nagajisの日不定記。
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昨日の行軍のためまめを生じ歩くに困りたり。幾何の考査ありたれど大体はよし。体操の時間は愉快に能率上りたり。「九州男児」を練習したり。夕食後校長閣下の放送を聴く。「青少年に対して」。一日が愉快なりき。
独逸語単語(名詞)五十可り考査あり。午後は唱歌後教練。射撃予行演習なりき。我は急に引鉄引く癖生ず残念なり。射撃は最も大切なりと自覚して実施するを要す。
南太平洋海戦として巡洋艦三隻の撃沈増加発表さる。八月七日ソロモン海戦より昨日までの百日間の総合戦果左の如し
撃沈 戦艦 1
航空母〃 4
巡洋〃 24
駆逐〃 16
大破以下略す。
我等唯戦勝に酔うことなく益〃本務に向って邁進せん。
今回のミスもまた前回と同様の原因が原因なんだよなあ。抜本対策はないものか。
どつぼ表を読み込んだ以外は次号予告に書いたことから進んでない。23日朝に大台ヶ原山頂駐車場集合。周回コースを通って尾鷲辻の南から軌道跡に入る。長2305間1分8厘(4 191m)、巾1間(1.8m)、最急勾配18分1(5.5%)、最小半径7間(12.6m)、時速2km歩行で首尾よく行けば大蛇グラの隧道×2まで行けるか。雨天中止。求む探索者。とりあえず参加してみたい方はnagajisあっとまーくblue.ocn.ne.jp辺りにでもメールください。
・盛土1042.111立坪。石垣89.997坪。最大高31尺。橋梁一カ所二間、木造暗渠(巾1〜6尺、深さ1〜4尺)41箇所、最大高10mクラスの桟道20間、隧道76間、105間の2つ。尾鷲辻の尾根筋から別れるところは大掛かりな斫取工が目印になる。隧道前にも巨大な切取。隧道2つを抜けた先が最もやばい。
大蛇グラ・蒸篭グラの間の一坑口は確実に開口しているらしいが、それ以外の三坑口いずれかが閉塞していたらジ・エンド。巻く事はできない。
隧道を抜けたところに桟道。これも地味にダンガー。距離は36mしかないが10mマジ昇り降りしなければならない。
奈良県に提出した工事許可申請書類(奈良県立図書情報館)の設計書は奈良県にかかる部分のみ。林道延長は六千百三間、相賀村大字相賀字岩井谷まで。
現時点では23日は曇り/降水確率40%。この天候だと降るだろうか・・・。
まっぷ1枚Distillる(でいすてぃるる)のに2400秒もかけんな>Mac
第二海堡邪魔ッ!
建築の快感 目的の遂行
17時ジャストに飛び込んで発送。しばらく受注がないと見落としがち。&、ステッカー発送用の封筒が見つからず見送ってしまいました。明日こそは必ず>ステッカーの方
郵便受けを覗いたらエボルタが20本入ってたッ!
何だろう何だろう? とりあえず神様からのプレゼントということにして有り難く使わせていただくことにするする(そんなんでいいのか)。間違って投函してしまった方nagajisまでご連絡ください。
17日PM10:00、曇り時々晴れ、30%。これがリミットか?
福島県の方からコシヒカリを3kg×2も頂いた。15日夕方着で送ってくださったものなので、今号編集後記で物乞いをした成果ではないし、頂いたことをヒントに物乞いを書いたわけでもない。むしろ後記を書きなおしておくべきだったかも知れぬ(送ったのにまだ物乞うか!と思われてしまったかも知れない)が、実際のところそういう愚人なのだからそのままで良かろうと思い、そのままにしておいた。
ともかくも有難いことだ。心配して見舞い下さる方、毎日のように見舞って下さる方もあり、とりあえず生かされているという感じがする。
オモテ面写真キャプを除き校正了。丸一日かかった。やはりこういうのはプリントしてチェックしないとだめだ。着工が2つあったり、着工があって竣工がなかったり。表面も休日が赤くなってなかったりした。
資料によって着竣工年が異なるものがいくつかある。これはどちらか一つを採用したので【出典】を確認されたい。あと隧道の竣工と路線の開通が厳密に区別できなかったものが多い。道路の改良ほかで開通式日が出ているものはそちらも載せている。本邦道路隧道集覧出典の隧道は多分前者。
全体的に集覧<地誌<道路の改良・工事画報記事<記念碑・銘板の順で採用している。大沙川だけイレギュラー。滋賀県沿革略史ではM18.4.16になっているが隧道銘板では17年になっているので日付だけ採用して明治17年・滋賀県にしておいた。
母:「今日はちょっと贅沢して焼肉にしましょう」
父:「よっしゃ!焼肉焼きに行く!」
息子:「じゃあ俺鶏肉取りに行く!」
所謂オヤジギャグの発せられる理由、もしくはその心持ちとでもいうべきものが、最近解ってきた気がする。受けるために発するのではないのだ。場の流れで何か言わなければならなくなった時に頭を巡らせ上手いことを言うという努力を何十年も重ねてくると、思考することに倦み疲れ、どうでも良くなって来る。しかし無言でいる訳にも行かず、最も手近にある言葉をpassthruしがちになる。するとそれがオヤジギャグになる。ある種の投げやりであり諦めである。
受けようと思って発せられるオヤジギャグはオヤジギャグたり得ない。また妙に上手いギャグもオヤジギャグとして相応しくない。誰でも思いつく、使い古された、聞いて飽き飽きする言葉を、さもさりげなく発しなければならない。
徒歩5分のゆうびんきょくえ往復1時間かけてゆく苦労。くるぶしの裏が張っている。足裏左の筋肉と筋が腫れている。かかとが曲がらない。
明治25年三重県告示第20号ェ・・・
すごく勘違いしていた.16日にやってたのは精華小のシンポだったorz.まあ保存運動の署名をした手前,すこしは関わっておかないと義理が立つまい.
