トップ «前の日(05-21) 最新 次の日(05-23)» 追記
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

1941-05-22 この日を編集

[陸幼日記]五月二十二日 木曜日 雨

一日昨日の疲れ出でてきつかりき。十六時三十分広幼四十五期生来る。吾等は雨の中を出迎う。広幼來る為、入浴はだめとなる。十九時まで笹富と語る。佐中出身者広幼の者と語りてなつかしかりき。十九時三十分より二十時四十分まで、柔道場に於て両校四十三期生が集りて話しす。特に広幼の元気に驚く。それにひきかえ熊幼は、少し遠慮した様だ。

〔欄外朱:底力あるなり〕


1942-05-22 この日を編集

[陸幼日記]五月二十二日 金曜日 晴

独語・地理の考査あり。午後楠公会ありて益〃大小楠公に対する感高まりぬ。即ち敗戦なるを知りながらもなお死地に赴く。其の精神豈偉ならずや。九華神亦然り。
久しく医務室をおとずれぬ。伊藤は三年の方と話しゝ故手塚のみと話したり。されど帰るに及んで伊藤は「有難う」と云いたり。此の言に依り予は深く考うる所あり。即ち予も経験したり。入室したる際見舞を受くれば如何に嬉しきかを。之れ即ち団結の一歩ならんと。反省事項―未だ心の落着き不足。わずかの事に気を奪わるゝべからず。時間の利用不充分なり。


1943-05-22 この日を編集

[陸幼日記]五月二十二日 土 晴

今週も此に授業を終了し一週間休むこととなり愉快なり。午後は十三時二十分より校長〔殿〕訓示あり。現地訓練に於ては将校生徒たるの気品を保つべし。十四時より軍装検査。背嚢・雑嚢を用う。以後栞につき小林教官殿の話あり。十五時三十分牛島中将閣下(本校五期・陸軍士官学校長)御着校になり、三年は野外剣術を実施。全校棒倒しを実施す。閣下訓示に曰く、飽迄身体を大切にするべし。然して将来の御奉公に備うべし。と。十九時半より二年一軒屋、一年亀井と新地の神社の二手に於て試胆会を行い我は新地に行きたり。此に於て我は一年生の胆を知りたり。二十二時半就寝す。午後は誠に騒しき日なりき。然し克く終始貫けり。今日より身体の調子最も良好にて運動能力が充分ある如く感じられたり。


2007-05-22 廃道の法的位置付け と作業報告 この日を編集

 「立ち入り禁止」と書かれた廃道に立ち入った場合に受ける法的制裁がわからない。

 いや、急に何を言い出すかというと、「廃道を読む」の企画で廃道の法的位置付けがどうなっているかを考えていたことがあって。いつかはまとめてみたいと思うのだけど、なかなかそううまくはいかない(次の号でやりたく思っていたのだけど間に合わんなこりゃ)。

 ORJ第5号のエッセイでヨッキれん氏が書いているように、道路管理者(国や県や市町村)は道路に危険が認められるときは道路区間を立ち入り禁止にすることができる(道路法第46条)。その禁を破って立ち入ると道路法違反となり6カ月以下の懲役又は30万円以下の罰金(第101条第2項)。このほかにも道路交通法によっても立ち入り禁止区間には入っていけないことになっている。

(しかし、通行禁止にする時は明示的に看板あるいは標識を立てなければならない。立てていなければ禁止されていることがわからないから入ってもOK、という論(第47条の4)。これは間違ってないと思う。)

 しかし、これは「道路」に対する法律であって、すでに道路でなくなった道に対してはどうなんだろう? というのがかねてからの疑問だった。そもそも、廃止された道路はどういう扱いになるんだろう? 漠然と「誰かが所有している」とは思うけれど、その誰かって誰なのよ。

 廃止されるといってもいきなり廃道になるわけじゃない。国道から県道へ、町村道へとだんだんに払い下げられていく(あまり適当な語じゃないけど)。最終的には「不用物件」というものになるらしい。これについては第92条なんかに書かれている。(以下「法庫」の記述を引用。最近の改正の前のものだし、当然おいらは法律素人なので、間違っていることばかりだと思われるので鵜呑みになさらぬよう。間違いを指摘していただけるとうれしいです>その筋の方)

第92条 道路の供用の廃止又は道路の区域の変更があつた場合においては、当該道路を構成していた不用となつた敷地、支壁その他の物件(以下「不用物件」という。)は、従前当該道路を管理していた者が1年をこえない範囲内において政令で定める期間、管理しなければならない。

