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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2007-01-04 作業報告と独言 この日を編集

[バックナンバーCD] 寄稿してくださった方向けの準備

 寄稿・企画にご協力いただいた方々へのお礼&CD差し上げますのメールを作成。くだらない文章なら幾らでも出てくるのに、ちょっとでも畏まった文章を書こうとするととてつもなく時間がかかってしまう。能無しの証だ。そのうえthe-orj.orgのメアドを作ったりしておったらもうこんな時間になってしまった。送信文の印刷もできていない。明日片付けて、それが終わったら受注開始することにする。

 それにしても、この手の「お願い」って苦手だ。勝手に作ったCDを送りつけるだけでなく(きっと「そんなものイラネ」という方も多いだろう)個人情報まで入手しようというのだから。厚かましくなくないだろうか、かといって謙遜し過ぎるのもわざとらしいし、と何度も文面を見直してしまった。そのへんのバランスを人づきあいの中で得て行くのだろうけれども、そこまで接点を持っている方々でないうえ、類推するために必要なはずの自分の人生経験が無さ過ぎる。「そういうのは人間同士でやってくれ」というのはた易いだろうけれども、そのツケは否応無く回ってくるのだ。思い知れ>nagajis
 まず何より、自分がやろうとしていることに自信を持たないとな。で、どう評価されるかを予想しないこと。当たって砕けろ、ではなくて、そういう姿勢であることが今の自分にとって大切。

[独言] 炬燵がでかい

 唐突だが、炬燵がでかい。

画像の説明 大阪へ戻ってきた年の冬に自作した「俺炬燵」。炬燵以外の汚物が写らぬよう切り取ったため邪魔さ加減が伝わらないかも知れぬ。自分で作っておきながら邪魔で邪魔で仕方ない。

 昔から大きな炬燵に憧れていた。全身すっぽり入るくらいの大きさで、しかも中で寝返りが打てるくらいの高さの脚の炬燵が欲しかった。とはいえそんな希望に合致するような炬燵を買うほどの金もなく。仕方なく自作したのがこの炬燵だった。2×4材とコンパネ(と既製品の炬燵ヒーター)で出来ている。
 横幅はよくあるコンパネと同サイズ、縦幅は150cmくらい。脚の高さは自分の腰骨の幅に合わせている。そのため飯を喰う・パソコンに向かう等の通常使用時には常に正座を強いられるという、ある意味国粋主義養成ギプス的な役割も果たしている。

 一般家庭用の大炬燵に比べれば(高さを除いては)そうでもないはずで、事実これより大きな炬燵も売られており、それで安心してこのサイズに作ったのだが、6畳の我が部屋に置くという至極当然な目的を失念していた。この炬燵を置くとそれ以外の物が置けない。それゆえ炬燵の上に物を置かざるを得なくなり、ますます炬燵が片付けられなくなるという罠が控えている。写真の状態もそんな悪夢のプロローグに過ぎない。

 時節柄、知合いを呼んで鍋パーティーでもすれば少しは役に立つかも知らぬが、あいにくそのような事態になったことはないし、その予定もない。左右が狭すぎて長辺の側から入ることが不可能なうえ、それより以前の話としてこの炬燵に至るまでの道のりに仕掛けられた多数のトラップをかい潜って貰わなければならないからだ。

 炬燵容積に対してヒーターが余りにも貧弱なのがまたいただけない。まるで12畳間に4畳半用のストーブを焚いているかのような生暖かさ。ケチってファンなしのヒーターを買ったのがいけなかったのだろう。しかも、ちっとも温まらないことに業を煮やして購入当日に分解しバイメタルをごにょごにょしたところヒューズが飛んでしまい、さらにそれをほにゃららして使い続けている。危険極まり無い。「改造車で事故死」ならまだ男気もあろうというものだが「改造炬燵で焼死」はいただけなさ過ぎる、と身内に忠告されている。それだけは何としても避けたい事態である。

画像の説明 一つだけ気に入っているのは脚が2×4材だけあって非常に頑丈なことだ。上で寝ようと飛び跳ねようと工作作業をしようともビクともしない。天板がコンパネなので瑕がつくことを気にする必要もない(どうでも良いが個人的に身の回りのものは機能重視なものが多い。工具だとか作業台だとか「それ専用」で「頑丈なもの」ばかり買っている。一種の貧乏症だろうと思う)。
 そうして脚を分解することができる。最初に「2×4材で炬燵を造ろう」と思い付いた時、単にネジ留めあるいは釘留めでは細工リストの名が廃ると思って、夜も寝ないで昼間寝て、そのため余計に寒い思いをしながら考えた構造が右のほぞ組みだ。夏場は分解して押し入れの中に入れてある。それでも長辺の部材が邪魔なこと限り無し。
 CDの発送作業もこの炬燵とも言えない炬燵の上で行なわれる予定。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 家猫 [炬燵学会アーカイブスでの、図面公開なんてのは無いのでしょうか?]


