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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1942-01-09 この日を編集

[陸幼日記]一月九日 金曜日 雨後曇

独語共感殿欠勤のため二時限は習字に変更せり。第六時限目は体操にて棒倒しあり剛健身〔心〕を発揮したり。続いて月齢身体検査あり共に大部増加し嬉し。運動時は雨降りたり。


1943-01-09 この日を編集

[陸幼日記]一月九日 土 晴

零下五度。授業開始。先ず昭和十八年度の最初の授業は国漢乙の考査ありたり。午後は訓話「堅忍不抜」あり。剣術は依然たり。休暇後なれども思いたる以上に好調なりき。三日坊主とならざる如く充分努めつゝあり長く続かんことを決〔期〕す。 良好なり。


2006-01-09 原稿 この日を編集

鉄道と煉瓦構造物

昨年暮れに「鉄道と煉瓦─その歴史とデザインー」(鹿島出版会景観叢書)という本を買った.全国各地の鉄道の煉瓦構造物を調査して博士号を取った小野田滋氏の著書である.例の原稿を上げた後にこういう本が出ていることを知ったものだから参考文献にあげられていないが,元論文に一番近くて入手しやすい本ではなかろうかと思う.内容や流れは「技術教室」の連載と同じだが,より徹底した情報であることは言うまでもなし.煉瓦や鉄道に興味がある方ならぜひともご一読をおすすめしたい.

廃道を読む

 ぼつぼつと書き始める.6割くらいか.笹子に行ったことがないのが悔やまれるが、関西方面ばかりでも結構な種類のC隧道があることが有りがたい.写真がなくても、本邦道路隧道輯覽の図が使えるしな.問題は「意匠」をどうまとめるか.古典主義とかゴシックとかの建築様式まで解説するのか?の前に解説できるのか?>おれ

旧橋紀行

 その一方で、今回は旧橋紀行も書いてみようと思う.たまには違うテーマでリフレッシュ?だ、と思って書き始めたら、先に完成してしまった.いい感じで軽い読み物.

非常にどうでも良い今日のアーカイブス

 工事画報大正15年4月号・工事タイムスより.
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/02-04/02-04-0277.pdf

■東京驛前の新設備 東京鐵道局では長途の旅客の疲れをねぎらふべき施設を考慮中であつたが、驛前廣場に地下室を設けることとし、過般岡田美術學校教授に依頼した設計も出來上り、この程警視廳の許可も得たので、いよいよ來月始めから四箇月の豫定で工事にとりかかることになつた、(中略)竣工の曉にはパリーの粹を集めたフランス最新式の男女調髮所數室の外に長途旅客の疲れを癒やすための大浴場をも作ることになつてゐる、

 ほうほう、さすがは帝都のせんとらるすていしょん.それ位のものがあって然るべきだろう.にしても大浴場とは意外だな.大阪なら梅地下に銭湯があるようなものか.などと妙に感心してしまったのだが、最後はこう締めくくられていた.

因にこの浴場は男子專用との事である.

 ・・・わざわざ因んだ編集者の意図や如何.

 という感じで妙に印象に残っていた大浴場、昭和3年1月号に続報が出ていた.4月より営業開始で一度に60人が入浴可能とか.
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/04-01/04-01-0696.pdf


2010-01-09 どうするかなあ(詠嘆 この日を編集

[独言] ぉ

ぶれてるぞぶれてるぞ>nagajis


2012-01-09 この日を編集

[料理][独言] シチュー

シチューを焦がすという大罪を犯してしまった。罰として風呂に入る。


2015-01-09 この日を編集

[独言][] かく

丸一日ひたすら書き続けた。水増しばかりうまくなっていく。

ひとが休んでいる間に限って倉庫に猫が来たらしい。釣り餌としてバームクーヘンを配置してみたが効果の程は定かで無いと。10日に確認してみたがやはり齧った跡はなかった。くやしい。

[] 煉瓦@京都府立図書館・資料館

水辺の遺産 京都府大山崎町桂川右岸高水敷で発見された明治期の煉瓦造樋管調査報告書

舞鶴の赤煉瓦・土と風の見聞録

舞鶴の赤煉瓦 1889-1991

国産赤煉瓦焼成窯の技術史的研究 上,下

[陶磁器関係原材料ノート]

最近セメント及煉瓦業


2018-01-09 この日を編集

[独言][近代デジタルライブラリー] 日本鉄道史

日本鉄道史上巻米原敦賀間鉄道の項目を読んでフムフムコレハと思っている最中にメンテナンスモードに突入されてしまった。この生半可な納得のやり場を如何にせましや。

金ケ崎丸が建造され海上輸送で敦賀に建設資材が送られるようになったのはM15.3のことで、その前から敦賀〜疋田間の暫定運行が行なわれていた(確かM15.2)。ということはその時にはすでに路盤と線路ができていた、即ち鉄輪の眼鏡橋や疋田の暗渠が出来ていたことになる。だとすると別の手段でどこかからか煉瓦を持ってくる必要があったことになるわけで。レールは間違いなく他所から持ってくるしかなかったはずだが煉瓦は現地でも焼くことができたし事実焼いたという場所もあるのだから敢えて堺くんだりから運んでくるまでもなくそれを使ったほうが早かったはずだろう。柳ケ瀬隧道だって軟弱地盤だったため巻き立てながら掘らなあかんという時期が続いていたし刀根も小刀根も曽々木もM14に完成している。それも金ケ崎丸就航前の話である。

塩津経由が柳ケ瀬経由に変えられた理由。当初塩津が湖北最大の荷駄集散地であって、なおかつ敦賀に出やすいから(距離が短くて済むから)大津〜塩津航路+鉄道という組み合わせが考えられた。けど「あとでよう考えたら」柳ケ瀬回りのほうがいいと言い出す井上勝(M13?)。後々陸路で東海道線につなげなければならんことを考えると塩津は不適格。賤ヶ岳をクリアしないといかんくなるから。んで改めて調べてみると刀根越下を抜けばほとんど同じマイル数で疋田に出られることがわかった。先に提案してなくてごめんねテヘペロ。さらには塩津方面は寒村ばかりで殖産の途がなく鉄道敷設しても効果が薄い、住居の廊下のようなものになってしまうとまでいっておる。ひどい話である。それは柳ケ瀬方面もどっこいどっこいじゃないか。。んで稟議書には小刀根刀根曽々木のことは書いてないんじゃね。というところを読んでいるうちにメンテされた。

刀根回りのルートは井上も実地検分済み。もう一度行幸のメンバー確認のこと。


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