nagajisの日不定記。
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すっかり忘れていたのだが、堺紡績って煉瓦使っていたんだろうか。錦絵では煉瓦とも切石積みとも見得るてれこ格子の壁なんだけどさ。あれが当初からのもんかどうか。
幕末の頃に鹿児島藩が堺の土地を買って、そこに紡績所をつくった。国内で2番めに古い紡績所。機械は明治初年に購入され、その年の暮れまでに据え付けられたそうである。だとすると建屋もその頃にはできていて良さげなもんだ。だとするとすでにその頃から煉瓦があったことになる。操業開始はM3年らしい。
鹿児島藩は奄美大島に製糖工場を作って、そこでウォートルスが煉瓦製造を指導した。そうして堺に紡績工場by鹿児島藩ができる。明治2-3年頃函館会所跡に作られた工場は後に鹿児島県人原口某に払い下げられて。この時期妙に鹿児島県人の色が濃いのである>堺。あーでも堺の瓦屋・原口仲太郎だったりするからなあ。
堺紡績所の技術はイギリス経由。機械もイギリス製。んなら煉瓦のリファレンスもイギリス製であってよい。ていうかウォートルス指導の流れを汲んでStuffordshire製で構わない。ではなくて、フランス形類似の並形が流行するのは何故なのか。
1尺=10寸=正確に100/33cmと決まったのは明治24年。それ以前に違う換算してたりしたら目も当てられないな。水母の骨で睫毛の長さを測るような掴みどころのなさ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2627880/41
「全国銀行会社統計要覧」大正元年発行。この中では×印が否定的な意味で使われている。問い合わせして折り返し資料が送られてきたがその内容に疑義があるため掲載しなかった、というやつに×印がつけてある。とはいえ同書では、問い合わせしたけど梨の礫だった会社に*印をつけていたりもする。ともかくいま自分が見つけられている最も古い×印はこのへんだ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780104/41
「日本紳士録. 第16版」M44版。これにも×印が使われているが特に悪いイメージはない(その人が支払った営業税のヘッダー記号に使われておる)。直感ではこういう統計書とか紳士録とか会社名鑑なんかで×が出てきそうなヨカンがある。統計書はずいぶん見たけれど×印は見かけなかった気がする。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/760893/37
オマケで気づいたことが一点。暦に「伐日」というものがある。「ばつにち」「ばつじつ」というらしい。下のものが上のものを覆す良くない日だそうだ(干支の巡りでいえば「きのえ」とか「きのと」とか)。「ばつ」という言葉自体には悪いイメージはあったのかも知れず、それと×記号とが結びつくのがいつだろう? というところに最も興味がある。上記リンクはM12発行の暦の本。
そういや「バツが悪い」というけれど、あのバツは跋のこととか場都合の略だとからしい。「×=悪い」じゃねえんだな。