2 第4条の規定は、前項の期間が満了するまでは、不用物件について準用する。

3 第1項の不用物件は、土地収用法第106条の規定の適用については、同項に規定する期間内においては、不用物件とならないものとみなす。

4 道路管理者は、路線の変更又は区域の変更に因り、新たに道路を構成する敷地その他の物件を取得する必要がある場合において、これらの物件及び不用物件の所有者並びに当該物件について抵当権、賃借権、永小作権その他所有権以外の権利を有する者の同意があるときは、第1項の期間内においても、不用物件とこれらの物件とを交換することができる。

 廃止が決まってから1年間は少なくとも最後の管理者が管理する。新しく道を作る時は、その道路敷地の所有者と廃止道の敷地を交換することもできるらしい。ここに廃道の所有者候補として1パターン。

 土地収容法の第106条というのはこうした不要となった土地の買収にかかわるもの。

第106条 第26条第1項の規定による事業の認定の告示の日から20年以内に、事業の廃止、変更その他の事由に因つて起業者が収用した土地の全部若しくは一部が不用となつたとき、又は事業の認定の告示の日から10年を経過しても収用した土地の全部を事業の用に供しなかつたときは、権利取得裁決において定められた権利取得の時期に土地所有者であつた者又はその包括承継人(以下「買受権者」と総称する。)は、当該土地が不用となつた時期から5年又は事業の認定の告示の日から20年のいずれか遅い時期までに、起業者が不用となつた部分の土地又は事業の用に供しなかつた土地及びその土地に関する所有権以外の権利に対して支払つた補償金に相当する金額を当該収用に係る土地の現在の所有者(以下「収用地の現所有者」という。)に提供して、その土地を買い受けることができる。但し、第76条第1項の規定によつて収用した残地は、その残地とともに収用された土地でその残地に接続する部分が不用となつたときでなければ買い受けることができない。

2 前項の規定は、第82条の規定によつて土地所有者が収用された土地の全部又は一部について替地による損失の補償を受けたときは、適用しない。

3 第1項の場合において、土地の価格が権利取得裁決において定められた権利取得の時期に比して著しく騰貴したときは、収用地の現所有者は、訴をもつて同項の金額の増額を請求することができる。

4 第1項の規定による買受権は、不動産登記法(平成16年法律第123号)の定めるところに従つて収用の登記がされたときは、第三者に対して対抗することができる。

 事業認定(この場合は道路建設許可?)から20年以内に廃止されたものor不要となってから5年以内の物件は、元の所有者が土地と引き換えにもらった補償金を支払えば、その土地を返してもらえる。しかし土地収容と引き換えに別の土地を貰っている場合は×。

 ここにあてはまる1パターン。「新たな道を作ることもなく廃止された路線を元の所有者が買い戻している場合がある」。しかしそれって何十年も前に道になってつい最近になって廃止されたものだとかは所有者わかるのかなあ。買い戻すことも、あるんだろうか。そうして売れなかったら? だいたいいつもこの辺で行き詰まる。

道路の管理者!=土地の所有者という場合もある(確か国道なんかはそうじゃったんじゃまいか。国が所有して県が管理をしてる)。この場合は道路法の94条があてはまりそう。

第94条 第92条第4項及び前条の規定に該当する場合を除き、不用物件がその管理者以外の者の所有に属する場合においては、当該不用物件の管理者は、第92条第1項の期間満了後、直ちにこれを所有者に返還しなければならない。

2 前項の場合において当該不用物件が国有財産であるときは、国土交通大臣は、当該国有財産の管理者である主務大臣と協議の上、国有財産として存置する必要があるものを除き、国有財産法第28条の規定にかかわらず、当該不用物件のあつた道路の管理の費用を負担した地方公共団体にこれを譲与することができる。

3 第1項の場合において、不用物件の管理者が過失がなくて当該不用物件の所有者を確知することができないときは、当該不用物件を供託することができる。

4 民法(明治29年法律第89号)第495条第2項並びに非訟事件手続法(明治31年法律第14号)第81条及び第82条の規定は、前項の規定による供託について準用する。

5 第2項の規定により、譲与を受けることができる地方公共団体が2以上ある場合においては、そのいずれかが都道府県であるときは国土交通大臣が、その他のときは都道府県知事が譲与の割合を決定するものとする。

6 第2項の場合において、土地収用法第106条又は民法第579条の規定による買受け又は買戻しの相手方は、譲与を受けた地方公共団体とする。

 いろんなパターン。「国に返還され国有財産となっている」「地方公共団体に譲渡されている」「持ち主不明で供託されている」。供託ってえのは法務局に預けてしまうこと。確かある年度を過ぎると国有財産になるんじゃなかったか。

 結局の所、個人所有の所有地、地方公共団体の所有地、国有地のいずれかになるという、ごぐごく当り前の結果になりそうな稀ガス。うやむやのまま所有者不明で捨て置かれているということは多分あり得ない。こういう土地に無断で入ったら? 建物だったら住居侵入罪(建造物侵入罪)があるけれど。所有者に立ち入り禁止を宣言されたら(そこに立ち入ったら)? 所有権の侵害になるのか?

