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2022-10-30 [長年日記]

[煉瓦刻印][きたく] 衝撃の結末

画像の説明

逢魔ヶ時に、してやられた。まさかこう来るとは。

追記:前河原避溢橋のネズミ男のビンタの如きビビビ列にも痺れたが---Iさんはこの橋梁のことを言っていたのだろうか。3年前の煉瓦展示の時に「有名な3連の煉瓦アーチ」に刻印を見つけたという話をされていて、しかしその写真がカメラロールから発掘できず、その場限りの話で終わっていたーーーなおその足で田村の先まで歩き通して煉瓦橋梁をみてきたが「ビ」が見られるのはここだけだった---、最後の最後、鯉川橋梁で「まさか向川暗渠みたいなことは起きないよな」と思ってめくった葛の下に「キ」があってぶったまげた。んじゃあさっき見た海サンバ川のアーチにもあったりしたら嫌だなあと再度立ち寄ってみれば”○シ”を見つけ出して。結局日暮れまでうろつくことになった。

海サンバ川の小口に”○+カナ”が出現したことで、京阪神地域で見ていた”○+カナ”が”○+英字”に繋がっていく可能性が出てきた。もしかしたらそれが”キ””メ”にも続いてさらには石部の無名暗渠のカナ印とも繋がっていったりするのか。前河原以北の肉厚アーチ群は一応小口も見たつもりではいるのだけれども、そのつもりでいた海サンバ川や鯉川で小口印を見過ごすところだったことを考えるとちょっと怪しい。愛知川の北の2つなんか大丈夫だろうか。

京阪神地域の”○+カナ”とはサイズ感が違うと思っていたけれど、も手元の”○ホ”の型を取って同じ条件で比較する必要がある。一連の刻印は型取材ですべて採取してある。


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