小学校=学区の象徴.関係費用は学区内でまかなう仕組み.なので小学校は学区の象徴たり得た.昭和2年に学区制が廃止され,その駆け込み需要で豪華な学校が多数建てられ,その一つが精華小学校.正直嫉妬するぐらいに贅沢な作りだ.冬にぞうきんがけしたらその端から凍っていくような木造校舎で過ごした自分としては悔しい限りである.
学区が建てた学校ならば,地域が買い受けるなり譲り受けるなりできないものだろうか.市に何かを期待するのが難しく,もとが地域の公会堂的・富の象徴的なものであるならなおさらだ.
これは私に限ったことなので同意を求めるつもりはない.「建築」にとっつきにくいのは,それが富の象徴という側面があるからではないか.「誇るために作るもの」「金さえあれば作れるもの」というのはあまり好きではない.社会一般としてはそういう誇ることをやったほうがいいと思うし,建物も残すべきで,そうした保存活動にも賛同するが,私個人としてはなじまない.自分のものではないという意識が強い.そんなことを発見した.おそらく隧道だって,単に贅を尽くしただけのものなら興味を抱いたりしなかっただろう.誰もが使うインフラ・生活の頼みの綱としての道だから,親近感もて接することができたんジャマイカ.
公会堂といえば,先日大滝へ行った時に大滝の公会堂があることを知った.大変きれいな和風の建築である.ひょっとしたら元は学校だったのかも知れない.おそらく戦前からあるもの.波打ったガラスがそれを語っていた.
ということで検索してみると半分正解.昭和2年完成.土倉庄三郎が興した大滝修身会の道場として建てられ,剣道場としても利用されているそうだ.
阪急に乗るべく梅地下NorthMallを北へ向かって歩きながら,こんなことを考えた.
お?(ま|ち)んこ
性器表現である.
案外誰もが考えていそうなことと思ったのだがそうでもないらしい.なんて文化的なんだろう,と思う.単にGoogle先生に検閲されているだけかも知れないが.
もう少し拡張できないかと思っていろいろ考えてみたが,案外難しい.
お?((ま|ち)ん){1,2}
本当はここに「こ」を含めたかったが上手くいかなかった.関西風に「め」を入れ込むのはもっと至難である.ずらずら並べるのは論外.別の方面から攻めるべきなのかも知れない.
やがてあれこれそれの異名を思い出す前に「どこまでが性器なのか」という問題に突き当たった.あれこれそれはそうだとわかるが,性の特徴を表す器官ということであれば,例えば顔でもいいことになるのではないか.ムキムキマッチョなお兄さんの隆々な筋肉であってもいいわけだし,女性の体のママレモン容器の如き曲線美であってもよいことになる.いや別にクリームクレンザー自負でもいいのだけど.睫毛.唇.マニキュアの有無.そういうのもある.逆に,各々の性にしか無い器官を性器というのであれば胸は性器でないことになる.そういう印象はないような気がするが私な無知なだけだろうか.無知なだけだろう.
そんなことを考えながら顰め面で歩いていたが,そんな馬鹿な事を考えているとは誰も思わないだろうなと思ったところで口の端が緩んでしまった.敗北である.
あ,そうか.こうすればいいのか.
お?((ま|ち)ん|め)こ
なんで用がある時に限って休館日なのだ図書館は.(四文字ワード).しかも兵庫県立は以前もやったぞ確か.(四文字ワード).いや,わかってるんだ,悪いのはおれなんだ.事前に確認しないおれが.くそ.(検閲).まあ現地に行く前だったのはよしとしておこう.そうしてこれから何かをしようという欲も失せた.睡眠時間のコントロールにも失敗した.5章はまた今度だ.
使用写真をまとめるのはいいことだと思うんだが,そこに未使用おまけ写真を紛れ込ませたのは失敗かも知れない.ややこしいこと限無く,ページがすっかすかだよマリコちゃんになってしまう弊害も現出する.だからといってページの写真を削除しなければイミフになるのだ.ああ無駄.λ.
∧_∧
≦・λ・≧ きつねさん!
今日手配ができないとなると,週明けからというのが難しくなりそげなかんじがする.やはり自分でフェッチて来いということか.片道千なんぼも出さないといけないのは辛いが,国土地理院で買うよりかは安上がりだな.