 逆に言えば、全く道として機能していないように見えても「道路」として指定されていれば道路法が適用される。例えば「よーしパパもっと廃道化しちゃうぞ」などといって道路に障碍物を置いたり、その反対に道路標識を勝手に設置したりしたらまずい。まさかそんな酔狂なことをする人もいまいが。いたらそいつはnagajis決定。特に最近毛が生えてきて浮かれているnagajisだ。

【道路交通法】

第七十六条  何人も、信号機若しくは道路標識等又はこれらに類似する工作物若しくは物件をみだりに設置してはならない。

2  何人も、信号機又は道路標識等の効用を妨げるような工作物又は物件を設置してはならない。

3  何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに道路に置いてはならない。

4   何人も、次の各号に掲げる行為は、してはならない。

 一  道路において、酒に酔つて交通の妨害となるような程度にふらつくこと。

 二  道路において、交通の妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しやがみ、又は立ちどまつていること。

 三  交通のひんぱんな道路において、球戯をし、ローラー・スケートをし、又はこれらに類する行為をすること。

 四  石、ガラスびん、金属片その他道路上の人若しくは車両等を損傷するおそれのある物件を投げ、又は発射すること。

 五  前号に掲げるもののほか、道路において進行中の車両等から物件を投げること。

 六  道路において進行中の自動車、トロリーバス又は路面電車に飛び乗り、若しくはこれらから飛び降り、又はこれらに外からつかまること。

 七  前各号に掲げるもののほか、道路又は交通の状況により、公安委員会が、道路における交通の危険を生じさせ、又は著しく交通の妨害となるおそれがあると認めて定めた行為

    (罰則 第一項及び第二項については第百十八条第一項第六号、第百二十三条 第三項については第百十九条第一項第十二号の四、第百二十三条 第四項については第百二十条第一項第九号)

 あ、じゃあ廃道でテント張って泊まったりしてもいかんのか。

 売買や譲渡云々以前の話として、確かに管理者がいる道路なのだけど、経費や必要度の関係で整備が行き届かない道も多い。以前のOFF会の下調べて宇治市の道路課に伺って話を聞いたときも、そのへんの苦悩をちらっと伺った。いわゆる里道が市町村に返還されたけれども、かえって管理責任が増えて大変云々。そういう道で怪我をしたり事故を起こしたりしたらその管理者の管理責任が問われるから。極端に言えば廃道とわかっていて突入し怪我をしたのを管理者の落度にしたりもできる。道を整備していない管理者が悪いのだと。ちなみにこうした道の道普請をするのは悪いことじゃないらしい。いわゆる道路愛護の一環だからな(笑

 結局のところ、法律的に云々と言い出すときりがないし、何もできない。廃道あるきなんかできやしない。自分は(ORJの変臭長である云々をさしおいて、あくまでも自分は、の話として)法の裁きを受けるリスクを背負ってでも廃道を歩きたい。歩くことによって得られる事実、薮に埋もれた記録されない史実を、社会に還元したいから。それが正しいことだと信じるから。編集部の連中も同じ考えだと思う(けど念のため各人に聞いてね)。

 つーことでnagajisがタイーホされた時は放置の方向でよろ。後ろに手が回る前にCD売上は誰かに託すから。とある廃隧道に通帳判子一式を隠すとかするから。

[ORJ] 作業報告を忘れてた!

