nagajisの日不定記。
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代数・歴史ありたれど、代数は侮りたる故に半分のみ出来残念至酷〔極〕なり。午後は歩兵隊見学の予定なりたれど、変更し、先水曜の行事、兵器・防毒面検査あり。考査中なるがやはり土曜は楽しきものなり。
点呼後臨時外出田中 潔さんと二人にて田原坂に自転車にて行く。木葉国民学校裏にて飯盒炊爨し十三時帰途につき、田原坂記念館を覧て弾の跡・兵器・弾薬・被服を見て当時を偲びたり。又彼の坂の急峻なるを見ては如何に攻撃軍が苦戦した〔る〕かが思われたり。十六時半帰校す。日曜は効〔郊〕外に浩然の気を養うべからざる感になり何処にか行きたし。依って今日は田原坂となしたるなり。頗る良好なり。
んー。一度手をつけはじめるとズブズブズブズブとどこまでもはまっていってしまう。でも今のうちにやっておかないと発行前にやるのは無理だ。
予定。
んー。19号の「江浪峠」で作ったやつからずっと間違えてた。noPointって何よ。
サムネイル写真の上に透明の枠でボタンを作り、そのボタンにポップアップを発動させるjavascriptが仕掛けてある(ポップアップさせる写真も実はボタンの一種だ)。マウスオーバーの場合はonMouseover/onMouseoutのような感じでいいんだけど、表示させた画像をさらに拡大して見られるようにする(クリックで拡大/消去を切り替える)には込み入ったjavascriptが必要になる。仕掛けが大掛かりになるのであまり使わなかったのだが、かえってそれが禍したか。
編集部の面々の環境では確かに表示されているのだ。たまたまReaderがdiplay.noPointを好意的に解釈してくれていただけだったとは。ひとつ勉強になった。この場合は我々がバグってハニーな側なのでReaderには文句言わない。
バグといえばWindos版Reader6.0のURLリンクの挙動が変だ。Mapionのリンクのように、URLに「,」が含まれていると、それ以降が切られてしまう。つまり
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&nl=37/50/11.626&el=140/27/03.002&grp=Air&coco=37/50/11.626,140/27/03.002&icon=home,0,,,,
のようなリンクの場合は
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&nl=37/50/11.626&el=140/27/03.002&grp=Air&coco=37/50/11.626
になってしまう。これも読者さんからのご指摘ではじめてわかった。CDに収録されている分は全滅だ。
このバグ?もAcrobat4.0、5.0(Mac)では起こらないし、Windowsでも7.0以降では正しくすべて表示される。なぜか6.0でしか起こらない。Windos版の5.0以前でもそうだったのだろうか。いまは入手が不可能なので検証不可能だが。(というかWindows版の6.0、アップデートができねえよ・・・。なんでじゃー)
それから、Reader8.0でフォーム関係が全く動かないというのもあった。先述のようにポップアップはフォームの機能を流用して作っているからフォームが使えないと丸ごとダメになるわけだが、内容修正して保存するわけでもないのに「フォームに入力した情報を保存するには有償版を買え」云々言われて何も起こらない。CD収録の頃のpdfなんかはバックボタンをフォームで作っていたからな。そうそう、それで慌ててリンク+メニュー項目の組み合わせにしたんだっけか。
ひらいめた時にやっとこう。HEADLINE機能をつけた。初めての訪問時にはお知らせが展開される(要Cookie、Javascript)。次回以降、お知らせデータが更新されてなければ折り畳まれる。IEでの検証はまだだが基本はstatus.php(検証済み)と同じだから大丈夫だろ。似而非リキッドデザインにしといて良かったぜ。
ついでに新着コメントの枠も直した。styleじゃなくてtableの属性値としてbgcolorやら何やら設定せなあかんみたい。
