nagajisの日不定記。
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十時半より内務検査あり。十時半までは準備。午後には勅諭考査あり。勅諭は良かりしかど、聖旨を十分に書すること能わず。幼年学校生徒にていと恥ず〔づ〕べき事なり。愛校作業にては土運搬をなし遥拝台を高くす。夕は第八寝台にて訓育班会をなすも、いと愉快に為すことを得たり。予爾後内務検査の精神を忘れず、日常の行事に邁進せん。
午前中授業、午後は内務検査及び其の準備あり。十七時帰省申告 鬼木生徒監殿は今般予科士官学校中隊長として御えい転なされたり。今日此に始めて同生徒監殿に対して有難味を感じ別れづらくありたり。夕食後は専ら帰省の準備をなす。嗚呼思えば百二日の前半も早夢の如く過ぎて休となりぬ。今に年ともなれば左程帰りたしとも思わず。然し心はやはりはやるものなり。今日は誠に長き終日なりき。頗る良好
ヨッキ氏メインup.A4横にしたら44ページになった.ページは増えてもサイズは前号とあまり変わらない.その割に今回は写真を贅沢に使っているように思う(ああいいったりきたりな文章だなorz).今までのやり方がスマートでなかったということだ.
自分のメインも約2倍増の19ページだが,前号と同じくらいのサイズになっている.
このほかはエッセイだけ完成.あとは25日以降に.間に合うのか心配なのはいつものことだから.それよりも.
リアルな生活で年末進行とかゆうものに追い掛けられていて,ORJのことを全く構うことができない.昨日もデフォルトで出社だ.考えてみればORJを始めてこの方まともな休みがなかった.夏休みはおろか盆の休みすらなくて.これで給料が良ければ我慢するが(以下仕事への愚痴が数行.自粛)
今はただORJを作ること−−−誌面を作ったり原稿書いたり−−−だけで時間が過ぎていく.舵取りも何もあったものじゃない.NPOを目指すことも,趣味で食っていく目標も,それ以前に探索へ出かけることも,うやむやなままで時間ばかりが過ぎていく.
おれはこんなことがしたいんじゃない!
もちろん,愚痴をこぼすだけでどうにかなるとは思っていない.アクションを起こさなければ何も起こらない.それは解っている.しかしそのアクションを起こすための時間すら失われているのが現状の自分だ.くそう.
シュレディンガー音頭を踊るJIS男。どこかで使ったネタのような気もするが。
気難しい受付の最も気難しいそれはアンケートの処理である。何しろ創刊号の頃からの付き合いであるうえ場当たり的建て増し的に修正を続けてきたため触れたくない混沌さになっている。いまだにうまく制御できない。
そこへバックナンバーCD#2用アンケート処理を入れなければならなくなった。どうやって機嫌を取ろうか悩んでいたわけだが、結局のところ
if($_POST['hanyou']!="") { $tmpqcm="Q".sprintf("%d",$_POST['kiji'])."_CM"; $tmpqno="Q".sprintf("%d",$_POST['kiji']); $_POST[$tmpqno]=$_POST['Q']; $_POST[$tmpqcm]=$_POST['CM']; unset($_POST['CM']); unset($_POST['Q']); }
という9行だけで済んだのだった。珍しく一発OK。クリスマスイブだしな。
はいそこ、$_POSTに値入れんな、なんて突っ込んじゃだめ。
pdf関係の修正はおそらく全てup。少し寝かせて様子を見てから統合版を作る。
今この瞬間、世界のどこかに幸せな人がいるっていうことを祝福しつつ。nagajis? nagajisはいつも幸せですよハイ。
日本と欧米ではうっかりさんの存在割合が違うのではないかと思う。日本人にはうっかりさんが多く、欧米ではそうでもない、と。
ここに置いてある肉を食べてはいけない。
You can not eat this meat.