 ええとTRDB書きました。今回は志戸坂隧道。何だか今号は岡山県ばっかりになってしまったけど深い意図はありません。過去に旧道倶樂部の報告書でとりあげた物件のどれかにしようかとも思ったけど、出し惜しみするのも何だしね。いずれにしても知名度的にはそう大したものじゃないし、埋め草みたような回になると思う。

 とはいえ、「隧道レッドデータブック」は珍しい隧道をハイデフ(違 でフィーチャーする企画という位置付け。知名度はあまり関係ない(超有名隧道でも高解像度で隅々まで見せるために取り上げる価値があると思う)。「こいつぁ、凄いぜ!」というおすすめがあればぜひ寄稿ください。犯罪予備軍が参加している集まりですけど(爆

 残るはhyのみ。近世以前土木構造物調査について+Googleアカウント取得虎の巻を予定。逃げたな、nagajis。

[ToDo] Tシャツの件はどうなった

 明けない夜はなく明ける寸前は最も暗く寒いのさ。時間切れでまた明日。

 デザインコンペはやりたい。幸い、CDの売上で黒が出ているから、これを元手に製作できる。CDほど売れるとは思えないから、せいぜい数十着作っておいて、細々と売っていくことになると思う。「そんなことに資金を使うな!」という声があれば自腹を切ってもいい。もちろん出来たものは販売してORJ資金の足しに。利益も含めて1着1500〜2000円くらいか。

 あと、費用対効果の件で綿100%になる可能性大。何で化繊のTシャツのプリントはあんなに高いかね。

[ToDo] 近世土木構造物の件はどうなった

 明けない夜は(ry。今日手持ちのリストを片付けたかったのさ。明日明日。「能勢の道しるべ」に関しては付図があるから楽だ。箕面の目録は地図がないから大変。しかしmap_url_conv.phpを作っておいたからそう大変な作業ではないはず。あと、耶馬渓の二ノ迫ともう一つの江戸隧道のことを書き加えておきたい。馬場先生に報告するのはその後。

 実をいうと、Google Docs&SpreadsheetsはClassic Macから操作するのがひじょーに困難だったりする。Netscape7.01を使えばかろうじてSpreadsheetsを修正することはできるけど、セルを直接編集できない(コピー→テキストエディタで編集→コピー戻す)うえ、作業するたびに原点に戻ってしまう。産みの親に見捨てられたOSなど使うなというGoogle様のご神託か。しかし天の邪鬼はそういう所にこそ住み着くわけで。

 もちろん、常時お使いのBeOSからや、WindowzWindouzWinbouzuから修正することはできる。しかし常時立ち上げているノートパソコンの無印Pentium266MHzではさすがにキツいしわざわざそのためにPrecisionのWindows2000を立ち上げるのもなかなか億劫だ。特に会社のMacで作業してると見せかけてこっそり(ry ができない。何とかしてくれないだろうか>Google。してくれないだろうな。

[独言] 27日に見学会

 近畿産業考古学会というものがあって、興味本位で加入したのが今年の3月。4月にも見学会兼総会があったのだけど、都合が合わなくて参加できなかった。5月は27日(日)にあるというので早速申し込む。加古川の日本毛織株式会社の倉庫群と平木橋を見学する予定(しかもアノ神吉先生の案内で!)。ニッケパークタウンって、日本毛織のニッケなんですね。シランカッタ。

 土木遺産土木遺産という割には隧道とか道路とかごく一部の知識に偏っている自分。他の分野にも足を踏み込んでみたい(踏み込まないと余りにカタテオチ。不適当な表現というなら頭落ちでも胴体尾落ちでも可)と思うけれど、これまでの蓄積がない分、どこから取りかかったものか悩んでいた。渡りに船とはこのことだと思う。広く一般にも開放された会だから(何しろ自分が会員になれたぐらいだからな)土木遺産や近代化遺産に興味のある方は参加されてはいかがだろう。バックグラウンドを踏まえた上で物件と対峙することの重要性・感動度合いの違いはわざわざnagajisが言うまでもない。わくわく。

[バックナンバーCD] まだ沢山ある

 非常に不思議なことに、まだ3箱手つかず・都合4箱残りのままであるバックナンバーCDなのに、これまでの売り上げであまつさえ製作費を回収できてしまっている上に黒が出ている。本来ならば700枚売らないと赤字だったというのに。

 これはひとえに皆さんが寄付を上乗せして振り込んで下さったお蔭だ。一人ひとりにお礼を言いたいのは山々なのだけど、CDを購入して下さった一人ひとりにまずは等しく感謝を述べなければならない。寄付を下さったからといってその方を優遇することもいかにも現金な話だ。

 ORJができるせめてもの恩返しは、やはり良いコンテンツなり情報なり物品なりを提供することだと思う。あと、どんなことがあっても発行し続けるということ。くたばっても霊界から通信する位の覚悟がなければならんとぞ思うnagajis。あ、ここの部録"はnagajisの妄言集ですから。ORJとして言いたきことはORJにて言いまする。ORJとして。