2009-01-04 この日を編集

[独言] どーでもいい写真(別名・おっさんホイホイ)

危うく消去され磁気断片になるところだった一枚。池田市の小学校にて、よくありがちな卒業記念壁絵。

画像の説明コイもおなかがへるのかな
ずっと泳いでいるんだもん
きっとおなかがへるんだね

[廃道巡] ラス1でけた

うおっっしゃー。でけたー。

肩の荷がおりたー。

いまのうち作っておくと後々手抜きできるよね。


2011-01-04 この日を編集

[独言] 全休

朝方に飯を食って横になったらそのまま寝てしまった。起きたら夕方だった。発送しなければならないものがあるのに・・・。申し訳ない。

昨日無理したせいか足首が痛んでうまく歩けなくなった。もうしばらく2本杖で我慢したほうがいいのかも知れない。あるいは無理をしたほうが良いのか。捻挫した時は無理して動かしたほうがいいというし。

いまの感じでは春までは間違いなく全快しない。探索など遠い遠い夢のような話。G.W.にどこかへ行ければ御の字と思う。歪んだ骨が影響出ないといいのだが。きっと出るだろうな。

それまで原稿が持つだろうか? と思ってみたものの、その前に書かないほうがよさそうに思う。面白いものが書ける気がしない(とくにルポは)。これが最後の探索になったらという気分がぬぐえないまま書いてもな・・・。夏の日向に2、3日置きっぱなしにしたシーフードカレーみたいに腐ったのにしかならんだろう。

[独言] 当面の目標

制度上から明治の道路を把握すること。各都道府県の県史の近代編とその資料編を読むこと(各県の土木費補助規程の収集)。できれば近畿圏以外にも目を通したいが、路線名を見てそれが現在の何線なのかすぐにはわからないから(感覚として理解すんのが)難しいと思う。

変遷を追うのが大変だ。DAにあるのも限られているから県史がいる。県史を読んで流れを掴んでおく必要がある。これは取り寄せで何とかなりそうだ。

あと、贅沢を言えば府県会史も。議事録は県庁所在地まで行かないと無理だろうが・・・。

御杖村には早めに行きたい。電車とバスを乗り継げば何とかならないか? 近鉄で名張まで行って、そこからバスで土屋原まで。土屋原から奥へ行くのが大変だが・・・。

[独言] 路線認定、区域の決定及び供用開始等の取扱について

昨日書いたものは昭和29年に出された道路局長通達。路線の認定や区域決定、供用の開始・廃止にあたっての指針。出されてから半世紀も経っていて、ほとんど歴史的文章の域に達しているが、これが今でも効力を持っているのだそうだ(考えて見れば現行の道路法だって昭和27年に出たものの改正だからな)。「路線」という概念の定義というか、道路に対する行政の捉え方とでもいうべきものがわかって面白い。

原文は三重県広報バックナンバーにある。これは県の土木局長が各地の土木出張所や市町村の道路担当者にあてた通牒。上からこんなん出たんでよろしく、というもの。

[] 仮定県道変換方稟申の件

○仮定県道変換方稟申の件

明治二十七年七月二十五日 土木局長通牒乙発第二十八号

仮定県道の儀は去明治九年太政官第六十号公達に依り取調御差出有之路線の外里道を仮定県道に編入するもの又は従来の仮定県道を里道に変換するものは是迄取扱方区々にして或は処分済届出の向も有之候処右は向後御稟伺可相成儀と御承知有之度命に依り此段申進候也

出典:明治41年内務省土木法規第3巻 原文カナ旧漢字

国が国県道も指定しようとしていた名残り。県道の変更・追加・廃止については前もって国(内務省)に稟議をした上で行うこと、という通達。うやむやにしておいて何をか況んやという感じがしないでもない。

ひょっとしたら……これって古澤滋のアレが関係してるんだろうか。この年の3月だからなぁ。

[なぞ] 土木局長通牒の原文

土木局長通牒の原文ってどこに行けばあるんだろうか。と探したら奈良図にありそげ。「土木ニ関スル規則類集」で。でも付図ちゃんとついてるかな・・・


2012-01-04 この日を編集

[戦前特許] ペデスタルパイル

以前の続き.ようやく発見.先の尖った錘でごんごん打って瘤を作るもの.

http://core.the-orj.org/cgi-bin/oldpatentwiki/wiki.cgi?page=19412

しかしこの工法で作った杭を掘り起こしたら瘤が全く出来てなかったという話もある.オーストラリアのFranki pileの会社のサイトではきれいな瘤になってるけど.たぶん「ほか7項」のところにペデスタルパイルのミソがあるはず.そのへんがどう違うのか確認したいのだ.

若干わからんくなってきた.特許19412号はアボット杭とも呼ばれるもので東洋コンプレッソルが特許を取得して施工してたもの.それを改良したペデスタル杭の特許が特許28995号にある.「マルチペデスタルパイル」とあるので新淀川新橋に使われてたのはこれかも知れない.該特許は打ち込む管の底にスリットがあり,コンクリートを流し入れてがんがん打ち込むことでこのスリットが裂け,瘤ができる仕組み.

