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2020-06-22 [長年日記]

[奇妙なポテンシャル] 自由の線引

画像の説明

煉瓦を探して路地裏を歩いていると、ごく希に、こんな落書きに出会うことがある。家の前の道路にチョークで落書きをしたもの。昭和の子供的所業であり絶滅危惧種といってもよいと思う。そのようなものだから出会うとちょっとほっこりする。が、川島で見かけたこの落書きは、ちょっと考えさせられた。 画像の説明

この線より左が自由であるらしかった。何でも書いていい範囲として線引されたのかも知れないが、その区画には何も書かれていなかった。むしろこれは抽象的概念としての自由の区切りと見たほうが味わい深い。自由を限定する線であり自由の果てである。「ここから先、自由始まる」と読んでも良い。悲惨な最期を遂げる自由、路頭に迷って飢えて死ぬ自由、人様に迷惑をかける自由がこの先から認められている---但し認められているのは自由だけであってそれに対する制裁とか社会的責任とかは勿論ある---。じゃあ自由のないエリアではどうなのだろうか。自由がない即ち制限もないというわけではあるまい、自由もなく制限ばかりであるかも知れない。

[奇妙なポテンシャル] カラーコーン2題

画像の説明

前々回の亀岡で。カラーコーンとトラバーで作り得る最小の結界。

画像の説明

トラバーを使わなければここまで小さくできる。が、どう頑張っても立ち入るのは無理だろうと思った。そうしてこの隙間に無理やり立って「立入禁止に入ってみました」とかいう動画をアップするYouTuberを想像して哀れの涙を流したことだった。

後者は何で結界られているのか理解し難い。車止めが倒れそうだからだろうかと思ってみたがそうでもない様子だ。もし倒れそうであったらコーンともども倒れているような気がする。またこの車止めにぶつからないようにという注意喚起であることも考えられたがそもそも車止め自体がそういう注意喚起のための存在でありぶつかられる可能性は蓋然的に有しているわけでわざわざカラーコーンや黄色テープで結界しなくても良いように思う。ちなみにこの車止めの向こうは幅の広い歩道で、それに面してパーキングがある。パーキングを出た車は車止めの向こうを左から右に走って出て行くことになる。手前は完全な歩道。2人並んで歩いたら塞がってしまうようなそれだ。ゆえにこの車止めを突き破って車が突っ込んでくるようなことはかなり稀だと思われる。

[煉瓦] 明治30年頃に東海道線を使って大阪から京都まで煉瓦を運ぶ

のに幾らかかるだろうか、と考えている。

まず、大阪-京都間は26マイル46チェーン。約27マイルと考える。んで、明治31年『鉄道貨物運送便覧』東海道線の貸切貨物賃金の表によると、煉瓦を貸切で運ぶ場合、50マイル以下なら1銭5厘/mile・ton。

当時の貨車の積載可能荷重は前掲書に4噸or6720斤とある。また日本鉄道車両工業会の『日本の貨車-技術発達史-』第一章には5トンとある。

作業局形煉瓦のサンプルの重さを測ってみると2.6kgだった。仮に貨車一台に5トン積めたとして、煉瓦の個数は1923個。キリが悪いので2000個としておこう。

んで、1銭5厘=1.5*10^-2円、1.5*10^-2*27mile*5ton=2.025円の運賃。2000個運ぶのにこれだけかかるわけだから、1000個につき約1円、運賃がかかることになる。

M30年1月には、大阪市場の卸売価格、10.70円/千個。これが年末には7.4円/千個まで下がってしまう。ていうことは輸送量よりも市場価格の変動のほうが大きく、+1円くらいの輸送費はあんまり重要じゃなかったろうと言える。

問題はそれよりも貨車一台で2000個しか送れないということだ。大規模な建築なんかで、例えば100万個の煉瓦が必要だったとしたら、鉄道で送ると貨車500台分必要ということになる。一日5台を貸し切って100日かかる。不可能ではないにしても結構な量。

でも前掲『日本の貨車-技術発達史-』表によると明治30年に官設鉄道全体の貨物輸送量は158.3万トン。明治9年でも6万トン。500台で2.5万トンだから、まあ無理ではないか。

工場から大阪駅まで運ぶのが大変かも知れないが、大阪駅の入堀を利用すれば水運で大阪駅に直結できる。


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