 そろそろCDを使った企画第2弾に移らなければ。売上の一部を使ってORJの宣伝にかかります。あと、コミケで売るとかしてCD片付けたい。部屋を圧迫するうえに某氏に怒られたごとくヤニ臭が染み着いてしまって売り物にならなくなりそうだし(一応対策は取ってるんだけどね)。

[独言] しかし

 イタコがpdf吐くという構図も厭だな。憑依したと思ったらいきなりpdfを喋り出すイタコ。

%PDF-いってんよおおおおおん
%粤マモ
12 0 objえええ
<< 
/りにあらいずどおおおお いちぃぃぃぃ 
/O 16 
/H [ 970 181 ] 
/L 124129 
/E 64219 
/N 2 
/T 123771 
>> 
えんどおぶじぇえええええーーーーきえーーーーッ!
   : 

 デコードが大変だ。やたらと独自拡張されているようにも思う。

[独言]

 木は森に隠せっていう格言は言い得て妙。しかし一から森を作るのは大変。<!---あと、言うだけで行動しない奴もnagajis以下。含むnagajis。-->

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 酷道774号(重複区間) [3行でおk]


2011-05-22 この日を編集

[絵葉書] 道:鉾持桟道

画像の説明
画像の説明

盛り上がってるところを失礼だが次。なにげなく購入した2枚組で今後利用する予定もなさそうだ。検索すると伊那のほうらしい。

道の絵葉書というのは案外少ない。新道ができた記念に作ったとか、風光明媚な観光地だとかの道はないでもないが。そういや矢の川明治道の絵葉書もあったはずなんだが…08年のツアーの後辺りで紛失してしまった。惜しいことをした。

[奇妙なポテンシャル] #234

画像の説明とある図書館の構内で。正面玄関の前の道路に建っていた。初見は「うんうんそうだよねこんなとこスピード出したら超危ないよね最も徐行しなきゃね」とか何とか思って納得したが、やがて気付いて、すごく騙された気分になった。この奥に本物が建っていたりするもんだからなおさらたちが悪い。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ tyaffic [R361ですね。一枚目左奥が桜で有名な高遠城跡で、二枚目は中央アルプス木曽駒ヶ岳。当初ここは電気鉄道を通す予定で用地買収も済んでいましたが、当の推進者が病死してオジャンになってしまいました。てか良..]

_ nagajis [2枚で200まんえんでした(大阪の商人風]


2012-05-22 この日を編集

[独言] しばらく留守にする

外出がこんなに大儀なことだとは.右足が持てばいいが,三重からあの状態で帰ってこれたのだから何とかなるんじゃないか.

[絵葉書] 土倉翁と千年杉

画像の説明

在りし日の土倉翁が杉の巨木の下で憩うているシーン(多分上多古のあれだろうと思う).Nさんが見せて下さった絵葉書の続き物らしい.どれだけ貴重なものかわかったものではないのだが有象無象の200えんの山の中に埋もれていた.

画像の説明もともと土倉翁は痩せ顔な人なのだが,この角度で見ると余計に痩せているように見える.そうして胡麻塩髭 に見える.なんだか晩年のJobsに似ているな,と思ったが,似ているのは顔だけでないかも知れない.

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ iso [とある群青色のところをポチっとしました。]


2013-05-22 この日を編集

[独言] 心地よい夜

歩くだけで汗をかくほど暖かくなった。むしろ暑いくらいだ。その分夜の涼しさのありがたさが身に沁みる。ふとんを被ってすっと眠れるこの涼しさがいつまでも続いてほしい。無理な願いだとわかっていてもそう願いたくなる。

夜の心地よさ、玄関口の躑躅の鮮やかさ、元気に成長を続ける南天の若芽の、その勢い。そういうささいなことに幸せを感じる。そんなところにしか幸せはないとも思う。幸せは一時しか続かない一過性のものだ。だから人は幸せを求め続けて止まないのだ。いつもそばにあるものに幸せなり喜びなりを感じ続けることは難しい。