田中式も発見.最初に田中式「シンプレキス」杭の申請(特許34517号)があり,その後改良した特許第40416号を取得している.二重になった管を使い.槌を兼ねた内管でごんごん打つ.最初の特許では内外管の隙間からコンクリートを流し込むとしていたが,これが困難なので内管の底から供給するよう改良した(内管の底が開閉式になっている.流し込んだ時は蓋が開き,打つ時は閉じる).

[独言] tDiaryを3.1.1にあげた

文字コードがEUCからUTF-8に変わる.超迷子が迷子になるかも知れないがまあいいや.あとSPAM設定で何か弄ってた気がするが思い出せない.

[独言] 違う!そうじゃない!

ここに書き込んだのを自働的にtwitterに垂れ流し太郎と思っていたのだが,そういう機能ではなかったらしい.いちいちクリックしなあかんのなら詰まらんぜ.どうせ他人のは見やせんのやし.

情報弱者っぷりを晒すためにしばらく放置しておく.

[D] 1/2?

小蝿のそれのような蛆虫がわっさもぞもぞしている食品(ほとんど蛆虫だけで構成された,しかしパサパサとした粉の塊のような食品)を食べる夢を見た.噛んでプチプチするだろうことが嫌だったのでできるだけ丸呑みするよう心掛けながら嚥下した.余りに細かいものだからくちびるげの脇からぼろぼろこぼれて参った.間違えて食べたのではなくそういうものと理解して食べたような覚えがある.気持ち悪さが立つよりも先に「こんなキモイのを食ったのが誰かに知られたら恥ずかしいどうしよう双子葉」という極めて日本人的なことを思ってしまったことが我ながら&夢ながら情けない.さあこの夢は何を暗示しているのだらう.たぶん腹減ってたってことだろうな.

[絵葉書] 雑:大阪亀の瀬地すべり

画像の説明画像の説明
<@>隧道上の陥没隧道内視察に続いて峠集落の地割れ2種をゲット.どれも33えんと安かったのは数が出回っているせいだろう.そのうち全部揃うだろうか.しかし地すべり資料館に置かれていた絵葉書のセットは他で見たことがない.

[独言] Hmmm...

そういう方向になっちゃうよなーnagajisなら。つんつん。

[奇妙なポテンシャル] #270

おてがみをかきながら

なんだーそれはーなんだーそれはーブンバカブンバカブー

などと歌っている.こんなやつが(略

[独言][宣伝][廃道本] 豆知識

緩衝材で包んだ偉人伝にCD一枚添えると2cmをオーバーする・・・。メール便で送れたら160円、メール便だと290円。130円も違うのは結構応えるものがある貧乏人である。そうして6箇所に送りつけた。恥さらしの旅はまだまだ続く。

[独言] ぶり大根UMEEEEEEEEEEE!

筍UMEEEEEEEEEEEEE.のはいいが,いい加減喰い切ってしまわないと次にかかれない.次は肉じゃがにするつもりで年末に肉を買ってある.急がなければならない.

[煉瓦] 普通煉瓦と過焼煉瓦

忘れるのでメモ.酸化炎で焼くと普通煉瓦.還元炎なら過焼煉瓦.ろうそくの外側の炎が酸化炎で,酸素供給が充分な場合.内側のオレンジのところが還元炎,酸素が少ないので物質の酸素を奪い取るから還元炎といふ.ならば煉瓦の赤色は3価の酸化鉄(Fe2O3の赤,横黒の黒は2価の酸化鉄(FeO)か.

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ocoze@三重 [娯楽の少なかった当時のこと,女子供までこぞっと物見に来てますなぁ。]

_ nagajis [弁当持参で見物会も催されたそうですな.今だったら不謹慎と一蹴されるところでしょう.いいとも悪いとも言えませんが,少なくとも「当時の気分」が分かって面白い絵葉書やと思います.]


2013-01-04 この日を編集

[奈良近遺調] 現存最古の鋼製遊具・飛行塔が素敵な件

画像の説明

日本最古の遊戯機械はとしまえんのメリー・ゴー・ラウンド.

[奈良近遺調] 生駒航空灯台が格好良過ぎる件

画像の説明

画像の説明この角度は調査票のを参考にさせてもらった.というか普通はこの角度しか撮れん.

画像の説明いいカメラ・いいレンズでないと無理・・・.

[奈良近遺調] 生駒天文台が無機質に封鎖されていた件

画像の説明

本当はこの天辺にドームが載っていた.廃墟マニア悪さすんな!