現地で入手するというのもあるのか・・
ねえもんはねえんだよ!!!(4文字自粛)
神戸市立には戦後以降のならある.
支離滅裂→尻はもとから裂けている,ってどこから得たフレーズだっけ.『脱走と追跡のサンバ』だったっけか.「知能才能放射能,頭脳樟脳看々能」および「韜晦誤魔化し目眩まし露天の風呂は吹き曝し」は確かそうだった.3度目.
のじぎく文庫が届くのを見計らって,23日前後を目すべきか.これは多分ただちには届かない.寒くなりそうだ.
を読んだという内容を書いて送信しようとしたらエラーが出て消えた。しやごしやご! ついでに話が噛み合わなかった理由がわかった(最初の「行かん?」を「要らん?」と聞き違えていた。余っているからあげるという話だと思って喋ってたのだ)ということも消えた。しやごしゃしやごしゃ!!!
前回は工場消長表のことをお話しましたので、今回は煉瓦工場と刻印の対応について中心にお話したいと思います.できれば大阪府下の煉瓦製造業の歴史を概観できるようなものにしたいのですが、話があちこち飛ぶこととおもいますので、今回は「こんな刻印があるんだ」「こんな会社があるんだ」ということ、それから私が今現在課題と考えていることをお伝えし、ご助言いただければ。
所有煉瓦で最も古いものは阪府授産所。旧大阪府庁跡で見つかったもので、 M6-9云々.小口・長手.詳細は旧大阪府庁舎発掘跡.
阪府授産書の煉瓦は大阪府の煉瓦のなかでも最古級.造兵寮建設に伴い煉瓦を焼いたのが最初.泉布観には「YEGAWA」銘刻印,これは「江川某に焼かせた」という記述に一致する.
その次に古いものとして若井煉瓦。堺市に明治20年頃に興り、27年頃に消滅した会社.その前に「成金商社」と名乗っていた時期がある.例えば「大阪府統計書」明治●年版を見ると「盛金社」というのがあり、翌年の●年では同じ住所で若井煉瓦が興っている.盛金は成金の誤りだろうと思われます。春に紹介した消長表は基本的にこのような形で住所をキーにして継承を見ている.あるいは工場所有者が同じかどうか.より具体的な資料が見つかるまではこうやって継承関係を推測する他ないと思う。
若井煉瓦はもっと直接的な証拠があって興味深い.神戸外国人居留地の壁.これには若井煉瓦の刻印とともに成金商社の刻印もある.MANIFECTUREDという誤字はご愛嬌.
次に古いのは、前回の発表の際に持ってきていていたこの煉瓦。B.C.△H.J.という刻印があり、明治21年に創業した関西煉瓦という会社のもの。おなじものが旧グラバー邸で見つかっており、「日本煉瓦史の研究」ではグラバーの関与が疑われておりますがさだかではない。
工場は兵庫県明石市にありましたが、その元となった煉瓦工場が府下豊中市小曽根にあった。朝日新聞のバックナンバーにこのような記事。
また、官報にイギリス人の技師を配置したことが載っている。この煉瓦はプレス工法で作られている。ヨーロッパで主流だった作り方。しかし日本の土には合わなかったのか、以降プレス成形で作られることはなく、木枠に手で土を詰めて整形するのが主流。関西煉瓦の煉瓦もこのよう普通の煉瓦に陰刻したものが存在する。吹田の民家で使われていたもの。吹田のアサヒビール工場でも見つかっている。これが
ツキス。堺附洲煉瓦のものと思われる.これも明治19-30年代に存在した会社.この頃附洲にはいくつかの工場があったけれども.同社社長はツキス消滅後に日本煉瓦へ()。
明治21年頃。朝日新聞バックナンバー。小規模なものも含めると100件近くあるのではないかと。
旭商社の存在が大きかったと思われる。明治 年頃煉瓦製造業組合が成立、その後正式に登録?された時も旭商社の代表。しかしどのような会社であったのか、どのような刻印を使っていたかわからない。
後に関西最大の煉瓦製造業者となる大阪窯業も明治18年に創立。いまの 。それが明治31年頃堺に移転し、後に関西地方で最初に成形機械を導入し、改良型のホフマン窯を導入。
鉄道遺構に興味がある方にはお馴染みの堺煉瓦。成立には少々紆余曲折があった模様。宮崎商店→三栄社→堺煉瓦石 三本線から五本線へ。堺煉瓦は堺監獄の囚人を雇って製造していたところに特徴がある。東京の小菅周時間で煉瓦を製造していたのと似た構図。そのため安かった。
岸和田の第一煉瓦は明治27年に岸和田煉瓦と改名。以降一貫して煉瓦製造をつづける。少し後になるが2番目の成形機械を導入。
明治30年代は大阪の煉瓦製造業が大きく発展した時期。第一期の煉瓦黄金期といってよい(言い過ぎ)・
ちょっと前の明治29年頃の煉瓦生産量の記事.http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20140125#p02 堺附洲煉瓦は日本煉瓦に。加えて津守煉瓦。
堺、岸和田。大阪窯業が堺へ。またツキスが日本煉瓦に。この辺は「商工録」に社章があるので確定といってよい。丹治煉瓦は古くからあるけれどもどのような刻印を用いたかという明確な記録はない.ただし現存する社屋に「丹」記号があり,近畿各地に分布が見られる.和歌山県串本町でも見られるとか.