そっか、南側の橋台は関西鉄道のか。明治34年頃なら日本窯業の刻印があってもおかしくない。○も明治34年に線を引ける。かろうじて引っかかるな>旭


2018-05-22 この日を編集

[古レール] 断面祭

画像の説明

仕事上がりの真夜中に柵を見に行くようになったら、末期にちがいない。

先日来から本格的にレール断面を気にするようになって、その疑問を解決するためにLONGEST-DH柵へ向かった。この柵は長いだけあって最も多くの種類が見られる。

結果、

B.V.,CAMMELL,BARROW他(各社)→ 60#1

6015 ILLINOIS (阪鶴鉄道発注)→ 60#ASCE=60#4

6009 ILLINOIS (官設鉄道発注)→ 60#2

6007 ILLINOIS (山陽鉄道発注)→ 60#5

CARNEGIE 1896 (阪鶴鉄道発注)→ 60#ASCE=60#4

CARNEGIE 1898 (山陽鉄道発注)→ 60#5

CARNEGIE 1900 (官設鉄道発注)→ 60#2

八幡製鉄所 60 A 1917      → 60#ASCE=60#3

八幡製鉄所 60 B 1906     → 60#2

UNION 1902 (官設鉄道発注)→ 60#2

てなことがわかってきた。やっぱりILLINOISの6015はASCE断面類似でよかったのだ。

んで、最初期のイギリス製レールはどれも60#1に類似している。ベースの傾斜が2段になってるやつ。それが最初に入ってきて、敷設距離も長いから、60ポンド「1種」と命名されたんだろうと思う。その次に入ってきたのが鋼産国としてメキメキ頭角を現していたドイツのレールであったので「第2種」。KRUPPなんかは1880年代の前半に入ってるものね(岩倉使節団も行ってるし)。そうして後発国ながらものごっつ鉄鋼業が発達したアメリカ。初期の頃、CARNEGIEやILLINOISの山陽鉄道納入品には独自規格の「60#5」相当のを送ってきたけれども、やがてASCE規格ができて、阪鶴にはそれを納入した。八幡製鉄所ができた時にはASCEを今後の規格の中心に据えるつもりで「A」をASCE断面に、「B」はドイツから技術とかレール圧延機とかを輸入したこともあってかドイツ規格の類似で。んで各社には各社がすでに導入している規格に合わせた形状で納入することもあったと(CARNEGIE1900とか)。

といったように、輸入元の順番、その国で基本となっていた形状、とかから1~9種が決まったのだと、逆にそう考えたほうがわかりやすいような気がする。もう既に誰かが言ってはるに違いないと思うけれども。←いやそれまんま「保線統計. 昭和6~8年度」の記述じゃん。うん。

福知山線にはドイツ製レールがたいへん少なく、UNIONくらいしかないので完結的にものをいうことができないけれども、全国的な傾向もだいたいそんな感じなんじゃないか。(1本だけDKが混じっているけれども測ったら70#2であった。)

後半はB.V.の印影撮影祭りとなった。夜中に行くと読銘が捗ってありがたい。見逃していたのをいくつも見つけ、その大半がB.V.だった。1893から1904まで5種類(5発注社)のんがあるっていうのはなかなかすごいことなんじゃないかしらん。しかしCOLDだったりCOLDだったりCOLDだったりとひどくまちまちなのはちょっと勘弁してほしい。同じ発注者でも違ったりするんじゃないだろうかと思うと夜も眠れず朝眠くなってしまう。

最大の疑問であった「60#9」の所在はわからないままだ。断面を調べた限り、阪鶴鉄道発注品の可能性があって、60#5もしくは60#9に相当するものというのが見当たらない。山陽鉄道の発注レールが60#5なだけで、それ以外に該当するものがないのだ。どういうことだろう。60#9は阪鶴鉄道のためだけに存在しているというのに。こうなってくると山陽鉄道が発注レールを阪鶴鉄道に横流しして一部区間でそれが使われてたんじゃね?とか勘ぐってしまいたくなる。「保線統計. 昭和6~8年度」でも「現存のもの見当たらず」とあるし。

アゴの角度が2度違うだけなのか…でもそもそも60#5のゲージがはまるやつからしてないんだってばよ。


2019-05-22 この日を編集

[乞御教示] 構造物から「出胎」した「転石」

以前は何かの構造物を構成していて、それが解体され単体となって転がっている一個の煉瓦、を言い表す言葉を探している。相応しい用語がありそうでこれというものが思い当たらず、仕方なく「転石」という言葉を使っているけれども、これでいいのかどうかは常に迷っていたりする。

辞書的には「転がっている石。山腹や河原などに点在する石」だそうなので悪く無いとは思う一方、専門用語としての「転石」は「河川または氷河の作用で他の場所から移動してきた巨礫」らしいので、公の場で使うとちょっと齟齬を来しそうである(そもそも公の場で使う機会があるのか?という疑念は脇に置いて無視しておく)。だからといって「単体煉瓦」というのもなんだかなあである。構造物からまろび出てきたという感じが出ない。だったらまだ「遊離煉瓦」のほうが近しいと思う。