[奈良近遺調] これが大軌の境界標だったら笑う件

画像の説明

[奈良近遺調] 宝山寺駅が場合によってはマジヤバイ件

画像の説明

[独言] なんで暗峠が道100選なのか

画像の説明 笑い飛ばすだけで理由を考えてもみないような愚は避けたい。

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nagajis [生駒山の陵線上にあって、大阪側から強い西風を受けるからみたいですね。一枚目の写真でいえば右が大阪です。 昭和15年ちう戦時中に作られたことも関係あるかも。]

_ おろろん [ 時間経て改めて見ますと、高射砲塔というよりは潜水艦の司令塔そっくりですね。風も水流も同じ流体力学に属しそうですので潜水艦をモチーフにしたのでしょうか。ついでに表面の模様は明細塗装なのでしょうか。]

_ nagajis [横っちょに羽根がついてたらまさしくそうですね。あ、表はずいぶん変わっているようです。窓はすべて塗り込められてしまい、塗装もつい最近の補修によるものの模様。竣工直後は迷彩色に塗られていたそうですけれ..]


2015-01-04 この日を編集

[独言] しんどい

自分の思うことさえまともに表現できない人間が他人の意を汲み取って代筆清書するなんておこがましいにも程があるとは思わんかね。

[独言] コーヒー

クリスマスにコーヒーミルを頂いたのでコーヒーばかり飲んでいる。新しい玩具を与えられた子供か自慰を覚えた猿の如くに豆を挽いている昨今である。学生時分にもコーヒーミルを所有していたがコストパフォーマンスが悪くてほとんど使わなかった。質よりも量、糖分カロリーを摂取するための飲み物であったから。大して旨くも感じられなかったし。

最近ようやく甘いコーヒーに飽きてきて(20数年にしてようやく!)、ブラックとかレギュラーコーヒーとかに傾きつつあったから、丁度いいタイミングの戴き物だ。しかも以前のとは違ってミルの粒度をコントロールできる。吸い込んだらむせ返ってしまいそうなほどに細かくミルしたコーヒーのほうが好みの味になることを知った。ドリッパーに残った残滓がまるで泥みたい。泥のように煮出したコーヒー、とはちょっと違うが似たものを感じる。以前のミルコーヒーがダメだったのは中粗にしか挽けなかったからかも知れないな。豆のせいではないだろう。石橋の豆屋で奮発して買ったやつだったからな。

調子に乗って豆を数種類買ってきて代わる代わる飲んでいる。ちゃんと違う味がしてたのしい。安かった特選ブレンドは確かにオーソドックスなレギュラーコーヒーの味。ちょっと酸味が舌につく。カリビアンブレンドはあかるい日差しのような軽さで飲みやすい。ミルと一緒に頂いたフィリピン産の深煎り豆は(結構高かったそうだがそれだけに)一番おいしい。少しの豆でとても濃いコーヒーが点ち、薫りもすてきだ。あれコーヒーに点てるとは使わないか。まあいいや。

そのうちタージマハルエベレストのコーヒーみたいなのをいれられたらいいなあと思う。あのコーヒーは口に含んだ時の風味の広がりかたが絶品。帝国ホテルのブルーマウンテンブレンドなど足元にも及ばない。ブルーマウンテンは素直すぎて物足りない。まるで優等生を飲んでいる感じがする。旨くて当たり前、なにか文句でもあるかね? という味。なにかにつけ、どこかとんがった所なり欠点なりあるもののほうが性に合っているらしい。

[ph.] 残り柿

画像の説明

啄まれることのなかった柿の不幸せ  玖月

[独言] 心の余裕がない

いつもこの時期は追い詰められた感じがする。しなければならないことが山積していて手がつけられない。なんてキャパ小さいんだろうと思って情けなくなりなおさら手がだるくなり動かなくなり頭が軋んでくる。布団に包まって息を潜めたくなる。そうすればするほど課題は片付かないの、わかってないのかねぇ。まあ今日は頑張ったほうだと思うけど。

[独言] 補償

その補償として思いのままを書き散らすのがストレス発散だったのだけれども最近はそれすら億劫になってきた。書くだけ無駄だという意識が骨の髄まで浸透してきたからね。誰にも宛てない、自分すら見返すこともないような文字列を打ったところで何の得が吾郎衛門。思ったことを思ったままに書けるわけでも中甚兵衛。それをなんとかかんとか書こうとするのでさらなるフラストレーションが積み重ねられるばかりじゃないか。積んでは崩し崩しては積みの、賽の河原のワープア層じゃないか。わあ(発想が)プア。わあ(屁が)プア。結構臭そう。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ヒョウタンツギ [あけおめ、です。 あいさつが遅れまして申し訳ございません。 お変わりなくお元気そうで!峠に行きたくなりました。 お邪魔しましたm(_ _)m]

_ nagajis [これはこれは。ごていねいにありがとうございます。 ことしもよろしくおねがいします。]


2017-01-04 この日を編集

[煉瓦展] 準備#1

青折りコンのサイズを測ったら33㎝x69㎝x50㎝だった。うまく詰めれば1箱に48個もの煉瓦が入ることになる。これ2つが限界だろうな、ということで出展煉瓦数の上限が定まった。ま、欠片が結構あるから100行けるかも知らんが、1個2kgとしても折りコン1つで100kg近くになってしまう。200kgを台車で運ぶしんどさは想像するに余りある。多過ぎないほうが良かろう。

