nagajisの日不定記。
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大阪駅で新快速を待っている間に外人さんに話しかけられた。有線イヤホンでBUT NOT FOR MEを聞いていたので第一声が聞こえず。慌てて外して耳を傾けると“KIOTO?”と聞こえた。ふむこの電車は京都に止まるかということか。確かに止まる。これに乗ればよい。という返答に“OK”とサインまでつけてしまったのは大変いただけなかった。あのマークは国によっては卑猥な意味になると聞いたことがある。そもそも“OK”じゃ意味をなさないのではないか。シンプルに“Yes, you should transit on the next train"とか"Yes, the next train arrives at KIOTO"とか言えばよかった。ということを一日中後悔していた小心者のnagajisである。
公文書には地所代価の受取証もあって、そこにちゃんと番地が書かれているのを思い出した。その地番で突き合わせれば工場の場所わかるじゃん。そう思って大津市立図書館本館へ行きブルーマップで確認すれば、やはり大体推定の場所で合っているようだった。ただしちょっと南寄り、雄琴4丁目の北端から幸福の科学を経て自動車輸入会社の辺りまで、&その道路の向かい側雄琴三丁目はラーメン屋付近を含め南のへんまで。ただし全部の地番が今も残っているわけではないようだ。そうしてその周辺で煉瓦は見られず。ひとつだけあったが民家の詰め物に使われていたので触れるのは止しておいた。胎土も明らかに違ったしな。
あとで裏から回ってみようと思ったが、あてにしていた水田でちょうど田植えをしていたので諦めた。不運。どのみちそのへんは民家の裏庭になるし入れはせんかったと思う。
その後大津の旧線を辿って、最後に蟹川暗渠の煉瓦を測りに行った。敦賀線以前の煉瓦の寸法を知りたかったので。たぶん2-1/4と思うがアーチの上のほうには薄いやつとか短いやつとかが混じっていたのはたぶん東川暗渠と同じような状況と思う。蟹川暗渠は下り線方がオリジナル。書き間違えとったな。
京阪線になっている旧線の暗渠の場所にはちゃんと暗渠位置を示す標識があって面白かった。しかし暗渠自体はその欠片すら見えず、潜っていた溝川も見られなくなっている。埋殺しになっているか、大津市の下水路として使われているかである。
京阪線の琵琶湖方は石積み路肩が続く。天辺の石だけ起こしてそれ以下は45度以下の緩い勾配で積んであるらしい。そうなんよね、開業当初はこれより北には陸地がなかった。
こないだ出てきた高輪の築堤もこんなんだったんじゃないかと思ったが、あっちは天辺が残っていないのだな。