その、「まろび出てきた」という現象?を言い表す言葉にも困っている。こういう場ならそれで構わんだろうけど、ちょっともったいぶらなければならないような場では使えない(使ってもnagajisの気品が下がるだけであるが)。いろいろ考えあぐねた末、字面のイメージの組み合わせで「胎出」とかしたらいいんだろうかと考えたんだが、そういう言葉はないようだ。勝手に使っても自分は困らぬが「鬼胎」を反省した司馬さんに習って避けておくが吉かも知れぬ。だったらまだ、「母胎から生まれ出ること。誕生すること。」の意という「出胎」のほうが使い勝手がよろしい。釈迦八相のひとつというのも格好いい。

そういう専門用語がすでにあるならそちらを使うに越したことはない。御存知の方があれば乞うご教示。

[料理][奇妙なポテンシャル] ピザトースト

子供の頃、ピザは憧れの食べ物の一つだった。確か「グーニーズ」か何かだったと思うがアメリカ映画の中で旨そうにピザを食べているのを見たのが始め。食べたくて仕方なかったが地方の小邑にピザ屋などなく今のように冷凍ピザが売っていたりもしなかったから、見よう見まねで「ピザトースト」を作って我慢したものだった。

その「ピザトースト」もたいへん質素なものだった。まずもってピザソースというものがなかったから、ケチャップで代用するしかなかった。ピザトーストのためだけにピザソースを買ってもらえるような家ではなかったのである。同様の理由で「チーズ」も省略されることが多かったし「サラミ」などもってのほかだった。結果、マーガリンをたっぷり塗ったパンに、玉ねぎのみじん切りとかピーマンの輪切りとかを載せ、ケチャップをにゅるにゅるかけて焼いただけの代物を「これがピザトーストなのだ」と自分に説くごとくにして食べていた。大学時代にもこの「ピザトースト」もどきを半ば主食にしていた気がする。

今でもときおりピザトーストが食べたくなる。そういう時に以前の反動としてピザソースたっぷりチーズたっぷりな本当のピザトーストを食する、というのが常人の行動だろうと思われるのだが、実際にそれをやってみた時、なぜか全然納得できていない自分を発見して驚くのである。お前が食いたがっていたピザトーストはこれなんだぞと言い聞かせても効果が無い。ケチャップのきっつい酸味がないと物足りない。よほど刷り込まれているのだろう。ピザソースの価格の高さ(といってもたかが知れているのだが)も多少は足を引っ張っているようだ。あんだけしたのにこれっぽっちしか入っていないうえに何だか物足りない味だというところに心からの納得ができないらしい。

チーズだけは、奮発する。まんべんなく全面積を覆うくらいに盛って焼く。それが無上の贅沢に思える。安い安い幸せである。

サラミは未だ試したことがない。


2020-05-22 この日を編集

[独言] 無駄な既出

図書館が快感した、もとい開館したと聞きつけたので早速行ってみたのだが、書庫の本は出してくれないしデジタル部屋は閉鎖しているし、おまけに社史コーナーの開架だけ閲覧不可になっていて、まさしく開店休業状態であった。うむ。ちゃんと調べてから行けば良かった。何しに行ったのかわからん。

ここで図書館職員氏に不満をぶつけたらどうなるんだろうと思ってみたりしたが、気弱な私がそんなことできるわけがないのだった。 画像の説明

そのまま帰ってはまさしく無駄足になってしまうので鉾流橋に寄ることにした。今号記事を書きながら、この橋のたもとからの眺めを撮った写真がないことに気づき、そこのところをうやむやにしたまま終わらせてしまった。その心残りを晴らすことができただけでもよしとしよう。

橋ギリギリに寄って側面を見た時、さほど違和感はなく、ゲルバー桁には稀有な「破綻のないシェイプ」だと改めて思えたのだけれど、手前の突桁の部分には若干の違和を感じた。この部分は直角三角形的な開いたシェイプのはずなのだけれど、たもとから見ればまるで普通の矩形ガーダーのように見えてしまう。遠近法で遠くのものが小さく見えてしまうその割合と桁の開いていく角度とがちょうど相殺されているらしい。このように見えるようにわざと設計したのであればすごいことだと思う。ただそれが美的に成功しているかどうかはなんとも言えぬ。並行直線に見える桁と吊り桁のアーチと対岸の明確な収縮という取り合わせは若干の違和感がある。類似の構造を見慣れていないことに起因する違和感である。ピカソの絵だって当初は非難囂々だったというし、初めて出会う宇宙人を一目見て美しいと思うことはたぶんないだろう。 画像の説明