上限が決まったところで「そんだけ弾があるんだろうか?」と不安になり、思いつく限りを列挙してみたところ、会社不明の刻印だとか異形煉瓦だとか耐火煉瓦だとか、あらゆるものを数え上げて丁度100くらいだった。例えば若井煉瓦だったら陰刻陽刻に大型印も入れてもこの調子だ。うん、いい感じなのではないか。

問題は展示スペースだな。コメントを記入したA4紙を並べ、その上に置くことを考えた時、A4幅21㎝、長机が多分1間くらい、最大で7個/長机として14机を要する。そんなにあったっけか。ギャラリーのほうは間違いなく無い。

以上を書いたあとで煉瓦の山を見やって、あの青折りコンに縦8つも入るだろうかと疑問を抱いた。深さ50cmという計測値(の記憶)が正しければ、厚さ平均6cmと考えて8個積めると計算したのだけど。もっと厚いかも知れない>煉瓦。梱包材の厚みとかもあるしなあ。

6段詰めれば1箱36個、7段だと42個。断片煉瓦は1/2以上のが多いからニコイチで詰めることはできまい。うーん、80個くらいと踏んでおいたほうがいいのかもな。

[煉瓦刻印][煉瓦工場] 工場表アップデート

三が日をかけて日本工業通鑑日本工業要鑑のデータを反映させた。なかなか氏ねた。大阪府を四分割、岐阜県を二分割。岐阜の分割は中途半端で不格好だが仕方ない。

日本工業通鑑日本工業要鑑は後半の巻になると本社情報がメインになってくる。本社=工場ではなく本社機能だけが独立して市街地に置かれているような場合、その本社の住所名義で掲載されている。工場情報が付記されていればいいのだがそうでない場合もあったりして判別が難しい。そもそもそういう販売形態の場合煉瓦の流通の仕方はどうなるのだろう? 例えば土佐堀通に本社があり堺に工場があった場合、その煉瓦は堺を中心とした分布になるのか?そうでないのか? 昭和くらいだったら流通範囲もなにもあったもんじゃないかも知らんけどな。

京都の京近煉瓦が厄介。滋賀県に分工場があったことになっているが工場通覧では該当する工場がない(か個人工場名義か。京近煉瓦の名は「通鑑要鑑」で初めて見た)。そのくせ成形機械を導入して盛んに製造していた節がある。京近煉瓦の工場としてでなく個人工場がOEM的に製造していた可能性。あるいは共同販売会社として京都に置かれていたという可能性。はたまた実際に岡崎に工場があった可能性。どれも等しくあって判断がつかない。

それに対してS16版の中国煉瓦株式会社はわかりやすい。大阪窯業の高野新治郎、岸和田煉瓦金納源十郎、日本煉瓦宮崎弥三郎、など斯界の大御所の役員が専務を務めていて、大阪府下の煉瓦製造業者による共同販売会社である(S10「大阪窯業50年史」では実現しなかったような書き方をしてた気がする。いやいや、岸和田工場だけ加盟ってあったから組合は存在していたはず。会社設立がS12ってことか)。んでここに「樫野赳夫」の名があることが気になっている。この人は徳島の樫野の人ではなかったか。播州煉瓦一手販売していた樫野が関わっているとなると余計に面白い。播州の煉瓦が大阪市街地で散見される理由がこれなのではなかろうか。

滋賀の江州煉瓦も販売所を京都に置いていた。其他耐火煉瓦製造会社は特に大阪市に本社を置いて工場は和気郡三石町とかが多い。

新規に追加した工場はさほど多くない。それより既知工場の大正中期~昭和初期がプロットできたので満足しておく。オシリが怪しいのはあるけれども会社が解散せず名義上存続していたという可能性もなきにしもあらずだ(徳島県大正窯業だって煉瓦製造のほかに土砂採掘とか窯業製品とかも扱ってたらしいからな。その業が続いていた可能性もなきにしもあらず)

といった、いくつかの気づいたことがあったとしても、工場一覧に全部突っ込むことはできない。どこかに書いておかないと忘れてしまいそうだ。大阪窯業と江州煉瓦に足田鉄工所製の機械が導入されていたこととか、丹治煉瓦廃業後に丹治良一が日本煉瓦の監査役になっていることとかさ。

あと、出典一覧の整備も終えた。すべての文献を調べ直してデータ年とか掲載基準とかを整理。と思ったら工場通覧の掲載基準忘れてね?

