nagajisの日不定記。
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西尾士族生産所の資料を見ていて、21年の棚揚げの表に「並形」煉瓦の納入が記されていることに気づく。これとは別に「厚形」もあって、量はそちらのほうが多い。この「並形」は並形という形式に言及した最初期のものと思う。
東海道線中京区間の建設に使われた煉瓦はことごとく肉厚の煉瓦であった節があり、この状況は天竜川橋梁の辺りまでは確認できた(つーても浜名湖と天竜川しかみていないのだけど)。『西尾市史』にある手紙にも鉄道局御用の厚形煉瓦と書いてあった。もしかしたら全線的に、規格として肉厚煉瓦が採用されていたのかも知れない。この建設に合わせて従来より厚い煉瓦を採用することになり、その厚形煉瓦と従来の煉瓦を区別するために「並形」という表現が生まれ、それが関西方面に逆輸入されたのかも知れぬ。時期としては合うのである。『建築学提要』の頃にはまだ大阪形と呼称していた。それがM25頃の市場価格調査では並形になっている。M24には作業局が普通煉瓦の規格を定めていることもあり、従来品を特に呼ぶ呼称は必要性を増していたはずである。
そうか、同じ頃山陽鉄道も肉厚の山陽形を作り始めていた。『建築学提要』では大阪形東京形と並んで山陽形が掲げられている。
じゃあなんで東海道線建設で肉厚煉瓦が採用されるようになったのかという話。そこに村井嘱の三工場が関わってくるのではないかと想像する。静岡県下に三工場を設けて煉瓦を供給したわけだが、付近の粘土は関西の土ほど良好ではなかったはずで、関西で製造していたような厚さの煉瓦を焼くのが難しかったゆえに、厚さを増すことで対応しようとしたのではないか。少なくとも5種類以上あった異形煉瓦なんかは焼製時に変形してしまうと規格をたてた意味がなくなる。