第一期の六工場時代の一角・津守煉瓦もはっきりしない.津守煉瓦はいまの南海汐見橋線木津駅の附近にあった.地図.この工場の刻印を六稜星とする説.私も賛成.跡地近くで焼損煉瓦らしき刻印煉瓦を見つけたし,後述する大阪煉瓦との関連.
もちろん小工場もたくさん。★印の推定塔本。ユニークなものとして樽井煉瓦。和泉煉瓦を岡町住宅地を例に。
煉瓦製増量は大正8年頃をピークにしている.府下に分布する刻印もこの頃のものが多いような印象.ただし丹治は下駄に.逆ズレもある.これも丹治煉瓦のものと見ると,その規模と分布量とが一致するように思われる.<このあたりどうしても定性的にならざるを得ない.課題.
大正中期に不況。堺煉瓦が脱落。煉瓦製造量も減少に向かう.その一方,例えば印南郡で多くの煉瓦製造業が勃興している.製造が周辺地域に移っていった傾向が見られる.事実
昭和期に大阪煉瓦が勃興。大阪煉瓦と津守煉瓦(狭山煉瓦)。
推測。
わからない例。桜ノ宮橋台の「○」。単純記号。○ヌ。堺市でよく見られる(■■で見つかっている)□数字。鉄道(大阪鉄道アルファベット、福知山線幾何学模様)。現場で焼いたということが多いがどうなんだろう。柏原市の〒。
小口火。1例のみ。漢数字。阪大医学部など。
煉瓦分布の傾向.あくまで定性的だが煉瓦製造所の附近に集中して分布する傾向は確かにある.その工場の近くでしか見られない刻印もある.兵庫県の煉瓦は兵庫県に.大阪に入っても北・中部にとどまる.K2とかバンレンとかワとか.とくに兵庫県煉瓦工場は昭和30年代・40年代まで生産を行っていた.大阪の煉瓦工場はセメント製造やプレキャスト製品,耐火物製造に移行.需要の隙間を印南郡や讃岐煉瓦,広島県の煉瓦が埋めていた感がある.
遠くは広島・愛媛からも煉瓦がきている.大正初期の煉瓦不況期に瀬戸内海沿岸の煉瓦製造業者が結託して生産統制を行った.それ以前からもあったはず(例:呉鎮守府の建物,愛媛県三津浜煉瓦跡,大阪府貞徳舎外壁に同じ刻印が見られる○ト).
なお大阪の煉瓦は全国各地に散っている.例えば大阪窯業は鳥取米子の鉄道工事に供給,北海道,関東,はては大連まで.堺煉瓦も舞鶴鎮守府の建物に刻印がある.明治37年.
大きな工場は大口需要を受けて大量生産・大量納入した.家庭で使う程度の小口は 日本煉瓦の刻印が多数見られるのは販路が小口に向いていたからではないか.
廃道や廃墟、産業遺産を弄び物にすることに(されることに)反感を感じているのは、自分が良いものと信じているものがないがしろにされることに対する感覚敵な反感嫌悪感であり「生理的に受け付けない」というのと同類の無根拠だと思っていたのだが、その行為が道徳的でないからそう感じるのかも知れないと、サンデルせんせのカント解説を読んでいて思ったことだった。
「ある行動が道徳的かどうかは、その行動がもたらす結果ではなく、その行動を起こす意図で決まるという。(略)重要なのは、何らかの不純な動機のためではなく、そうすることが正しいからという理由で正しい行動をとることだ。」(p.146)
カントは人と物との違いを自律性の有無で捉えた(そうだ。以下すべて伝聞形省略)。ビリヤードの球が落下する。これは重力に作用されての落下でありビリヤードの球自身がそう望んだわけではない(他律)。人は自分が定めた法則に従って自律的に行動することができる。自分の意思で行為できる。そこに人の人たる所以があり人を尊敬すべき理由である。
この自律といもの、喉が渇いたので水を飲む、とか、小便したくなったからする、というようなものではない。生理的欲求だとかその時々の思いつきだとか、「自然の命令や社会的な因習ではなく、自分が定めた法則に従って行動すること」(p.143)。してその法則(原則)に基づく行動だけが、その行動に道徳的な価値を与える。子供に対して高い値段をふっかけていたパン屋が悪評が広まるのを恐れてふっかけるのをやめたとする。やめたことは正しいが、その動機は「悪事がバレたらまずい」という私利に基づいていて、道徳的な価値はない。それが間違ったことだという認識のもとふっかけるのをやめることは道徳的に正しい(そもそもふっかけるなちう話やけど)。
てな解説を読んでいて思ったわけだ。廃道だとか遺産だとかを私利私欲のために用いよう−−−その行為で金儲けをしようとか、自分の地位名声を高めようとか−−−という姿を見て取って道徳性の欠如を感じているらしいことを。好奇心の充足、だって本当は傾向性であって人のことは全くもって言えないのであるが。ORJ売っているならなおさらだが、金儲けのためにやってるわけではないことはもう何年も前から言明しているしー(逃げ)。
