って寝ての生活に陥りがちだ。困ったことだ。


2018-12-02 この日を編集

[きたく] 好日

珍しく、まことに珍しく何の不都合も起こらなかった一日。長閑な陽光を浴びながらほべーっと散歩した、そんな一日。

画像の説明

この間のつどいで橿原神宮整備事業に触れたので久しぶりに訪れてみた。橿原道路元標は以前のとおり。最近GoogleMapsで道路元標の位置が表示されるようになったみたいだが彼の存在はガン無視されている。哀れなものである。この調子だと川上村道路元標も無視されていることだろう。ここで文句をひと鎖投げそうになったがやめておく。そういうイガイガした気分は今日の散歩の気分にふさわしくない。

目的は天満村箸喰の奈良煉瓦。戦後から30年代まで煉瓦を作っていたらしい場所。なんとなく気になって行ってみる気になったのだ。天満村の大半はいま大和高田市になっているけれども、その東の端の方にあった箸喰は橿原市に編入されて光陽町と名を変えている。工場所在地番所は川の西側なのだが箸喰の本村は東側の小山の麓だ。

画像の説明画像の説明

その旧本村のなかを歩き回れば早や焼損煉瓦のなうおんせーる。建物の基礎に使われているものもあれば畑の縁石になっているものもあり、また単体で転がっているものもある。それどころか焼損煉瓦を腰壁に使った納屋があったりもする。この旧村を歩いた時点で今日の目的は9割方達成した気分。

画像の説明画像の説明 そうして縦貫県道に戻ったところでもっとわかりやすい壁を発見。ここまでふんだんに&明らかに焼損な煉瓦を使ってあるってのは近くに煉瓦工場があった証であるだろう。ストリートビュー見てたら気づいていたかも知れないが、そんな勿体無いことはしていない。現場へ行って偶然見つける嬉しさをはじめから捨てるようなモンダミン。

ここに使われている煉瓦は208mm前後×95mm前後×56mm前後で通常サイズより一回り小さい。JISサイズで型枠作って焼いて縮んだみたような感じ。すべて手成形で刻印はない。爛れ切ったものもあれば旱魃で干上がった池の底のように亀裂っ亀裂なものもある。

工場所在地番地はそこだけが畑になっている。畑というより空き地の一角で家庭菜園をしているという感じ。そこにも焼損煉瓦や瓷の破片が散っていた。

画像の説明

煉瓦は小ぶりのものが多かったように思う。上手く焼けているものは上手く焼けているし(そりゃそうだ)稼働時期が現在に近いので盆地で見られる同様の煉瓦はここに擬してよいのかも知れない。奈良盆地で刻印煉瓦を見るのは稀なほうである。

その後根成柿の辺りまで行って天満神社を一回りして坊城へ向かった。道すがらでは小島煉瓦をひとつ検出したのみ。煉瓦自体少なかった気もする。そうして予定を変更して大和高田の市街地を歩き回った。結果的にはその判断、間違っていなかったようで、初めて見る煉瓦刻印をひとつ検出したりなどした。そのへんはまた後日気が向いたら。

[ph.] かあいそう

画像の説明

わんちゃんかあいそう。もとから逃げられない彼なのだから苛苦を塗り重ねるような仕打ちをしなくてもいいのに。


2019-12-02 この日を編集

[煉瓦] 草津の煉瓦

I君には「大したものがなかった」などと言ってしまったけれども、帰って整理をしてみたら、どうしてどうしてな結果であった。 画像の説明 画像の説明

例えばこれ、大野煉瓦。刈谷の授産所を源にもつ愛知県の老舗工場の製品。明らかに愛知県製という煉瓦を関西地区で見つけたのは初めてだ。今まではせいぜい三重止まりだった。

(いまは保線車両置場になっている?旧線路時敷に転がっていて、望遠で目一杯ズームして撮って、持ち帰ってシャープかけてみてやっとわかった。 ISO下げとくべきだったな。半田カブトビールで見つかっていたやつは漢数字だったけど、これは英数字で縦書きしてあるようで、そこだけ若干の不安がある) 画像の説明

これも現地ではよくわからなかった。手前にプランターが置かれてあって、暗いし近寄れないしで写真だけ撮ってきたのだ。現地では「ほっそい三日月?」とか思っていたのだけれども、 画像の説明

こうやって見た時に「なんか見覚えがあるぞ・・・」と気づいた。そうなんだ、愛岐トンネルでこれが見つかってるんだ。https://aigi-tunnel.org/09A/brick.htm の最後のやつとか、https://aigi-tunnel.org/images/renga/renga_kokuin.png の上三段目左二番目とか。使用会社は不明だけれど、愛岐辺りと草津とを関連付ける重要な刻印なわけだ。(しかしこの印、何を表しているんだろう? 保存再生委員会さんのサイトの写真を拝見しても天地があってるかさえわからん。にらめっこしているうちになんだかほっかむりをしたおっさんが突っ立っているのを俯瞰で描いた図のように見えて仕方なくなってきた。顔に見える辺りは漢数字ぽいのだけど)

刈谷市から草津まで煉瓦を運んでくることを考えた時、東海道線回りでも関西鉄道路線でも行けなくはない。東海道線に載せれば一発だが若干遠回り。関西鉄道は名古屋で載せ替えたか四日市辺りまで船で運んでからでもいいのかも知れぬ。そして多分関鉄は煉瓦輸送に割安な貨物運賃を設定してた(ココのどっかに書いたぞ)。そうして米原や長浜で愛知県産煉瓦を見てなくて、それで草津で見つかったってんなら、草津に直に着く関鉄ルートにレイズちうことになる。

