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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2007-10-26 この日を編集

作業らしい作業をせずに寝る、という報告。とりあえずは生きている。


2009-10-26 この日を編集

[独言] 利根川の治水

明治33年の河川法の成立によって国が利根川を管轄することになり、直轄改修工事が始まった。明治33年に千葉県佐原から河口までの期間を第一期工事として着手。第二期は佐原〜取手まで。明治40年。埼玉県がからむ第三期は取手〜群馬県沼之上間、明治42年度から着手することに。

が、明治40年8月に利根川・荒川の大水害が発生。これを受けて第二期工事と第三期工事の同時進行が目論まれ、42年から始まったものの、その翌年に過去最大の大水害に見舞われてしまう。

この水害で埼玉県の1/3が水没したとされる。国の改修工事もこのような大規模災害を想定していなかったため改修計画そのものの抜本的見直しが必要に。改めて荒川改修も含む計画が建てられ、明治44年4月に告示。改修は昭和5年までかかっている。

河川法成立で利根川改修費が浮き、他の河川の改修に予算を回せるようになった埼玉県ではあるが、全く負担がなくなったわけではなく、度重なる洪水でかえって負担金が増えてしまった格好。枝川の改修も利根川が片付かない限り実効的なものにはならず。というか改修しなければならない河川が多過ぎて予算の奪い合いになっている。そんななかで渡良瀬川、大落古利根川の改修がなされている。前者は他県との絡みもあって無理矢理?通過、後者はいったん明治37年度からの3年間計画で出され、これも強い反対を押し通して成立したが、日露戦争の勃発でお釈迦になり、再度39年度〜42年度と4カ年計画で可決・実行されている。村田の初任地が大落古利根川の改修工営所であった。

43年8月10日〜の洪水で大規模な被害が出たところの一つに中条堤(ちゅうじょうづつみ)がある。これはフカダソフトさんに詳しい説明がある。利根川の一支流・福川に沿って作られた堰堤で、利根川が洪水となった時に遊水池(とその堰堤)となって洪水調節機能を果たしたもの。43水害ではこの堤も切れた。というか利根川べりの堤はもとから欠けがあってそこから溢流する仕組みだったわけだが、それが大きく破損した。

明治43年8月20日、村田は「中条工場」勤務を命じられている。ずっとfactoryの工場だと思っていたがそうでなく中条堤の工事現場ということらしい。堤は江戸時代からあって長く論争が絶えなかった場所(堤を高くして水害に備えたい下流側と、できるだけ低くしておいてほしい上流側との対立)で、この復旧工事の時も一悶着あったようだ。これも説明すると長いが、県会における工事予算決定が我田引水的に行なわれたのを島田県知事が是正しようとした(上流にも下流にも県議会の有力者がおって、改修工事に多額の予算を分捕ったのを何とかしようとした)ら、逆に県議会側から反発を受け、前代未聞の「知事不信任案」が動議され可決されてしまった。もちろん実効力はないものだが「法的意味があろうとなかろうと構わん」とかなんとか言って露骨に反抗を唱えたのであった。

そういうゴタゴタのなかで中条堤の復旧は放置された。44年4月になってようやく和解案が成立、復旧工事が講じられている。村田は44年6月23日川越工区へ異動。工事完了までは関わっていないのかも知れぬ。

大正年間にも河川氾濫が多発している。大正6年まではずーっと川しかやってない。ただ工事が細か過ぎて場当たりなものであった感じがする。それを岡田忠彦知事が積極的抜本的大改修計画を立て、大正6年だったか7年だったかから着手される。これが今日の埼玉県に直結する土木事業であった(のではなかったっけか)。居続けていればその工事に関わることができたはずだが、その端緒に就いた頃村田は滋賀県に移る。中澤さんも杉山もこの時期の移籍組。

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Before...