廃道も道。道は歩かれることによって道たり得るのだから、そのために歩いているのだ、という思いから廃道を歩くこととか、どうだろうな。道を訪ねて道を知りたいから。道を通して過去を見たいから。体感したいから。その体感が思索を深めてくれるので人にも勧めてみたい。そんなところに拠って行動しているつもりでは来た。理性をもって。それがcategolicalに通用する、道徳的に価値のあることだと思うので。
哲人の威厳を借りるつもりもないしそもそも曲解していると思うので誤飲だと明記しておくが、それよりも私のようなヌルポな人間が感じるモヤモヤとしたことを300年も前にもっと的確な言葉で叙してくられているというのは人間誰しもに共通する不変の真理を言い当てているからであってだからこそカントが偉大な哲学者なのだとされる所以なのに違いない。
市立第五中学の西門正面の通りに煉瓦溝があり、六稜星刻印を見つけることができた。漢数字の添印つき。ざっと見たところでは一、三、六、七があった。六稜星+釘とか六稜星+一本線とかは見たことがあるけど、明らかな漢数字は初めてかも知れない。釘も一本線も「一」のことだったんだろうか。しかし南海高野線九度山駅のは六稜星+「タ」だった。いろんなパターンがあるんだよな。
津守煉瓦はあちこちに白地工場をもってたから、それぞれの工場で添え印を使い分けた、とかだったら面白いのだけれど、年代が特定できるのは九度山駅くらいしか知らないんだ。うむ。
確か立花町二丁目児童公園。カブトムシなんて珍しい、と思ったら全国にあるのだな。しかも全く同じ造形のが。
この公園のライドは総じて一風変わっている。ラクダとかよくわからない長い四つ足の生き物とか、鳩とか。この風合いは「ハト」よりも「鳩」のほうがふさわしい。
蛍池の公園にあるのはタコだったっけ。。。どっかに居たよなあ、タコ・・・。
今回の展示で唯一の準備不足が、旧道倶楽部名刺を切らしていたこと。名刺入れに入っていた1枚が最後のだった。ORJのは沢山余っていたのだけれども金銭授受に繋がる宣伝は宜しくなく、そういう意味でも何の儲けにもならない丸旧名刺のほうが場的には相応しかったのである。その1枚も初日に貰われていき無事払底した。
前回作ったところに再発注をかけようとしたところポイントが溜まっていたのに気づきそのお陰で送料分が浮いた。フルカラー+墨の2面刷名刺100枚で送料の1.6倍程度にしかならぬ。やっすい名刺である。これだったらもっといろいろ作って遊んでもいいなあ、とFacebookアドレスもツイッターアドレスもない名刺を見て思ったことだった。この部録”のアドレスでも入れておくか(笑)。
慰謝のつもりでカレーを食ったら案の定眠い眠い。万年床に横になって電気が眩しいから布団を引っ被って、眼を瞑るだけ、思考を休めるだけ、と思っているうちにさくりと寝落ちした(いやそれは「寝た」と言え)。そうして夢とも言われぬような断片的なイメージを覚えてーーーなんしか煉瓦が出てきた気がする。そういえば先々日は堺煉化石の三本線刻印を発見した夢を見たな。細い線描の三本線だったーーーはっと気づけば21:00。まこと中途半端な目覚め。これだったら30分sleepのほうがまだスッキリしただろうと思う。
そこから風呂に入って渋々とプレゼン資料の作成にかかる。当然ながら遅々として進まぬ。進めやすいところから取り掛かっても配置の塩梅が気に食わない。銘は基本的に横長なのでそれを一画面に収めようとするとどうしても無理が生じる。長体かければ文字が潰れる。適当に処理したら文字ばかりぎうぎう詰まったページになる。かと言って1枚1銘だとスカスカになり過ぎ。さらには銘記と写真とをどう組み合わせたものか悩み始め。どうせ写真だけでは銘が読めないのだから起こした文字を添えねばならず、だったら別に銘/写真と分けんでもええやん、とか思い出す。さらに問題なのは、そんな銘/写真の交互が果てしなく続くことになってしまうことだ。途中で絶対飽きる。作る方も見る方も。
最後の件は間に資料を挟むとかなんとかして変化をつければ解決できるだろう。そこが今回のキモッになりそうだ。
この調子じゃ日曜日に追調へ行くのも難しいかも知らん。といっても現時点で必要なのはCarnegie IRJの写真とサイズくらい。 しばらく使っていないのでゲージを発掘するところから始めなければならぬ。あそこへ行くんだったらCAMMELL 1874の拓に挑戦してみるか。しかしどちらもなくて構わんっちゃあ構わんのだ。
後半の「考察」。60-9と、32 MRが微妙に違うのと、ボルコーのNTK・KTK。うん、他は銘紹介に入れ込む。柵自体の紹介はオマケで用意しといたらいいか。
現在の進捗状況・多く見積もっても2割。いや1割。