[独言] 送りつける

日本工業通鑑を突っ込みbiblographyも(一応)整備したのを機に然るべきところへ送りつける非道を働く。見つけてくれるまで待っているうちに伸びちまうからな。

というか雑誌の話はどうなったんだろうな。一日潰してフリーパス作って送ったのに返事がない。よほどヤなやつ無駄なやつ扱いされているのか。ちぇ。


2020-01-04 この日を編集

[煉瓦][煉瓦工場] 関西煉瓦

ふと思い立って舞子浜へ行ってきた。関西煉瓦のB.C.△H.J.に出会えるかも知れないと思ったからである。

関西煉瓦の所在地は明石郡垂水村ノ内山田村。いま山田という字で探しても見つからない。ずいぶん昔に舞子公園の辺りに行った時にも少し探してみたけれどさっぱりわからなかった。が、最近スーパー地形図on今昔マップの熱烈ユーザーになった私は旧版地形図で探すというわざをおぼえた。それで探せば山田は一発でわかる。いまの西舞子1丁目、舞子六神社のある辺りだ。有り難いことに山田を通過していた幹線道(西国街道)は国道2号にかからずに残っている。その周辺の街並みも全く変わってしまっているわけではないようだった。つうてもM30頃には廃業した会社なのだから、120年前の何かが残っているという保証はなく、半ばダメ元のつもりで出掛けたのだった。 画像の説明

結果からいえば”錯”であった。あるわあるわ、B.C.△H.J.。あれだけ探しあぐねていたやつがそこここに転がっていて、目を疑うようなことばかりであった。例えば上掲のは平の両面に凹みがあって、そこに陽刻で「大日本」「 B.C.△H.J.」を刻んでいる。これまでに見たことがある関西煉瓦製品は片側だけが凹んでいた。 「大日本」の文字も従来品?に比べて小さい。まるで消え入りそうなQ数である。 画像の説明

これが、見慣れている関西煉瓦。さすがに経年劣化していて欠けているものが多かったが、この程度のものならあちこちで見つけられる。 画像の説明

そればかりじゃない。凹みをつけずに陰刻したこのようなタイプも。非常に分厚い直方体で−−−測ってみたら9×4×3インチであった−−−、持った時のずしり感は大阪窯業の舗装煉瓦を連想させる。まさにそういう舗装煉瓦として作られたものなのではないか。当時はイギリスでもアメリカでもpave brickが作られていたからな、そのまま型を輸入して作ったとしても不思議でない。

これもプレス成形で作られたはずで、明確なライナー痕がある。刻印のないこのタイプの肉厚煉瓦も多数あって、それらはたいていライナー孔のところが大きくほげてしまっている。そこだけプレスがかからないからだろうか。このタイプで刻印を伴わないものも多く転がっているが、ライナー部の裂孔と、結構特徴的な坏土とで見分けることができる(長石?石英?の白い粒がかなり多量に混じっている)。の煉瓦の焼損したものさえあった。 画像の説明
画像の説明

さらにこんなものまで出てきた。通常の煉瓦サイズのプレス成形、凹みのない陰刻タイプ。吹田で見かけていた断片の完全型がこれなのかも知れない。 画像の説明
画像の説明

ついでにこれも関西煉瓦製品と思われる煉瓦。プレス成形で製造された役物煉瓦である。ちゃんとライナー痕があり、小口長手もプレス成形の肌をしている。裏面は平らだ。

ここに掲げた以外にもそれらしい断片はいくつもあった。あるところにはあるのである。これまでの苦労は一体何だったんだと思ってしまう。


2022-01-04 この日を編集

[独言] 糞便談

この三が日は自分のうんこについて知見を得る所大であった。

経緯はこうである。元旦の帰りのフェリーで晩飯を食っている時に、誤って差し歯をひとつ飲み込んでしまった。昨年の秋頃に治療した時に作り直してもらった右の犬歯なのだが、治療の直後から少しぐらついていて、12月の頭頃にクシャミをした途端にすぽんと抜けてしまった。さっさと元通りにしてもらえば良かったのだろうが例の原稿に時間を取られてその暇がなかった。そうしてふと思いつき、入れ歯安定剤で留めてみたところ案外何とかなりそうだったので暫くこれで我慢することにした。年明けに一段落してから行けばいいやと。

その犬歯が食事中に抜けて一緒に飲み込んでしまったわけであるが、そうなる前にもう少し前フリがある。行きのフェリーの甲板で、あと少しで宮崎に着くという頃、初めて目にする宮崎の青々とした海岸線を見ながらクシャミをしてしまい、その勢いでまた抜けてしまった。クシャミをすると抜けてしまうと思い出した時にはすでに勢いよくハクションとやってしまっていた。いかん!と思った直後に右手に軽い衝撃。飛んだ犬歯が当たったらしい。慌てて辺りを探してみたが抜けた犬歯は見つからず、跳ねて海に落ちてしまったのだろうという結論に至らざるを得なかった。その諦めた時の切なさといったら言葉に表しようがない。入れ歯安定剤は1日しか持たないので旅先にも持っていっていたのだが此の日は面倒臭がってまだつけていなかった。それを怠ったために紛失してしまったことになるわけで、あの時やっておけばよかったという取り返しのつかない後悔をしなければならなかった。それに加えて一旦は自分の手に当たっていて、海に直接inせずに済んでいたのに---甲板の手すりに手をかけつつクシャミをしたので50cm前方は海なのだ。手に当たっていなければダイレクトにinしていたはずである---、その瞬間までは図らずも自分の失態をカバーし得ていたのに、それが効果を発揮せず結局は海に落ちてしまったらしいという事実を認識せざるを得ないという切なさ。橋の欄干の上でカメラをお手玉してしまい落としてしまったようなものである。