しかし、関鉄沿線でも愛知のは見てないしな・・・。草津でピンポイントに見つかっているという状況なんだ。こりゃもっと範囲を広げて調べんといかんな。

(ていうか、草津まで来てるんだったら京阪神まで送ってても良さそうなんだけど。少なくとも阪神地区では見ないでござるよ>愛知産)

[道路元標] 宇治町・草津町道路元標

画像の説明

草津隧道の前の辻(東海道と中山道の分岐点)に道路元標があることを、一昨日に初めて気づいた。十何年か前の松の内に草津隧道跡を見に来た時には気づかなった私である。少しは成長したようである。 画像の説明

それで思い出したのだが宇治駐屯地のイベントに行った時にも元標が立っているのを見つけてたのだった。駐屯地のひとつ北の辻だ。

滋賀県の元標は裏に「滋賀縣」とあった。宇治のは確かなかった気がする。国道路線なんだからそりゃそうか。

[独言] ACアダプター

TF101のACアダプターを無くしたかと思って焦った。そうなんだ、これは15V出力だから普通のUSB給電アダプターじゃ充電してくれないんだ。それで壊れて慌てて書い直したのが今使っているやつだったじゃないか。

[独言] 専門家と素人

考古学で煉瓦に関わっている方の多くは、法律上は?文化財になっていない煉瓦が出土して、その扱いに悩んだ結果、独自に研究を始めたという方が多い。構造物は文化財になる可能性があるが、壊れた構造物だとか遊離煉瓦とかは文化財にはなりにくい。でも捨てておくわけにはいかない。どうしたらいいだろう、という感じで始められた方が多いようだ。結果、考古学についての広範な知識に立脚して、その範囲から逸脱し気味な煉瓦を扱おうということになる。とりあえずは出土したモノの素性がわかりさえすればよい、と言ってしまうと言い過ぎになるだろうが、段階的にはそういうところで、研究が東西で蓄積されてきたのでさらにその先へ進もうとしてはるのが今回のつどい。

自分はどうだろう、と考えてみた時、まず第一に立場が違い、知識のベースも違う。ものに対する責任の軽重もある。私は煉瓦のことだけ考えておればいい気楽な立場である(無論間違ったことは言いたくないが、間違った結果恥をかいたり糾弾されたりするのは厭わない)。そのかわり?あらゆる煉瓦に興味が向いていて、むしろモノよりも背景に興味がいっている。会社の履歴とか市場とかを明らめるためにモノをみている。

同じようで違うアプローチなのかも知れない。大阪梅田から天王寺に行くのに環状線使うか御堂筋線に乗るか、環状線でも内外どっちで行くか、みたいな。あるいは電車とバス徒歩くらい違うかも知らんな。あたしゃ徒歩が好きだから。

そうして、考古学分野の研究が進めば、nagajisは要らなくなる。これは確実にそうなる。そうなってほしいと願う。 心のパンとして煉瓦を食っていられればそれでよいので、いつまでも素人が大きな顔してちゃいかんわーと思う。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [煉瓦刻印ですが、家紋風に見えますね。4時付近が下か。植物か波か。社長が竹田さんとか三波さんとか。旧大名家が出資したので家紋が社章になったとか。]

_ nagajis [家紋ですか!考えてなかったなあ。こんな繊細な刻印は珍しいので、ぜひ追求してみたいものです。]


2021-12-02 この日を編集

[橋梁] 増田淳

画像の説明

増田淳という人は、三次元での見え方をきちんと把握したうえで橋梁を設計していたんではないか、と気づく。人間が実際にその場所に立った時にどのように見えるか、を正確に頭に描くことができたのではないか。ルドルフ・アグリコーラの設計の瑕疵に涙を零した貝塚峯太郎みたいな。

十三大橋の5連のアーチスパン。連の末端にテラスが設けられている。そのテラスに立ってアーチを見ると、門構のグリルの歯車模様が空に透けて見える。車道や他の場所からも見えないことはないが、背後に横構や対傾構が交錯してしまってはっきり視認することができない。またアーチの端の垂直材も比較的目障りでない角度で対峙することになる。この垂直材とブレーストのアーチ材2本との織り成す主構造線がまことにダイナミックで美しくもある。視点場として最適な位置にテラスがある。

画像の説明

穴吹橋のランガートラス。ランガー桁の主塔部てっぺんにとんがった構造材が載っている。ランガー桁の端に立つとそれがよく見える。これがあるお陰で遠くから見た時にランガー桁の上向き凸がさらに鋭敏に見えるようになっていて、非常に効果的なアクセントになっているのだが、間近で見ても見えるようになっているのは案外当たり前のことじゃないんじゃないかしらん。

どちらの橋も、橋の路面に立った時に「大きな空間」を感じる。橋に包まれているというか、守られているというかな感触。桜宮橋や永代橋もいい橋だけど、橋に立った時渡る時に威圧感を感じる。力があふれかえっているように思える。増田の設計した橋には、それがない。橋を渡る人がどう感じるかまで考えて構造やら部材の大きさやらを選んでいたんじゃないかと思う。でなきゃあの非凡な感じが説明できない。


トップ «前の日(12-01) 最新 次の日(12-03)» 追記