今しがた羽生結弦選手が今季の世界最高得点をマークしたというニュースを聞き、そういや今日この人の名前にかかわる奇妙なポテンシャルを想ったなと思い出した。ええと何だっけ、はにゅうとなんとかが似てる、だったような気がするな、いやはにゅうじゃなくてしんにょうだった気する、しんにょうしんにょう、と10秒ほど考えて珍しく思い出すことができた。
頻尿と貧乳は似ている
だ。
・・・一連の思考を過不足なく書いたつもりなのだがな。文字に起こし切れない部分に潜む思考の断絶とエランのほうがPs的か。これは逆に辿ったほうがすんなり理解される。ひんにょう<>ひんにゅう の対から しんにょう<>しんにゅう の対を連想して「にゅう」の共通性から羽生氏が登場したわけだ。うん、すっきり。
「似ている」と感じる閾値は多分人それぞれであるだろう。 頻尿と貧乳、と漢字で書くか否かにも因る。ひらがなで考えた場合は「ゃ」「ょ」の違いであって同じ段の文字の取り換えだからまだ理解されやすいだろうし「似ている」と思う人も多かろう。しかし「頻尿」「貧乳」と漢字で書いた場合にそこに共通性を見出すのは難い。それぞれの語にまつわるイメージを強く意識してしまう人にとってはなおさら難しかろう。その閾値を考えているうちにしんにょうとしんにゅうは違うけど同じだよねとか考えついて冒頭に至るわけである。
AIが人間に近づくためには「間違い」を実装せねばならぬ筈、というのは予てからの持論である。コンピューターは一度記憶したことを間違いなく取り出せるからコンピューターなのであるが、だからといって馬鹿みたいに情報を詰め込んだところで人間思考の再現はできない。人は記憶をするが忘れたり間違えたりごっちゃにしたりする。その忘れたり間違えたりごっちゃにしたりするところから新たな発想が生まれる。それこそが言語発達の濫觴であり思考の発展であり人の人たる所以なのではないかと思っている。言い間違えから笑いが生まれ、さらにそれが流布して新語ができたりするように。人に刺激を与える新たな情報を生み出すためには、博覧強記は必要条件だとしても唯一無二の十分条件ではあり得ぬ。コンピューターが「あなたは頻尿スキーですね」とか「頻尿はステータスだ」とかいう言い間違いをするようにならない限り私はAIを知能とは認めない。そうならない限りAIには未来などないのである。
しかし現状のAIでも「偶然できた文字列の組み合わせ」「解析不良の結果生じたずれ」と「間違い」を区別するのは難しいかも知れない。虚構船団の中でも出てくる、アホバカマヌケトンマヘンチキ等の罵倒語を食わせて新たな罵倒語を作る試み、あれなどは一種AIの魁だろうが十分に可笑しくPsを感じる。形態素に分解して日本語の接続のルールに従ってランダムに並べただけで早や可笑しい。 そこに「間違い」はないにもかかわらずだ。
兵庫県立図書館に赤煉瓦産地診断報告書をコピーしに行くついでに、明石の浜の煉瓦工場跡を訪ねて歩いた。
収穫があったのは魚住村中尾の辺り。大正6年にできた明石窯業→昭和8年に明石陶管となって土管や耐火煉瓦を作っていた工場。魚住に着く直前に気づいた窯記号がそれだった。
中尾はかつて歩いたことがあったのだけれど、東からきて住吉神社の手前で引き返したのだった。明石窯業はその西側にあった。現在はシバタ工業というゴム製品・プラスチック製品の工場になっている。
この工場の北西の集落(浜谷)でいろいろ興味深い刻印煉瓦を採取した。筆頭はこれ。
久しぶりにグッとくる刻印である。細い星形の下に「正」の文字。星印を「大」と読んで大正煉瓦のものと見るべきだろうと思う。ただこのような大型でgraphicalな印は印南郡の工場には似つかわしくないかも知れない。印南郡の煉瓦工場群では頭一文字のカナ/漢字/アルファベットであることが多かった。
(徳島県板野郡の大正窯業の製品だったら面白いのだけれど……ホフマン窯作ったのに土が遇わくてほとんど操業しないまま解散したという会社だからな……。(後半生は土砂採取とか建築とかを主業としてた)
浜谷では”松葉菱イ”も検出した。分布の重心が西へ移りつつある。化粧煉瓦の存在から大阪の伊藤煉瓦と考えていたけれども、それを採取したのは高砂の伊藤窯業の跡地付近で、だったら伊藤窯業の刻印と見て、大阪に分布しているものは他の播州煉瓦どもと同様の流入をしたものと考えたほうがよいのかも知れない。そういや岡田やその前後では見てないしな>”松葉菱イ”。検出頻度は関野煉瓦の▲や日成産業の日と同じ程度で、淀川以北という区切りも似ている。
明石陶管時代の刻印と思われる”AT”印も発見した。これ、ちょっと前にどこかで見た気がするんだが……どこでだったか思い出せず、bdbにも登録してない。由来不明の耐火煉瓦かと思って見過ごしたような気もするし、ATなのかどうかすらわからないような状態だったので見てみぬふりをしたような気もする。これは浜谷だけでなく江井ヶ島でも見た。&、シバタ工業の際に落ちていた塩焼き瓦に菱+ATの刻印があった。明石の瓦は基本的に粘土瓦で塩焼き仕上げの赤茶色いやつであった。江井ヶ島でも製瓦工場があったが昭和40年代に全滅したらしい(最後まで操業していたのは明石窯業(株)だった。これは戦前の明石陶管と関係があるのかどうか。中尾の工場は戦後すぐにシバタ工業の所有となっている。昭和30年代には西岡だったか西島だったかに明石窯業KKは所在していた。