あと、この角度から橋を見た時、橋全体を視野に収めることが難しく---奥行きがあるので橋のいずれかの部分に焦点を置いて見てしまわざるを得ないのだと思う---、その場合にたいてい吊り桁の辺りを見ていることが多いようだ。鉾流橋のその部分のシェイプに破綻がないせいで「納得」してしまうのかも知れない。引いて撮った写真を見ると先述の並行感が発生して納得を弱めてしまう。

そうそう、鉾流橋の欄干デザインと中之島公会堂の階段手すりのデザインは一緒だった。改修前からそうだったように記憶する。大阪市の橋梁写真集にもこの欄干の写真があったような気がする。

ついでに西天満の煉瓦壁にも寄っていった。以前訪れた時はその前に建つ建物のひとつが取り壊されていたせいで比較的広い範囲を観察することができたが、今はその歯抜けに新店舗ができたようで、同じものを見ることができず。そのかわりブロック端近くの駐車場で半分に断たれた煉瓦壁を見ることができ、そこに日本煉瓦と岸和田煉瓦の刻印を確認することができた。岸和田煉瓦は機械成形、米式切断機によるもので、刻印は飾磨港の工場壁に見られるアレと同じ線状の十字であった。


2021-05-22 この日を編集

[独言] 嫌われる藤田組

兵庫県臨時会・県会・郡部会日誌 明治14年郡部会日誌より。M14郡部会にて土木費の審議がなされる中で20番議員・法貴発から動議。この動議自体も郡部の土木補助費の名目「河港道路堤防橋梁建築修繕費」を「河港道路堤防橋梁修繕補助費」と修正すべしだとか一等里道への補助費を全廃するだとか大変興味深いものなのだが、その里道補助費の廃止理由を述べたところにこんなことが書かれてある。

今之れを補助費となさざるの理由は近年河港道路等多くは大坂藤田組等の請負普請にして麁漫無法一も堅牢なる普請を見受けしものなし(中略)今之れを人民にて普請せば丁寧信切にして入費も減ずべし則ち官に於ては全く目今の土木課を廃するを得べく民に於ては特く入費の減ずるのみならず堅牢耐久の普請をなすを得べし
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/785079/45)

『兵庫県百年史』によると、法貴発という人は民権運動の急先鋒みたような人だったそうで、この動議もそんな民権意識に拠って発せられている。本来里道の改修はその局地の人民が責任をもって行なうべきもの(協議費によって改修すべきもの)だし、人民が自助的自発的に地域を改善していくこと則ち民権の原理であると考えていたらしい。地方税の補助は県=官吏の恩着せであるという発想なわけだ。

それはともかく、彼は藤田組の土木工事を粗忽で無法な普請だと一刀両断している。これは法貴一人の極端な認識というわけでもなかったらしく、この動議に賛成して「藤田組に受負わすは甚だ喜ばず」と発言した議員もいた(21番重田)。

面白いことに、法貴は丹波篠山の出身で多紀郡選出議員だった。この議会の進行中には鐘ヶ坂隧道の建設の話が進んでいて(M13.12に着工)、その鐘ヶ坂隧道の工事を担当していたのが藤田組であったりする。工事にあたって何か悪い風聞をまき散らしていたのだろうか。あるいは藤田組式の近代的なやり方が旧慣にそぐわないところがあって住民感情を害するところがあったりしたのだろうか。

議会史や議事録を読んでいるとこういう機微に行き当たることがあって面白い。しかし量があまりにも多いので総体的に把握するのは難しい。前述動議も賛成者が少なく廃案になっているのだが、里道一等道路への補助の廃止自体は可決されている。この動議の続きを読んでいくと補助廃止か否かでかなり白熱した議論が交わされていることがわかる。

もともと兵庫県は県会が始まった最初から民権意識が高かった県で(初代県令伊藤博文とか大政奉還に先駆けて版籍を返還しようとした酒井忠邦とか、地方三新法よりも前に県会を始めた森岡昌純県令とか)、その発露が里道補助費の廃止となって表れているといえる。そしてそれが県会を重ねるごとに地方税補助を望む、易きに流れるほうに変わっていく。些細なことのように見えるが時代と地域性とを象徴する一シーンであったりするのだった。


トップ «前の日(05-21) 最新 次の日(05-23)» 追記