日本語は否定が最後に出てくる(最後まで読まなければ否定かどうかわからない)ので、呆とした頭で読んでいくと、「この肉」がまず頭に入ってきて、終いまで読まずに食べてしまう。その結果腹痛を起こしたり下痢したりする。うっかりさんである。英語のようなインド・ヨーロッパ語族は真っ先に否定がくるから「いけないんだな」という情報が頭に入ってくるのでまず身構える。結果、食べない。
以前東京で、電車の架線に引っ掛かったビニール袋を車掌さんが(確か素手で/少なくとも電流を切る等の感電対策をせずに)取ってしまったことがあった。管制室へ問い合わせたところ「携帯で写真を撮って送れ」という返事が返ってきて、それを「ビニール袋を取れ」だと誤解し、取ってしまったのだという。「とれ」という言葉だけに反応した結果だが、取らなければ電車が動かない状況にあって、「とれ」という言葉をそう解釈したのは理解できる。自分でもしそうだ。
鉄道マニアの人はどうぞ.罫線はどういう意味があるのか不明だったがとりあえずそのまま入れた.
http://www.ipdl.inpit.go.jp/Tokujitu/tjsogodb.ipdl?N0000=101
文献種別「C」,文献番号を下記コピペで栗.ハイフンの前,表記のないものは昭和なのでS20とかS26とかにする必要あり.12/25に修正.でてこないときは文献種別「B」で.
OCRでも結構面倒...
割れ着和暦を検索しやすいように変更。前のも書き改めるか。
余りに旨かったし白かったのでここに上げてホワイトクリスマスにしたる。
頂き物の酒粕汁を作成。大根・人参・蒟蒻を薄塩味@圧力釜で煮込んだのち、玉葱油揚げ鮭葱を投入して溶いた酒粕と昆布だしで煮込む。本来は味噌を入れねばならなかったようだが白いのが久しぶりに食べたくなったので遠慮。かわりにほんの少し醤油を加えた。
旨い。余りに旨い。味の染みた大根が旨い。歯応えがありつつさっぱり塩気な蒟蒻が旨い。鮭の味わいが旨い。その他も旨い。何より酒粕汁が旨い。ハラショー。オーチンハラショー。皆もクリスマスには酒粕汁を食すのだ。それが日本人の務めなのだ。
JR森ノ宮駅横の商店街に掲げられている看板。看板の文字ではなく、そこに添えられた落書きに反応した。
御クルマ様だけが「神」
糞チャリ共は賤民
日本交通差別行政
なかなか奥の深い落書きである。車を神とし自転車を賤民と見做すような発想はそう簡単に出てくるものでない。「賤民」なる語の選択もなかなか痛烈。彼の理論上ベサツされる側に立たされることになる私などは思わず知らずのうちに憤ってしまった。なんでそんな酷い扱いされなあかんねん、と。そして誰もが使い書けない人もないだろうという「車」の文字をわざわざ開いて書いてあるのがミソだ。これは計算の上で、であると断言しよう。なぜならその次の「チャリ」に対比させるためだ。「御クルマ様」/[糞チャリ共」という文字韻を踏んでいるのだ。
そのうしろ、神にだけ鍵括弧がついているのは対称性の放棄だが、その非対称がかえって前段落の異様さを印象深くすることに成功している。
御クルマ様だけが「神」
糞チャリ共は「賤民」
としてみると、その正確無比な対称性によって印象が希薄になってしまうのが実験できるだろう。
もっとも興味を持ったのは最後の一文だ。この言葉を記した団体の名であるはずなのだが、「日本交通差別行政」という違和感ありまくりな団体名で、読んだ時にズッコケそうになるのだがしかし、「行政」としたことによって、この落書きが看板それ自体への皮肉であることがわかるのだ。放置自転車は危険だから随時撤去すると宣言する---しかし路駐自動車については見て見ぬふりをする---看板、そしてそれを設置した行政への皮肉なのである。この看板の設置者が「車は神」「チャリは賤民」と宣っている姿を想像してみるとよい。
イブだろうがなんだろうがお構いなしに公文書館へゆく。近デジに収録されていない登録商標大全を桃獲得するためである。
結果は予想通り芳しくなかった。第19集が大正11年前半の出願に係る商標をまとめたものであり、煉瓦製造業が斜陽に照らされつつある真っ最中のことであるから、そもそも煉瓦関係の商標出願件数からして少ないのだ。
僅かな収穫の1。三石耐火煉瓦が大正11年に出願した商標。この刻印が押された耐火煉瓦は現に存在していて舞鶴赤れんが博物館に収蔵されている。確かこの頃外国から飛行船が来日して人々の耳目を集めた。それにあやかった商標であるらしい。
2.出願者の北村源平は貞徳舎の初代社長。何か引っかかる名前だと思ったよ。ただしこの商標のとおりの刻印は見つかっていない。TTTとかTTRとか
煉瓦関係は第14類に分類されていて、他にも陶器や七宝焼やらがこの類に含まれる。なので陶器や七宝焼や瓦の製造業者が自社製品の商標登録のついでに煉瓦も含めて出願し受理されているケースが多い。例えばこの商標。一応「及煉瓦」ということになっているけれども、大正末期に深日村に煉瓦製造工場はなかった。おそらく瓦や陶器のために取得したものだろう。