HEADLINEやRSSやメールやで告知できるようになったから、赤枠の更新情報はいらんかもな・・・。
その昔、神戸に移り住んだ友人N氏が「高速神戸やで。むっちゃ高速やねんで。」と力説していたのを思い出す。蕎麦まで高速だったとは気付かなかった。しかし写真はそばとも高速とも無関係なイメージ画像で、かつ色褪せてしまっているところに、奇妙なポテンシャルというより侘び寂びに近いものを感じる。
いや待てよ。新開地駅構内が高速の傍ということなのかも知れない。石仏まで一直線。
そう落書きした意図がわからない。「、」に何か言外の意を込めたつもりだろうか。「ア、秋。」みたいな。
ひょっとしたら「ヽ」(繰り返し記号)であるのかも知れぬ。そうであるとしたら将来を悲観した不良中学生(14)の叫びと取れなくもない。あヽ死ぬ。不道徳な行為だと承知しながら書かずにいられなかった少年の悲痛な叫びである。
しつこく続きをやっている。天理市に問い合わせてみたが劇的な展開はなし。道路に関することだから道路管理課と交渉してほしいと。まあそういうもんだよなー。あとは皆さんにお任せするしかない。間に入ってあれこれやったら余計面倒引き起こしそうだ。
道路元標の残存率(現存する元標数/告示時の市町村数)を概算してみた。一位は意外なことに兵庫県だった。51%を越える数の元標が残っているそうだ。次いで奈良県の45.8%。3位は埼玉県で44.数%だった。全部を確認したわけではないし追加で見つかったものや亡失したものもあるだろうから2位3位は変動するかも知れぬ。
残存率で見るほかに残存数で見るのもあるだろう。福島県は市町村が400以上あったので分子もそれなりに多かった(150くらい?)。兵庫県も結構多かった記憶がある。奈良県は154市町村組合村のが告示されていて72の残存。分母が少ない割によく残っているということになる。
道路元標を近代化遺産と認めてもらうためには、道路元標が果たした役割(近代化にどのように貢献したか)を、誰もが納得するように説明しなければならない。市町村間の距離を計る時の基準になった、というだけでは弱い。それによって何が変わったか。暮らしに影響を及ぼしたか。どう「貢献」したかをアピールしないといけない。単に戦前に造られた石碑だからという理由で推しているのではないことを主張しなければならない。のだが。
わが国で初めて制定された包括的な道路法が遺したもの、というところから、帰納的に(旧)道路法や近代的な道路網形成に結び付けることは可能だろうが、一般の人にはピンと来ないだろう。自分だってそうだ。
道路網の枢要地に置かれたことで、それが市町村の中心地と見なされた例はないでもない。しかしそれは結果だろう。
今視点では、昔の道路網をモノで示してくれるものとして価値があると思うのだけどな。それも「だから?」言われたら反論できないねえ。
市町村間の距離は輸送費用の計算に使われた・・・というのは里程元標時代からそうだしな。設置していなかったところでも街道の距離は計算されていたわけだし、道路元標だからということはない。
道路元標を使った実例。言葉足らずに書けばそういうもの。そういうものを探さなければならない。五條町は町道の指定にも道路元標を使っていた(「尋ねて」)。高取町の元標はそれがまだ法的に生きている間に移動させられた。わずか1mほどだがそのために許可申請している(「一件」)。これは利用例じゃないが、それだけ厳密に管理されていたという例として。そもそもこの標が設置され道路距離を測定するのに使われたことがあるのか?>大正の統計書で設置前後で距離見たらいいんじゃね。
理由を後付けで考えてるわけじゃない。もっとわかりやすい、誰もが「ほう」と言ってくれるような形に翻訳する術が思い付かなくて困っている。
受ける側の大変さを考えるようにしている。相手は全知全能の神じゃない。組織の代表と言うわけでもない。仮に代表だったとしても何でもこちらの思うようにしてくれるわけでもあるまい。相手はもっと大人数に関わる、もっと入り組んだ課題を抱えて、自分の持つ以上の責任を抱えて対応している。そこに横から割り込むわけだからな。思うようにいかなかったからといって八つ当たりしたり愚痴ったりしたくはないものだ(どの口が言うか)。してもいない約束を強いて、予定調和的な結末を迎えているだけなのだ。