_ nagajis [えーっとメモ書きなのでどうぞ無視してくださいー]

_ とと [ORJ全号買おうかなと思っていたりする…。]

_ 元かすかびあん [「細き流れを集め来て 木を裂き岩を穿ちつつ 大河滔々波をあぐ これ大利根の壮観ぞ」 すごい川だったんですねえ。先人に感謝の埼玉県民です。]


2011-10-26 この日を編集

[ph.] とくにいみはない

画像の説明
フォトショ済。ゴミを撮ろうとしたら自転車にひかれそうになった。もうちょっと遅らせればよかった。

[奇妙なポテンシャル] #257

画像の説明そうですか。残念です。

[奇妙なポテンシャル] #258

君たち大阪人はわけがわからないよ。

不審者情報

10月25日16時12分頃、大阪市阿倍野区美章園3丁目2番付近路上で、女子児童が二人で「404は誰でしょう」とクイズをしながら歩いていたところ、不審者が「404は俺やで」と声をかけ、いずれかに立ち去るという事件が発生
年齢不明、ヒゲずらで、暗い色の上衣に色不明のズボンを着用
地図:http://www.map.police.pref.osaka.jp/index.aspx?type=3&id=43345
不審者を見かけたらすぐに110番通報するか、最寄りの警察署へ通報してください。
発信:阿倍野
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Before...

_ ocoze@三重 [>不審者が「404は俺やで」と声をかけ 知らない子供に一声掛ければ,大阪では不審者なんですねぇ〜。怖い土地やわ。]

_ nagajis [このツッコミでアカンのだったら、何と言えばいいのか・・・。大阪は怖い街ですわ。 道聞いても通報される地域があるので注意です。]

_ 絹路 [ウチの近所だw ココには公設の○心病施設があるからね〜]


2014-10-26 この日を編集

[D] 10/25

詳しい内容を忘れてしまったのだが、世界を救う的なことであったか積年の誤解を解くだったかですっかりいい気分になるという珍しいタイプの夢を見たのだけれども、最後の最後がこれ以上ないという位にひどかった。

お世話になった家で話し込んでいるうち、尿意を覚えたので、ちょっと席を外して厠へ行った私。しかし便器の前でいきんでも出るものが出ない。下腹部の辺りに力を込めてようやく捻り出したところ---それはちょうど目の詰まった細口のマヨネーズ容器をむんずと掴んでその圧力で噴出させたような勢いで出た---、何故か尿の放物線が2筋で、しかも赤い。痛くもある。えっ、と思って自分のものを見直すと、亀頭の尿道の5mmほど上に小さな穴が開いていて、そこからもぴゅーっと出ているのだった。「ひいっ」と小さく叫んだ反射で尿は止まったけれども、開いたもう一つの尿道は厳然としてそこに在る。

なんだこれは。なんでもう一個開いているのだ。本来の尿道の先っちょが塞がっていたせいで別のところが裂けたのか。それとも怪我か。さっきは血尿が出ていたが穴から血がにじみ出ているようなことはなく、しかしその周囲がカシス色にぬめっている。いかにも粘膜然としている。2口になったのはまあいいとしても、いちいちいきまなければならないのと痛いのはかなわんぞ。どうしよう。こういうのは泌尿器科なのか。それとも外科なのか。

ここまできてハッと気づいた。これは夢だ。夢に違いないぞ。尿が出にくかったのもそのせいだ。と思い至ったところで目が覚めた。前半の幸せな気分が全く以て台無しになった。

なお、幸いなことに就寝中に漏らしたりしてはいなかった。その危険を知らせるべくな夢であると考えればnagajisGJなのだが(実際目が覚めて非常な尿意があった)、それにしても加減というものがあるだろう。年を重ねた結果奇っ怪イメージへの耐性がついているとはいえだ。

[独言] そうなのか

画像の説明どの神社だってそうじゃね? と思って撮った写真。使わないと撮ったことすら思い出せない。


2016-10-26 この日を編集

[独言][煉瓦工場][きたく] なんということだ

画像の説明

旧瀬戸町に煉瓦刻印を探しに行ったら、刻印が一つも見つからず、かわりに岸煉瓦跡でホフマン窯が見つかってしまった。日本に現存するのは4基のみと久しく言われ続けていたホフマン窯が、だ。

厳密にいうと楕円形プランのホフマン窯の一端を壊して、さらにそれを区画壁で1/2ほどに切り詰めて鉄砲窯とした状態のもの。オリジナルの形状は間違いなくホフマン窯であったはずでその証拠に真中に煙突が建っている。焼成室は計算があってれば14室。ちがうかも、12室か。

