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2024-06-25 [長年日記]

[煉瓦工場] 播州煉瓦工場関係図

画像の説明

こういうことではないか。

官報の登記情報を拾い集めて播州の煉瓦会社を整理した。工場表の末尾につけている。縦の欄は工場の継承関係を示しているが西播のように工場=会社の関連が固定ならわかりやすいのだが、中播とか播州煉瓦合同とか吸収や分離やらがあると面倒。

色付き枠は資本関係。濱本八治郎の山陽窯業関連。黒は純粋な地元資本、オレンジは大阪や神戸などの外部資本と地元資本の協業。青はほぼ純粋な外部資本。大正煉瓦のT9以降などは加古川の糟谷集次が参加してなければ外部資本といっていいような陣容で、だから他の煉瓦工場との関連がないのだとわかる。

S7全播煉瓦販売所は徳島の樫野商店が置いたものだったはずで、その代表者は高谷克巳、これが弘栄煉瓦も経営。弘栄煉瓦は会社設立の登記を見つけられず、個人工場として始まって後に株式会社化したものらしくみえる。弘栄化学工業の分工場だったのかも知れぬ(弘栄化学工業も高谷克己が経営)。その全播煉瓦が存在した時期に工場がちょうど9つある。想像が正しければ“Kn”刻印が全播煉瓦販売の共通フォーマットとして使われていた。K8、K2、K1は近傍で集中的に見つかる工場がある。K9は別所にあったがその頃には別所に工場が動いてない。K6は大正煉瓦の阿弥陀工場付近で採取。あとはかなり適当に割り振っている。確定ではない。

弘栄煉瓦と全播煉瓦が関連があり、Knを使わせてたとすれば、弘栄煉瓦が後に“K”印や“K■”印を使っていたのも納得される。使わなくなった“Kn”の印型を流用して“K■”にしたとかなんとか想像される。

別所窯業と播陽窯業の関係がかなり妙なことになっている。別所窯業ができる前に播陽窯業ができていたが、その播陽窯業が解散すると同時に別所窯業が商号を改めて播陽窯業になっている。関係者は両社でほぼ同じ。別所に工場が2つあってそれを取り替えたような格好か。別所には一時期各社の分工場が乱立していたような結果になっていたので2つ以上あったと考えたほうがすっきりする。その播陽窯業は播州煉瓦合同ができる1ヶ月前に中播煉瓦に合併されているので設立時に3社(3工場)が一度に合同したわけではないようだ。播陽を吸収した中播煉瓦と山本窯業所が合流して3社合同。ただ別所はほとんど稼働しないまま終わっている。


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