愚痴を言いたくなる心理をじっくり考えて、それがどれだけ効果があることか、考えてみるといい。愚痴をこぼし誰かに聞いてもらう(もしくは誰かの目に留まることを想像する)ことで気が紛れた気になっているだけで、実際のところ問題の解決には一切役立たない。それどころか愚痴atmospheteを撒き散らして回りを汚染している。迷惑な話だ。虚空に向かって喚く暇があったら行動するよろし。
勤めておられた高校にTELしてみたがてんでダメ。そりゃそうだわな。今から60年近く前の話だもの。その後生徒さんが継続調査をしているということもなし。教育委員さんすら把握していないのだから、いったいどこから手をつけたらいいのか状態だ。
日本に分布する横井戸の例として、富士山麓、三重県の鈴鹿の山麓と並んで葛城山地が言及されることが多い。のだけれども、その実葛城の現況を把握している人はいない(無論自分もだが)。「かつてあった」という話だけが一人歩きしている状態だ。なんとかしたいのだがなあ。あの地図だけじゃなあ。
約一ヶ月ぶりに部屋掃除ができた。居住空間だけでなく流し周辺もかたす。袋詰めになったゴミが山積みになっている。早く捨ててしまいたいが明日はプラゴミが捨てられるだけだ。
部屋掃除のついでに気になっていた種々も片付ける。第一にパワーグリップの再生。それなりに程度のいいブツなのだがバッテリーを押さえる爪が片方折れていたせいでジャンク価格で売られていたものだ。
tacticsはS9100のバッテリー蓋の爪を直した時と同じ要領。ダブルクリップの鉄板から爪を創造し取り付ける。なんとかの一つ覚えである。
本当は全分解して加工したかったのだが、グリップのラバーとシリアルシールを剥がさなければならなさそうなので断念した。内側にエポキシ接着剤で取り付けるだけに(外側は押さえバネが当たるので取り付けられない)。
完成図。面接着+セン断方向に力がかかっているだけなので多分大丈夫だろう(そもそもバッテリー1個しかないし)。返し爪を若干高く取り過ぎたせいで電池蓋と干渉したため、ルーターで削ってやる必要があった。あと、幅を狭くしたためバッテリーの溝にひっかかりやすい。こちらへ電池を装填する時はちと慎重にやらねばならぬ。
それからTFー101の清掃。キーボードのパンタグラフが乾いてきたようなのでシリコングリスを塗りたかった。上からやるとえらいことになるのは自明なのでキーボードドックを分解してから散布する。ゴム足の上の2個にネジが隠れているので、これを外してコジていけばキーボード+アルミ筐体とプラ部+基板類の2つに外れる。この辺はメンテのしやすさを優先したいい造りだと感心。
キーボードとアルミ筐体は溶着でがっつり固定されており外すことができなかった。しかしキー底のアルミ板に無数に穴が開いていたので、そこからシリコンオイルスプレーを吹き込んでやることで所定の目的は達成された(これだけ穴が開いてるということは液体を溢すと一発で昇天するな)。結果、購入時以上に静かになってとてもいい感じになった。
ついでにネジ穴足が片方折れていたのでエポキシ接着剤で補修。亡失していたキーボード面のゴムも再生したった。いつかやんなきゃと思っていたことをやり尽くせたので満足である。頻繁に使う道具なのでメンテは怠らないようにしたい。
前回ああやって無駄な時間を過ごしたせいで翌日見事に寝過ごしてしまい悲しく恥ずかしい思いをした。今回はその反省の意味も込めてネタを用意して臨む。だから何だ、というネタである。
官能小説のチェックをしていると人間のエロへの反応の鋭さを実感させられる。動体視力で見ていても官能小説特有のワードが目に飛び込んできて、否が応でも認識させられてしまう。「乳房」だとか「ペニス」とか。なんだか自分のエロさを試されているようで悔しい。そのうち何でもない一文字、例えば「快」だとか「濡」だとかにすら反応するようになって、なんだかなあ、と思う。そんなのに反応する暇があったら折れとか水濡れとかのほうを見つけろと。
そんなことを繰り返しているうち、いっそ伏せ字にしててくれば良いのにと思った。 伏せ字の官能小説なんて需要があるとも思えないが、奇妙なポテンシャルは高いだろうと思う。
もちろんnagajisが反応しないくらいに伏せ字でなければならない。戦時下で反社会的小説を検閲したごとくな伏せ字にしなければならぬ。いやそれ以上にふせねばならぬ。何しろ「揺」に反応するくらいだからなnagajisは。