[独言][煉瓦工場][きたく] じつはそのまえに

画像の説明鉄砲窯として建造された焼成窯を見つけていたりしていて魂消る。しかも二つも。今日はいったい何の日だ。

日ノ出煉瓦の鉄砲窯は焼成室も煙道も煙突も綺麗に残っている。焼成室の入り口は多少破壊されているかも知れない。田中煉瓦製造所の(写真)は煙突と長い煙道が確認でき、おそらく焼成室は土で埋め戻されている。側面の煉瓦積みのみ見える状態。この焼成室はわずかながら傾斜していて登り窯っぽく使われていた可能性がある。

期待していた井桁菱Kは一切見つからなかった。特に窯に使われている煉瓦はすべて無刻印。窯に自社製品が使えなかっただろうことを考えるとそれはまあ妥当かも知れないのだが数多検出した焼損煉瓦にもないということは風土的に刻印を採用してなかったということだろうと思う。紫~褐色~灰褐色に変色した煉瓦は時折見かけることがあるのだが、あれが多分鉄砲窯から来たものなのだろうな。

[] 安部公房「第四間氷期」

行きがけに残り半分をよんだ。あの小活字をバスの中で読むもんじゃないな。車酔いしかけた。

おかしい。読んでいないはずなのに結末のあたりにほんのり見覚えがあった。特にイリリがチューリップの中を案内するシーン。足こぎプロペラ車の絵とか見た記憶がある。そのくせ前半の展開はまったく初見のつもりだった。電話の声が誰だかわからなかったもん。

SFに分類されてはいるけれども主題は強烈に読み手に向けられている。未来のことを考えた時に未来の立場になってものごとを考えるのか、それとも現在を未来に軟着陸させるんか。人類滅亡とかいうでっかい話でなくても「未来のために何をするか・できるか」はいつでも誰でも問われてるんじゃないかしらん。時間軸上手の届くような範囲ならば特に。

[独言] 金曜日雨がすべてをぶち壊す

今日はいいとしてもその次がダメダメだ。金曜日が雨のせいでまともな計画が立てられない。どこに行こうとしても制約を受ける。くそ・・・無駄な休みになりそうだ(今日以外は)。

右端の切断面近くの1。隣のビニールハウス脇の1。入った1。その隣に全開口していた1。もう一つ塞がれてたやつがあったはずなんだ。ネコ車とかトロ車輪とか積んであった辺り。そして末端の1。だから側面には開口部が5、末端に1ずつで12のはずなんだ。して北側末端のアールの部分は壊されている。西側は全面埋もれていて南端の1個をのぞき壁による封鎖。煙突はやはり3〜4の間辺りと思う。ともかく藪が酷くて思うように動けなかった。あんなに茨生やすな!


2018-10-26 この日を編集

[独言] 総括

1.出掛けなければ何も得られないという至極当然の現実を再確認。5日目の休養日のダルダルさを忘れてはならない。

2.友ヶ島汽船は晴れて無風でも渡れないことがある(整理券がなくなる)。

3.一度で全部を見たと思うなよ>nagajis。再訪は初訪。新鮮な処方。

4.揖斐川沿いと揖保川沿いは似ている。

4.5.長良川鉄道には1橋だけピントラスが混じっている。

5.久しぶりに担ぐと注意力が散漫になる。越美通洞、有料じゃなくて良かったな。

6.なぜ勝山に宿をとるのか。お陰でナイトランになったじゃねーか。

7.えちぜん鉄道勝山線は大野までつながっていない。

8.えちぜん鉄道勝山線は石アーチがある。

9.永春寺の沓脱ぎ石は現存しているが確認はできない。

10.中華料理北京のラーメンはフツー。食べ終わる頃にちょうどいい濃さになる。

11.湯浅町は予想通りの煉瓦パラダイス。市街地からの距離・隔離感は湯浅町くらいがベスト。

12.鹿瀬洞から湯浅まで意外と長い。

13.道端に落ちているみかんは意外と食える。

http://www.jca-library.jp/kangokukyoukaizassi/PDF2/05-01.pdf


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