浜辺の集落を繋いでいた旧国道250号を図らずも辿ることになり、江井ヶ島のような興味深い土地も歩くことになった。この海岸線の集落はどれも小さいけれど古い家並みが残っているところが多い。海岸線はけっこう凹凸が激しく、高10数mの尾根に挟まれた窪の底に集落がある。もっと浜々した海岸線と思っていたが、決してそんなことはないのだった。あ、浜谷は別だな、あそこはだだっ広い海岸線にごじゃっと集まっている。民家の区割も旧村的でなかった。
そうして集落には必ずといっていいほど住吉神社がある。中尾の住吉神社などは海岸に面した小高い丘にあって、鳥居の目の前に海が広がるさまがいかにも海の神様という感じがし、由緒の古さを思わされたことだった。
と、M33時点で隧道があったのは確か。しかし https://dl.ndl.go.jp/pid/909336/1/315
関谷義夫、 https://dl.ndl.go.jp/pid/1104474/1/175
金田治平が大正4~6頃にも開削したという話が出てくる。愛知県近代化遺産調査報告書ではM27に金田が掘削したとある。ソースは鳳来町誌交通史編、海老風土記、愛知の歴史街道。
しおりを入れたつもりなのに消えていることが多い気がする……。出会いは一期一会、見つけた時にメモしておかないと。
しおりに頼るからいかんのかもしれんな。前の通りここへメモ書き魯文したほうが確実。
(抹消)
この歳になって改めて読み直してみて気付かされることが多かった。例えば最終章の迷亭君の穿ち。「御上の御威光だから出来ないのだと云う新現象」は今ではそればかりなのではないかしらん。個人主義が台頭するとやがて夫婦別居が当然になるというのも今じゃそれを過ぎて夫婦がまともに成立せぬ世になった。いまの家庭でとん子すん子めん子の三令嬢+苦沙弥先生に耐えられる嫁がいるだろうか。そもそも嫁という言葉さえ使いにくくなっている。そういう深まりはあるにしても人々のやることなすことは明治37、8年の昔からそんなに変わっていないらしい。
初めて読んだときは最終章やその前の辺がぐだぐだなだけに感じられて斜め読みしかできなかったが、改めてじっくり読むとまことに味わい深い。あれだけいろんな騒動がありどうしようもない感じな登場人物たちだが結局はなんだかんだでうまいこと鞘に収まっていってしまうのは物語の締めくくりとしてのご都合主義ではなく「世の中そういうものなのだ」という表現なのかも知れないと思ってみたりした。いがみ合ったり貶し合ったり笑い合ったりしながら流動しつづけていくうちに落ち着くところに落ち着くのが世の中、カタルシスな結末はないものと。吾輩の死も今回はなぜか哀れに思われなかった。世の有為転変の一つでしかなく必然といえば必然であるようにも思ってみたり。
禅の知識が多少ついたお陰で独仙君の言わんとすることがよくわかるようになったし、イクラちゃんがバブーな理由も今更ながらわかった気がする。逆なのだ。めん子がばぶだからイクラちゃんがバブーであったのだ。継いだ挿し木の大きく繁ったほうばかりが見えていたに過ぎないのだ。
銭湯の描写もいろいろと考えさせる。多少は誇張されていると思うけれど風呂場で繰り広げられる陰に陽にの自慢話、ごく自然な対人の姿勢はいまでいうところのマウント合戦であって、それが江戸時代から延々今日まで続いているわけだ。本人らにはちっとも悪気はないのであって、そういう言い草が普通な世界に生きているだけで。それをよそ者が見るから自慢だとかマウントだとかと評したくなる。熱い湯に我慢できずに叫び出す苦沙弥先生のほうが正直でいいなどと思ってしまう。その評はきっと間違っている。
登場人物はみな一癖も二癖もある者ばかりだけれども、じゃあ「普通」って何なんだいと思い直してみたりもする。どだい「普通」なんてその時々の社会環境によって全く変わるし、なにか特定の尺度を用いずにそれを定義することはできない。その時代の価値観の平均値的なものであるとしても時代が変われば普通も変わること必定。鮑の貝を猫の餌皿にするのは家でもやっていたし、部屋に鼠が出て困ったことも経験しているので私にはそれが普通と思えるが、今となってはもう社会常識としては通用しないだろう。何をもって普通というのか、常識というのか、定かに言えないのに、そのくせ社会は普通であること常識的であることを求めてくる。苦労しないわけがないのである。