(以下名前はあくまで仮名である。特定個人をイメージしたものではない。ないったら)
「嫌だ嫌だと言うけど、下の□は正直じゃないか」
良夫はそういって花子の●●をま××る。××な○が○○れた。
「○やっ!!」
電□が走るような × ×を▽じ□け□る花子。その○はすでに△△△だ。良夫の○○した××は容赦◇く花子の◇◇を◇き続けた。
「○△、○△~!□」
xxに○れ、 △△が我慢□□なくなったらしい花子の■■が×む。●●●●、○○、う △腕□が▽▽れてゆく。 「○△、 ○△、 ○△〜〜〜!!!□」
そう叫んで××は@@した。
ああなんでいやらしいのだろう。扇情的だ。頽廃だ。
おい早すぎないか良夫、とか思った人はnagajisのせいにするといい。そんな描写できるほどの語彙も文才もないから。
それにしても『残像に口紅を』の綴込み官能小説はすごかったな。文字が半分も残っていない世界であんな描写ができるなんて。何度○△○たかわからぬ。
天辻隧道は確かに物件の描写が短いな。モノ自体は取り立てて書くべきところがないので歴史とか引用とかに注力したほうがいいとは思っていたが、全体通して読んでみてずいぶん浮いているなと感じた。特に建築はYさんがギッチギチに詰めてあるのでなおさら相対性が発生してる。まあ仕方ない。そういうぶんしょうしか書けんのだから>nagajis。
そのうえ近代道路網に5行以上も追記しなければならなくなり、泣き叫びながら削って圧縮して詰め込んだ原稿をさらに削らなければならなくなった。こういう時バイナリアンなら上書きで入れ込めるんだろうけど、そうじゃない自分は一度展開してから減らして入れてまた圧縮してしなければならない。たっぷり時間がかかった。たぶん.lzhか.cptか.7zの拡張子がついてる。んで解凍するときエラーが出るんだ。
吉野貯木場の注釈に川端貯木場のこと放り込んでおいてよかった。路線のことしか書いてもらえてなかった(泣。
ようやく余裕ができたので懸案だった蕨を料理する。といっても昆布だしとしょうゆで煮ただけだ。思った通りの懐かしい味になったのはやはり、青森のしょうゆで青森の蕨を煮たからだろう(昆布もそうだろうか?少なくとも北の方に違いない)。地のものは地のもので調理するのが一番だ。
ついでに冷凍肉団子で甘酢団子を作る。酢よりも醤油の刺激のほうが強いという一風変わったものになったが、自分的には旨いの領域に充分収まっている。そうそう、タンスーワンズだタンスーワンズ。
「道端遺産」は我ながらいいネーミングだと思った。いちコーナー作ってするほどの価値はないかも知れないが。
前回の原稿を書いた時に不用意に「裏日本」という言葉を使い、TUKAさんにツッコミをいただいた。故にこの本を読んでいる。言葉狩りは嫌いだが「なぜダメと考えられるようになったのか」をちゃんと咀嚼したうえで代替語を用いたい。
もうちょっと感覚的な話かと思ったら、そうではなく、データや文献、当時の新聞記事などを豊富に援用して、なぜ裏日本が衰退したのかを丁寧に説明してくれた。もともと「裏日本」という言葉には悪意も蔑みもなく、表日本に相対する(比肩する)文化圏という認識で使われていたらしい。北前船の交易とか出雲とか金沢とか。明治初年代、島根県には全国比で10%もの数の工場があったとか、人口の多い主要都市30傑に裏日本の都市が6つランクインしてたとか、私は知らんかった。それが近代化の過程でどんどん衰退していって(というのは正しくないかも。太平洋側の急激な発展についていけなかったとかそちらに労働力を吸い上げられたとか種々要因がある)、結果的に「裏」に悪いイメージがつきまとうようになる。言い出したのはやはり裏日本の人々らしい。裏日本だからなんとかしないと、というので頑張ったけれども 衰退しているところというイメージをより強く植えつけただけだったような感じ。まあ「裏」という言葉を使いだした時にそうなることが決まってたことだろう。男と女、陰と陽、上と下、AとB、並列にあるものを使えば(人は一度に2語喋れないから)どうしても順番ができる。その順番があとでとやかく言われるカンジ。