正月早々やっちまったなあ……これから山仮屋ダッシュしなきゃっていう大事な時でもあるのに。そう思いながら踵を返して客室に戻ろうとした時、勢いよく投げ出した右足の先でカラコロと音がした。もしやと思って見てみれば犬歯。どうやら自分の足の甲に落ちて、それに気づかず甲板上を探し回っていたようだ。奇遇と言うべきか阿呆と言うべきか、とても評価に困る一幕を演じてしまい、そのせいで初日の出の昇る瞬間を見逃した。

そんな数奇な犬歯を、その日の晩に飲み込んでしまったわけである。まこと記憶力のない男と見えて晩飯の前に入れ歯安定剤を使うのを怠っていた。そうしてバイキングの最後におでんを食うことにし、餅巾着をもぐもぐごっくんした時に一緒に飲み込んでしまったのである。噛んだ瞬間に熱い汁が迸り出て口の中アッチアッチにならないよう気を使っていて、そのことにばかり気を取られていたため、存外に熱くないことに安心してするすると飲み込んでしまった。飲み込んだあとで犬歯の不在に気づき「しまった」と思う始末である。

甲板で失くした時に比べればショックは小さかった。何となれば犬歯はまだ自分の身体の中にある。意識の届かない不明な場所にあるわけではない。さらに言えば犬歯はもともと自分の身体の中にある。その位置が少し変わっただけだという見方もできる。要するに紛失してしまったわけではないわけである。あとで下から出てくるだろうし。

犬歯が一本足りない口で残りのおでんの大根を食べつつ思う。下から出てくるのは確実としてもどうやって回収したらいいだろう。うちの便所は(というか今どきの便所はどこもそうだろうが)様式便器である。落ちたうんこを分解して中身を漁るためのスペースが乏しい。排出口に溜まった水にダイレクトインしてしまうとその後が面倒だ。そういえばオランダの大便器は日本と構造が違うということをこの間知った。排水口が前方にあってうんこが落下する場所に便器の肌がある。排出したうんこは排出した時の形を保って眼前に展開されるわけである。その仕組に対して信じられないというコメントが多数寄せられていたけれども、排出したうんこを毎回目にすることで自分の健康状態を知ることができると指摘したコメントもあって瞠目したものだった。いまの私はそれにもう一つの擁護コメントを加えることができる。飲み込んでしまった大事なものをうんこの山から探し出す時に便利である。

さらに仕上げにサラダを食べながら考えた。結果、流しのディスポーザー用の水切りネットを利用することを思いついた。あのネットの中に排便してネットごと洗えばいいのではあるまいか。思いついた瞬間はこれ以上合理的な方法はない、さすがはnagajisと賛を惜しまなかったものである。

しかしまあ、いま飲み込んだ犬歯はどれぐらいの時間を経て排出されるのであろうか。いつ水切りネットにうんこすればいいのだろうか。そういえば、食べた食事が消化され便になって出てくるまでどれくらいの時間がかかるものなのか考えたことがない。いろいろな例を思い出しているうち、インドカレーの大辛を食べた日の翌朝の排便が痛かったことを思い出した。未消化の辛味成分が肛門内壁を刺激しての傷みと思われるのだが、それが食事の翌朝ということは、12時間も経てばもううんこに変じていることになる。意外に早いように思われたがどうだろうか。人間の摂取した食品の体内通過時間はそんなものだろうか。これが昨日の晩でなくて良かったな。旅先ことに船上で水切りネットを手に入れられるとは思えない。

そうして2日の朝、無事神戸港に入港し、どこかへ寄り道することもなく自宅へ戻って、真っ先にやったことが水切りネットへの排便だったわけである。そうして実際にやってみて、思っていたほど楽な行為でなかったことを思い知った。まずもって水切りネットを肛門の下にあてがった状態で排便するのが難しい。洋式便座だと特にである。腰を浮かせて水切りネットを臀部に押し付けてやると力むことができないし、かといって便座に座ると手が挟まれて痛い。結局はその傷みを我慢しながら座位で排出するしかなかった。肛門の真下に水切りネットをあてがうのも地味に難しい。この辺だろうと見当をつけてあてがって排便してみると妙な重たさを指先に感じ、ネットの壁に引きずっている感じがする。ちゃんと内側にinしているのかどうか心許なくなる。加えてネットが柔らかいものだからうんこの重さでずんと垂れ下がる。その垂れ下がる感じがやはりネット外への崩出を想起させて、とにかく気が気でないのである。

