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2019-12-03 [長年日記]

[橋梁] 久保田敬一『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』

原典にカエレ(・∀・)! ということで府立図書館へ行ってきたのだが、元の図面からして潰れ気味で判読すること能わず。しかし本文を読み込んでいるうち、70ft桁に「平釬ヲ用ヒ」たなんていう一文を見つけてしまって祭りである。

釬という字、金偏に干って見慣れない字だが「溶接・はんだ付け」という意味があるらしいので、これこそ平頭リベットのことだ!と合点しながら帰ってきた。けれども家でもういちど読み直してみると、次のように書かれてあるのだった。

上下弦材は函形にして腹材には平釬を用い[金偏+串]を以て弦材に連結す
(原文カナをかなに変換)

函形にして、までは納得する。その次から謎。この論説でいう腹材は弦材同士をつなぐ部分のことのようで(他の箇所でもそう)、私が斜材と呼んでいるもののはずなんだが、その腹材に「平釬」を使うとなっている。れれ、リベットのことでない?

金偏に串、という字も曲者。漢和辞典にもない文字である。こういうのは旁の字で推測するほかない。串刺しにする金属、つまりはピンのことだろう。斜材を弦材にピンで留めるということで、それはそれで納得がいく。しかしそうすると平釬はますます平頭リベットでなくなる。

釬という字を調べてみると、ひじを護る防具、溶接、はんだ付け、弓の両端の弦をかけるところ、などの意味があるそうだ。中国語の漢字解説サイトでは釬は扌+日+干に通じるともある。桿−木+扌と書いたほうがいいか。桿だったらさおの意味があるので平たい鉄製のさおといって理解できる。とはいえテンションバーは平たい板だがコンプレッションバーは綾構つきだったりするし。平たい板ではないっちゃあない。

そうして、この論説の他の部分では鋲という文字を使っていたりもする。

要するに、わけわからんくなっただけだった。

それに加えて本文では「金+串間高さは八呎」と書いてあるのに図面は7ftであったりする。九鬼家文書の図面も7ftだ。確かに、長柄橋のトラスは高さが違う2種類が使われてあって、それが新旧桁の目安になるかも試練と思ってたけれど、ピン間高さが1ft=25.4cmも違ったら桁高さもそんくらい違ったりするんじゃないか(長柄橋のはそんなに段差ないんじゃないか)と思ったりもする。

それよりも問題なのは、浜中津橋のピン間高さを正確に測ることができないことだ 。浜中津橋なんか、間に中路的に床板が挟まっているので、うまいことメジャーを渡せないのだ。仮に床板がなかったとしても、相当工夫しなければ一人で高さを測ることができない。 これは困ったぞ。

[橋梁] 浜中津橋三たび

しつこく測っている。今回は斜材の厚さを全測定。そのついでに重要な発見をした。下流側桁は格子△の下弦材中央に「仕切り板」が取り付けられている。後補の桁との間に横材を渡したとしたら、ここに補強があって然るべきだし、この仕切り板に以前は横桁固定の何かがあったのかも知れぬ。しかもその取り付けは丸頭リベットだ。平頭リベットが初代桁の根拠になると考えている現状、ここだけ丸頭なのは非常に意味がある。そうして上流側桁下弦材にはそのような仕切り板がない。

長柄橋は△格子の中央に横桁が載せられていたけど、この桁は十三大橋の長柄運河部に架けられていたやつの転用なので、長柄橋用の工作は経験していない。だとすればやはり複線化時の補強と見るべきだろう。下流側桁は開業時のトラスの複線化中央桁とみて間違いないだろう。しかしそうなると上流側が謎になる。不等間隔に存在する六文銭状のリベット跡以外に痕跡はないのだった。(真ん中の格子には何もない!)

あと、下流側下弦材の横桁取り付けリベット跡と見られているやつは、内側の板材にも外側の板材にも同じようにリベット打ちされていて、外側のリベットは平頭(内側に頭)、内側は丸頭であったりするのだった。うーん、ますますわからんちん。


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