そのほかには、大会社が自社屋号を商標ゴロから守るために類見境なく取得しているケースも多い。明治屋のトライフォースとか仁丹の将軍マークとか三井物産の井桁+三とかが煉瓦用に取得されてある。
結局のところ、煉瓦製造業華やかなりし頃の明治時代の商標は第一集を見れば事足りたのだった。他に役立ったのは関野さんカッケーくらい。あとは岸煉と大阪窯業の商標登録がある程度。榊原鶴吉の三本線はかえって話をややこしくしただけだ。
多少復旧。
午後から雨という啓示をものともせず始発に乗って島ヶ原へ。町中散策の際にこの小さな煉瓦暗渠を発見した。しつこく観察した結果得られたことが本日の最後に活きることになる。
第二百何十何号かの暗渠。ねじりまんぽ。もっと小さいやつかと思っていたら、とんでもない、とんでもない。狭い道路隧道位はある。そして大斜角。その前後に切石積みの堰堤があるのも手が込んでいる。
平岡窯跡で望みのものを発見したが、この程度で喜んでいてはいけなかった。賭けていた場所に希望するモノが多数。理詰めの勝利である。しかし操業期間が比較的長かったせいか実にさまざまなサイズが有る上に断面も千差万別 だ 。
久しぶりに気骨に沁みる一冊に出会った。どうとかこうとか語るのさえ惜しいくらいの。死ぬまでに何度思い出すかわからない。
どうも日にちの勘定が合わない気がするが作業回数としては確かに4度目なんだ。24時をまたいでここを書くとそういう齟齬が発生する。
今日は(今回は)S11〜16とS25を半分ほど。通算でM35からS25半まで。関より東は戦前戦後に興る工場の数が半端ない。石川県なんかイソライトブームで3倍くらいの数になる。新潟の明治後期の石油業、同じ頃の長野の紡績業みたいなもん。それが定着したりしなかったりして突き合わせが非常に大変だ。旧地名と現行市町村との照合も数の分だけしなければならん。大変だ。
決して信心深いとは言えない私が『あなたのための物語』を読んで、宗教や信仰というものへの態度が少し変わりそうな気がしている。人が、社会が、宗教というものを作り、信仰することによって心の安寧を得ようとすることについて、頭ごなしに否定する気になれなくなっている。むしろ社会に身を置いている限り、積み上げられてきたさまざまな知識なり歴史なりに興味を持っている限り、関わることを避けられないというべきか、もちっと敬意を持たなきゃいけねえなぁというか、そんなことを思う。 別にこれまで全否定してきたつもりはないんだけどな、クリスマスの晩くらい協会に行って、人々が信仰するものを真似て信仰して見るべきなんじゃと思ったりした。それによって救われたいと思うからではない。それが社会のなりたちを理解し他人を理解することにつながりそうな気がするから。
神という絶対存在を仮定すると自分の立ち位置は明確になる。一人では何もできない迷える子羊ということになる。救ってもらいたいとは思わない、だとやっぱり救われないんだろうと思う。どうあがいたって自分一人ではどうにもならない、と諦めた時に信仰は始まるのだろう。動物のようにあがいてもがいて死ぬことを、最後の最後まで心の底から納得したまま死ねるだろうかと思った時に、どうにも判断しきれない自分であることに気付かされ、根っこが揺らぐ。普段から常にそういう覚悟をしとかないと無理だなあ。
別に今から基督教徒になろうってわけじゃない。キリスト教も仏教も、それ以外の種々宗教も、人間がものを考える生き物である限りは自然発生的必然的に生まれるものなんだろうなあと思ったというだけで。それに与しない生き方はそれだけで反社会的存在になるんかも知らんねと。うん、全然まとまらね。
とりあえず今は、わたしを取り巻く様々な人に感謝したい。対人関係の構図の中に否応なくでも仮にでも組み込まれていることに幸せを感じなければならない。だからといって他人になにかをできるかどうかは、まことおぼつかないのだが。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/7/73/7_73_18/_pdf/-char/ja
東京商況。金町製瓦の不振。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/7/76/7_76_143/_pdf/-char/ja
大高庄右衛門の改良窯。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/7/77/7_77_176a/_pdf/-char/ja
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/15/172/15_172_150/_pdf/-char/ja
