nagajisの日不定記。
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面白いことに気づいた。陸軍省御用煉瓦の請負はM15.3.から始まっていて(月30万個で6月までに計120万個)6月半ばまでに70万個を納入済。而して西尾の工場はM16.4.に開場していることになっている。士族談話会もM15.11.に西尾が加入したのが最初なのでこの70万個は西尾製ではない。この煉瓦の製造が西尾市史のいう天王での製造に係るものなのかも知れない。単に陸軍省に見本として提出するだけでなく暫くはそこで焼成をしたと。それが立ち行かなくなったので士族就産を謳うようになり西尾や刈谷などに工場を開いていったのか。新川辺での製造が上手く行かなかったことは西尾市史中にある手紙の中にもある。新川の例が失敗していたので西尾の工場を設立する時に碧海郡長がいたく心配していた云々。
猿島砲台では「愛知名古屋東洋組瓦塼製造所之印」のと「東洋組西尾士族就産所」のとが見つかっていたはずなので、あるいは前者と後者で全く違うのかも知れぬ。さらにいえば「西尾分局士族就産所」と「西尾士族就産所」とでも製造時期の違いがある可能性。分局・支局を言い出すのは少し後のことだ。
『工務局月報 (17)]』ではM15.12.に建築に着手、翌2月から製造開始とある>西尾。開業式はその後に改めて行われたのだろう。久能文庫の資料にある開業式典式辞はM16.4.になっている。
日本の廃道、197号が発行されていなかったの気づきませんでした。 <br>HEADLINEが更新されてなかったですね。 <br>
すみません。。。すっかり忘れていました。間があくと手順を忘れていけません。