nagajisの日不定記。
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ふと思い立って舞子浜へ行ってきた。関西煉瓦のB.C.△H.J.に出会えるかも知れないと思ったからである。
関西煉瓦の所在地は明石郡垂水村ノ内山田村。いま山田という字で探しても見つからない。ずいぶん昔に舞子公園の辺りに行った時にも少し探してみたけれどさっぱりわからなかった。が、最近スーパー地形図on今昔マップの熱烈ユーザーになった私は旧版地形図で探すというわざをおぼえた。それで探せば山田は一発でわかる。いまの西舞子1丁目、舞子六神社のある辺りだ。有り難いことに山田を通過していた幹線道(西国街道)は国道2号にかからずに残っている。その周辺の街並みも全く変わってしまっているわけではないようだった。つうてもM30頃には廃業した会社なのだから、120年前の何かが残っているという保証はなく、半ばダメ元のつもりで出掛けたのだった。
結果からいえば”錯”であった。あるわあるわ、B.C.△H.J.。あれだけ探しあぐねていたやつがそこここに転がっていて、目を疑うようなことばかりであった。例えば上掲のは平の両面に凹みがあって、そこに陽刻で「大日本」「 B.C.△H.J.」を刻んでいる。これまでに見たことがある関西煉瓦製品は片側だけが凹んでいた。 「大日本」の文字も従来品?に比べて小さい。まるで消え入りそうなQ数である。
これが、見慣れている関西煉瓦。さすがに経年劣化していて欠けているものが多かったが、この程度のものならあちこちで見つけられる。
そればかりじゃない。凹みをつけずに陰刻したこのようなタイプも。非常に分厚い直方体で−−−測ってみたら9×4×3インチであった−−−、持った時のずしり感は大阪窯業の舗装煉瓦を連想させる。まさにそういう舗装煉瓦として作られたものなのではないか。当時はイギリスでもアメリカでもpave brickが作られていたからな、そのまま型を輸入して作ったとしても不思議でない。
これもプレス成形で作られたはずで、明確なライナー痕がある。刻印のないこのタイプの肉厚煉瓦も多数あって、それらはたいていライナー孔のところが大きくほげてしまっている。そこだけプレスがかからないからだろうか。このタイプで刻印を伴わないものも多く転がっているが、ライナー部の裂孔と、結構特徴的な坏土とで見分けることができる(長石?石英?の白い粒がかなり多量に混じっている)。の煉瓦の焼損したものさえあった。
さらにこんなものまで出てきた。通常の煉瓦サイズのプレス成形、凹みのない陰刻タイプ。吹田で見かけていた断片の完全型がこれなのかも知れない。
ついでにこれも関西煉瓦製品と思われる煉瓦。プレス成形で製造された役物煉瓦である。ちゃんとライナー痕があり、小口長手もプレス成形の肌をしている。裏面は平らだ。
ここに掲げた以外にもそれらしい断片はいくつもあった。あるところにはあるのである。これまでの苦労は一体何だったんだと思ってしまう。