大阪窯業大高庄右衛門と和泉煉瓦日吉の満韓視察報告。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/15/173/15_173_187/_pdf/-char/ja
大阪窯業、和泉煉瓦、貝塚煉瓦合併。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/15/174/15_174_218/_pdf/-char/ja
金町製瓦の談話。M39商況。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/15/180/15_180_407/_pdf/-char/ja
商況上向き。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/16/183/16_183_141/_pdf/-char/ja
大阪の煉瓦製造業。すでにテキスト化済。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/16/186/16_186_300/_pdf/-char/ja 堺・日本煉瓦の合併計画など。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/16/188/16_188_382/_pdf/-char/ja
東京商況。三年に一度の好況。小工場の瓦解のゞ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/4/39/4_39_77/_pdf/-char/ja
大阪商況。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/4/40/4_40_107/_pdf/-char/ja
堺煉瓦に輪窯増築。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/4/42/4_42_210/_pdf/-char/ja
長崎の煉瓦業。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/4/44/4_44_270/_pdf/-char/ja
石動の煉瓦工場。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/4/45/4_45_295/_pdf/-char/ja
堺煉瓦好況、二割増し。榛原に伊和煉瓦製造合資会社。ほか。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/4/46/4_46_348/_pdf/-char/ja
京都煉瓦製造。丹波馬堀に分工場、それでも足りずに愛宕郡大宮村船岡山麓内畑に第二工場。馬関煉瓦工場、広島瓦煉製造株式会社、越後刈羽郡北条村の工場、土佐郡潮江村字小石木に工場。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/4/47/4_47_385/_pdf/-char/ja
河内国富士煉瓦。大阪丸三耐火煉瓦、株式会社化。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/4/48/4_48_438/_pdf/-char/ja
大阪控訴院の新建築用の煉瓦が入手できず、先客に交渉して譲ってもらう。それだけ好況。
[dim]揖保川橋梁(山陽形煉瓦)を書きながら気づいたことは煉瓦寸法問題を解決する慧眼だと思ったんだけど、よく考えたら当たり前のことだったかもしれない。要するにインチ体系で設計した煉瓦をバカ正直にインチ体系で作った結果の煉瓦と、インチ体系設計を尺寸で読み直し、尺寸で製造した煉瓦とでは対厚比が変わってくるのではないかという発想だが、それは結局インチ体系を尺寸でどう読むかの問題に帰結する。ずいぶん前から考えていたことである。
山陽形は
大高表:7.5 x 3.55 x 2.3 寸
あるいは
滝大吉講義録:7.5 x 3.6 x 2.3 寸
とされていて、この値で長手対厚比を出せば 3.261 となる。けれども実測値は 3.18 となってやや下方にずれる。実測値からはむしろ 8-3/4 × 4-1/4 × 2-3/4 ins. と読め、実際そう考えたほうが縦目地も横目地も同じ目地厚 1/4 inch で積むことができる。長 7.5 寸 = 9 inch とすると縦目地が1/2inch=1.27cmと広くなることになってしまう。
実測値:8-3/4 x 4-1/4 x 2-3/4 ins.
大高表:9 x 4-1/4 x 2-3/4 ins.