別に太平洋側が裏日本であってもよかったのだよな。文化が入ってきたのは大陸のほうで、その大陸に面している日本海地域が「表」と呼ばれる素質がなかったわけじゃない。けれども大和朝廷とか京都御所とか江戸城とかが太平洋側にあったせいで、そこからみて裏だ、向こう側だというイメージが定着しやすかったのだろう。
裏日本のハブられ具合いを示すために初期の鉄道網が示されていたけれども、表裏日本を結ぶ道路は案外早い段階に改修されてる。国庫補助で。京都の山陰道、島根兵庫の若狭街道、島根県の三道改修。もちろんそんだけじゃ足りないが、日本海ー太平洋の連絡を陸路に担わせようとした結果鉄道が行き渡らなかっただけかも知れない。人々が鉄道に期待を寄せすぎて、道路をないがしろにしたから、いつまで経っても旧態のままだったのかも知れない。
鳥取島根徳島香川愛媛高知と順調に反映していって、岡山も広島も無事に収まったのに、最後の山口で収まらねえ。詰めても3工場分はみ出す。別けるのもどうかだし……。ムギュー
無理矢理収めた……。ザッツオール。たった5年間でも抜けていると見えないことが多々ある。播煉吉名工場とか。
芦屋の山際で不意に遭遇した煉瓦壁。傾斜した斜面に傾いで築かれている。足元に刻印を一個確認。
現地では大阪窯業だろうと思ったのだけど、こんな擬焼損煉瓦を作ってただろうか? できちゃった焼損ではなく意図して作ったと思わゆる焼損煉瓦だ。
サムネールで見ると吉名煉瓦っぽくも見える。もしくは、それ以外のどこか。
その近くにあった橋。自分も時おりこの間違いをするのであげつらったり笑ったりしたくはない(隊道とか随道とか墜道とかをpgrする人とお近づきになりたくないな、の心境と同右)。旁の「喬」の一画目が伝染しやすいんだよね。
市立に残りのコピーを取りに行く。帰りの電車で読んでいて、今号の「由良要塞をゆく」でドヤ顔ってた話が間違っていたことを発見して悄気た。堺の新釜は明治29年10月に初火入れ。んで成形機械の導入は31年。その時の広告の文面が社史には掲げてある。
当社堺市分工場に今般設置せし煉瓦製造器械は(略)型口圧出の際煉瓦の四面に水を浸出し側面は平滑にして恰も手製煉瓦の磨き品に等しき光沢を顕わし上下の両面は特に粗鬆にして以て「モルタル」の附着力を強固にする(略)(注:旧漢字カナを新字かなに変更)
件の「叩き」の載っている大日本窯業会雑誌は大正初めのやつだから、M31~T元の間に方針転換したんやろかね。逆にいえば「改」on手成形は改良ホフマン窯を設置し成形機械を導入するまでの間のごく限られた期間に製造されたものだ、ということになったらものさしとして精度なのだろうけど、そう旨くはいかないだろうな。岡町住宅地にあることを説明できない。それよりも機械成形と手成形を並行して利用していたと考えたほうがよさげ。『大阪府下会社組合工場一覧 明治37』には職工男103女32とある。職工の数は多いんだ。
24時を跨いでだらだら書いて見たりすると覿面に流れてってしまう。トップに複数表示させる手はないわけではないが、それだと重くなるばっかりだしかえって目障りな気もする。所詮日記である。
言いたいことをバックスペース無しでざくざく書き切れるように早くなりたいものである。こういう妙ちきりんな文章にも不干渉にもとい不感症になりたいものだ。どうせいいようにみられたいだけなんだからさ校正なんて推敲なんて。押したって叩いたって結果が同じならどっちだって構わないのである。
Android版もPC版なみに語彙が増えてほしいものだ。時折単漢字でも出ないことがあって微妙にいらつく。あっ、苛つくなんて言葉使っちゃダメだな、底が割れる。お里が知れる。知れて困るもんでもないしそうゆう時は泥中の蓮花とでも答えておけばいいけれどさ。
続く気の利いた言葉を考えていたら眠くなった。十二分に役を果たしたようなので眠る。
奥義63、通称キバハゲデュエルのラスト、ボーボボの「『ガネメ』とはただの言葉にすぎん」に対するキバハゲのセリフの『ガネメ』には「現実」とルビ振られているんだ。つまりガネメ=現実。これを踏まえて奥義191を読むとさらに理解が深まる。
あと、奥義66に登場する輪ゴムは『虚航船団』文房具船の一級操縦士 の裏返し。「天体観測的に宇宙から見た僕達は等しく小さい」のですぐにゲシュタルト崩壊する輪ゴムがここでは真逆の言動をしている。
_ yokkirenn [キタキタッ!]
_ ホルモン焼き [大将!忙しなりまんな〜。]