夢十夜まで読んでしまったせいではないと思うが妙な夢を見た。舞台は寂れた公園のようなオープンエアの商業施設のような場所。同級生だが友人ではないという程度の親密度の仲間数人とともにそこで冒険活劇を繰り広げる。多少スリルのある展開があった記憶が幽かにあるがその部分は忘れてしまった。そうして公園?施設?の隅の方まで走ってきたとき、建物の壁に扉がついているを見る。現実にありそうな、上半分に網入りガラスをはめ込んだアルミ製の開き戸だ。その扉を見て「トイレだ」と認識し、それと同時に自分が尿意を催していたことを思い出す。
渡りに船とばかりに扉を開けて入ってみれば確かにトイレ。ただし建物に付いていた扉だったはずなのに天井がない。吹き抜け吹きさらしのトイレである。先に大便場の扉が並んでいてその奥に小便場があったのは今考えてみると妙なことだ。
小便器が振るっていた。口を大きく開けたモアイ像(本物のモアイ像の口を縦にぐんと引き伸ばしたような格好で、たぶんそればパロディウスかなにかのボスキャラから連想しているのだろうと思う)で、かつそれが下に2列、上に3列、逆ピラミッド形に積み重ねたように並んでいる。いずれも便器として機能しているようなのだが当然ながら物理的に利用可能なのは下の2個だけだ。そんなモアイ便器を見て「これこそ探していたものだ!」と感嘆する私。尿意を晴らすために探していたという意味ではなく冒険活劇のなかの小目的の一つとしてそれを探していたような心持ちがあった。
それと尿意とは別である。放尿を試みようとしたのだが、天井が吹き抜けのためか便器の足元に水溜りができていて用を足しにくいこと夥しい。そんなところに溜まっている雨水なら小便も混じり込んでいそうで迂闊に踏めない。水溜りの縁を踏むようにしてなんとか放尿してみたが体勢が悪すぎて随分外してしまったうえに盛大に跳ね返りを浴びてしまいもする。なんてこった。
その処理をどうするか考えながらチャックを上げ、便器を離れる。水道か何かないものだろうかとトイレの奥を見遣ると、床が草まみれの土敷になっていて、半ば廃墟化しそのまま庭に繋がっていくような塩梅。そんなトイレとも庭とも区別がつかない辺りにグリーンスケルトンなプラスチック製の人形が落ちていた。仮面ライダーを寸詰まりにデフォルメしたような感じで(大昔にそんな容器に入ったシャンプーがあったような気がする)、かつ体が半分半分になっている。適当な表現が見つからないが、例えて言うならライダー1号とV3を縦に割って半々くっつけたような感じだ。しかもその半透明の人形の中にゴキブリのような虫が無数に入っていてカサカサ動いている。現実のゴキブリのような姿形だがちょうどライダーの腹の部分が赤いようにその虫も腹の一部が赤かったり背中にグリーンの色を背負っていたりする。そんな虫がうようよ入っているせいか、うつぶせになって落ちている人形自体もカサカサと動いていた。まことに気持ち悪い。まことに気持ち悪いが、その虫もまた冒険活劇で探し求めていたものの一つであった。
飛沫の件も忘れ、その虫の捕獲に向かう我ら。捕まえるためにはその容器を開ける必要があるわけだが、開けたら無数に飛び出てきそうで、かといって容器ごと回収して行けば無数のワサワサを携えて進まねばならないことになる。そんなにたくさんは欲していない。さてどうしようと逡巡していると、その容器から少し離れたところに、容器に入っていないその虫たちが10匹ばかり屯しているのを見つけた。容器の虫をどうこうするよりそちらをどうこうしたほうがよさそうである。
仲間とともに駆け寄り、踏みつけて一匹採取しようとした刹那、屯していた中の一匹が、それこそ現実のゴキブリの如くに飛んだ。ああいう虫はなぜ人に向かって飛んでくるのだろう。そいつも自分に向かって飛んできて、右腕の二の腕の辺りにぶつかったか取り付いたかした。それで驚いて「アッ!」とも「ワッ!」とも表記し得るような悲鳴をあげてしまったのだが、その悲鳴で目が醒めたのだった。ドレミファのファに相当する音階の、まことに情けない、間抜けな音色の悲鳴だった。
夢の状況は現実に非常な尿意を覚えているか漏らしているかというような状況だが、目が醒めた時には全く尿意がなく、漏らしてもいなかったのはちょっと不思議なことだった。夢でトイレを見たことを契機に夢の中だけの尿意を覚えたわけである。あとゴキブリ様の虫に対する反応が現実並みであったのも面白いと思う。ゴキブリを見ても怖がったり敵対心を掻き立てられたりしない質だが、いざ飛んでこられるとさすがに嫌悪感が勝る。悲鳴をあげるにしてもあんなまぬけなファの音階の奇声だろうと思う。
_ とと [マジですの!!ほんま!!]
_ nagajis [あ、ちょと計算間違えてました・・・0.3025で割らんといかんのですな。]