山陽形は目地込み1段が 3 inch になるところに最大の眼目があったわけなので、そうすると目地厚 1/4 inch で統一したほうがneatであるだろう。それで、このインチ体系の値で対厚比を出し(=35/11=3.182)、それが実測値に一致すると書いたのがリンク先なわけだが、考えてみれば当たり前の話だ。実測値から導き出したインチ体系の数値なんだからな。一応は上記眼目のこともあるけれど。
要はこのインチ体系の設計のディメンジョンを、日本人が日本人向けに説明する際に先述尺寸数値を採用してしまったところに問題がある。7.25寸とか7.3寸とかにせず、7.5寸と表記したところに問題がある。実際7.5寸に達する煉瓦も揖保川橋梁には使われていたわけだけれども、長手の変動の大きいことを許容するためにそうしたのか、あるいはまた別の何かの理由があったのか。
工事仕様書にどの寸法体系で表記してあったか、も影響するかも知れない。インチ体系で「8-3/4 x 4-1/4 x 2-3/4 ins. とする」と書かれていれば、作る方も(仮に尺寸で製造するにしても厘単位で換算して)それに近い寸法のものを作るだろう。はじめから「7.5 x 3.55 x 2.3 寸」としてあれば当然その尺寸で作り、結果8-3/4 x 4-1/4 x 2-3/4 ins.からずれたものができるだろう。鉄道局納入煉瓦などはM23の達でインチ体系で示してあるから、それ以降納入された煉瓦は特にインチ体系に寄せられるんじゃないかと想像するが、まだ試せていない。その一方、東京形などはM5当初から7.5 x 3.6 x 2 寸としていたので尺寸で測るほうが 3.75 に一致しやすいと思う(が、元となったとみられる設計は 9 x 4-1/4 x 2-3/8 ins.で、この体系で対厚比を出してもほとんど同じ数値 3.789 になる)。
監獄則煉瓦について同様のことを考えると面白い。監獄則では型枠の寸法を示していて、それが 8.3 x 4 x 2.1 寸 と尺寸体系になっている。それが1割強焼き縮んだ時にどのような寸法になるかを考えてこう設定してあったはずだが、じゃあ製品の寸法を尺寸にフィットするよう作ってあったのか、それともインチ体系の寸法を想定していたか。等方的に焼き縮むものと仮定して計算すると 7.3~7.4 x 3.5~3.55 x 1.85~1.90 寸のまことに微妙なものになり、むしろインチ体系で読んで 8-3/4 x 4-1/4 x 2-1/4 ins.と見たほうがよりフィットするような印象がある。而してこのインチ体系の寸法は関西煉瓦のプレス成形煉瓦とか琵琶湖疏水煉瓦とかにも近いのだった。明治30年代まではこのインチ体系の煉瓦がある種のデファクトスタンダードとしてあったような印象をもっている。それを7.3×3.55x2寸と読んだ琵琶湖疏水があったり7.3x3.55x1.8寸と読んだ広島軍用水道があったりしたんじゃなかろうかと。
そうそう、琵琶湖疏水の 7.3 × 3.55 x 2 寸 という寸法にぴったり一致する煉瓦が見つからないのも、インチ体系で設計・製造していた結果かも知れない。7.3 × 3.55 x 2 寸 としたのは出来上がったものをそう読んだというまでで、実際にその寸法で作ってはいないのではないか。計測した煉瓦が「若干ある」とされた1.8寸厚のものであった可能性もなきにしもあらずだが、手持ちの疏水煉瓦はどれも60mm厚に達しない。
長手対厚比[尺寸:厚2寸] :3.650
長手対厚比[ins.:厚2-1/4inch]:3.889
長手対厚比[実測結果] :3.96
長手対厚比[尺寸:厚1.8寸] :4.056
西洋技術を導入し始めた頃はインチ体系をそのまま受け入れてインチ体系で作るかインチ体系を厳密に尺寸で換算して作っていたものと想像する(建造物の設計図ごと輸入するような感じ)。鉄道局の最初期に各地の瓦産地で煉瓦を作らせた時などはそうだったろう。この大きさで作るべし、と見本を渡すことだってできただろうし、場合によってはインチメジャーが託されたりしたかも知れぬ。それがだんだんこなれてくれば、普段使いの慣れた尺寸で製造したり指示したりするようにもなるだろう。キリのいい数字になるよう丸め込んだ設計をしたりすることもあったろう。東京形の「(目地厚2.5寸とすれば)四段の高さが九寸になりて目積りをする時に都合宜ろし」(滝講義録)のような。これは最初からだけれども。山陽形はもっと親和性がよくて目地込み3インチ4段=1フィート≒1尺と換算できた。隅石と組み合わせる時には非常に便利だったろうと思う。並形の1.75~1.8寸も2分弱目地で1段2寸とできた。5段で1尺≒1フィートを作り得たわけだ。東京形はここが若干弱い。最終的にインチ体系を離れて尺寸のみで完結する頃には、建物の壁厚も柱間距離も最初から尺寸で設計されるようになっていて、そこに尺寸設計の煉瓦を当てはめていくような感じになったのではないかと想像する。
_ JINKO [遅ればせながらシュレディンガー音頭ありがとうございました。 衝撃のあまり、帰省先の親父のマシンののディスプレイにコーヒー吹きつけてきました(笑)。 いろいろと年末進行のようにお見受けします・・・よ..]
_ nagajis [喜んでいただけましたか(笑)。 おかげさまで健康的な年越しができそうです。感謝!]