この時はとりあえず漏らさずすくうことができた。次は洗浄である。うんこの構成物の大半は剥がれ落ちた腸内細胞壁の成れの果てだという知識があったので、シャワーをかければすんなり溶けていくものとばかり思っていたのだが、意外にもなかなか溶解してくれなかった。少しずつ少しずつ表面が洗い流されていく感じだ。40数年間毎日のように排便していて初めて気付かされる事実である。そうしてネットの網目に捉えられた残滓の多さも意外だった。大半は消化し切れなかった野菜類のようで---特にトウモロコシだけが消化されにくいわけではないのだ。レタスやワカメの成れの果てと思しき緑みを帯びた塊が大量に残っていた---、その量の多さにも瞠目させられた。食物繊維を多く含む食品を食べると腸内を掃除してくれると教えられているけれども、てっきりドロドロになったその食品の食物繊維の成分が効果するものだとばかり思っていた。食物繊維を多く含む=完全に消化できない=半塊となって腸内を通過するため腸壁を削り取っていく=この有様なわけなのである。これもまた自分のうんこを濾してみたりなどしなければ一生気づくことがなかっただろう。結局こうした未消化分は全うんこの半分から1/3程度にも達するらしいことを知れた。しかし肝心の犬歯は出て来なかった。残滓の中にトウモロコシの皮が多数含まれていたので昨日分が出て来ているのは確かなのだが、他よりも重く嵩張る形状であるのだからどこかに停滞しているのかも知れない。うんこという粘性流体の力学を思いつつ第一回のうんこ洗いは終了した。

見つかったのは翌日朝の排便中にである。はじめに排出したうんこはいかにもモリモリといった感じの勢いのあるもので、その勢いのせいでネットで捉え損ね、便器水中に転落してしまった。引き続いて出てきたうんこは前のものとは又違う質感。こちらが昨晩(2日晩)の食事の成れの果てらしい。捉えられたそちらには確かに犬歯は入っていなかった。問題は便器内に転落してしまったほうで、その中に入っている可能性が非常に高かった。ここで失敗をすると甲板上のクシャミで失いかけたのと同様の切ない思いをする。慎重を期して手掴みでネットに掬い込んだ。こううんこうんこと考えているとうんこが不可触なものでなくなってくるから不思議なものである。むしろ不当に遠ざけていたことを陳謝したくなってくる。人間誰しも毎日のように排出しているものなのなのに、この世に存在する汚穢の中の汚穢、汚穢の極みのように思われているのは不思議である。確かに臭いし手についた臭いもなかなか取れない。忌避したくなる気はわかる。しかし自分の身体から出たものであり自分の分身とも言い得るうんこである。愛しむ気にはさすがになれないしその必要もないだろうがもう少しきちんと向き合って見るべきというか理解を深めるべきであったと思う。

ともかくそんな鷲掴みしたうんこの中に犬歯は含まれていた(昨日のにも増して溶けにくかったのは餅巾着の成れの果てだったからだろうか。色と臭いが全く違うだけで手触り等も含め餅のようなのである。そんな餅様うんこがそれだけの塊となって出ていたことも目から鱗の新知見であった。もっと消化されるものとばかり思っていたのだが)。見つかった時の安堵は格別なものがあった。甲板で紛失せずに済んだ時の安堵には及ばなかったが。

見つかったのはいいのだが、はて、これ、どうしよう。出てきたからには再装着したい。けれどもうんこから回収したものである。

見つかる前からうすうす感じていたのだけれども、いざその判断をしなければならなくなると、やはり戸惑う。排泄したものをまた口にするのはさすがに気が引ける。こうやって一生懸命うんこ浚いしたのも、再利用したいがためではなく「無くしたものを再び取り戻したい」というところに大きな動機があった。見つかってしまえばそれはひとまず解消される。満足される。

けれども、一連のうんこ考を経てうんこに対する見方がずいぶん変わっている自分にも気付かされている。奇を衒って弄ぶのではなく観察思惟の対象として見たうんこの価値に気づき始めている。自分という生命体を維持するための摂食行為の結果物であって、自分の血肉になれなかった残り滓だとはいうもののやはり自分と強く絆されているものであることに変わりはないのだと、これも奇矯ではなくそう思えるのだった。

とりあえず洗って、洗って、数時間ほどハイターに漬けておくことにした。自分の体内を一巡してきた犬歯は旅の初めの時よりもきれいになっているように見えた。そう書くと馬鹿に詩的だが要は胃酸とハイターのせいだろう。むしろ胃酸でほとんど溶けていないようだったのはホッとした。そうしてその日の晩頃から元の席についている。なかった間に採った食事で歯茎を痛めていたせいで再装着した直後しばらくは痛くて痛くてたまらなかったのだが、いまはそれも収まって何事もなかったかのようになっている。


2023-01-04 この日を編集

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増やしておいた。

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