nagajisの日不定記。
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我々にとりて土曜日程嬉しきものはなし。何となれば休日をひかえいるなり 。日曜は忽に過ぎ、月曜を翌日にひかえいる故なり。午後は一時間自習ありて後消火演習ありたれど、大体に於て常日より緊張のためか良好なりき。腕力減少せしことよくわかる一層の努力をせずんばあらず〔ざるべからず〕。
日本潜水艦は米の水上機母艦を撃沈す。敵潜水艦は伊豆にて日本野船をおそう。
ねまきわたる
〔nagajis:「良好なりき」は「良好ならざりき」か。最後の一文不明。寝巻き?〕
臨時外出し六時三十分出発霜を踏みて新地部落の東北方の栗林に炊爨す。藁七束、薪一束、唐いも二十余個、克く外交に成功す。味噌汁は誠に苦心した結果非常なるうまさなりき。然して食いて食いて食い飽きたり〔一文に朱傍線、欄外朱「飽食は不可なり も少しの所にて止めるが嗜なり」〕。十一時半帰校す。今日の如くうまき物を沢山食したる臨時外出は未だ曾てなかりき。昼食して酒保に行く。集会所に居ること三時間にて後は整頓・手入等をなす。朝日の出づる時陽を笹の間に眺めつゝ霜を踏みて炊爨に余念なき有様此くの如き浩然の気を養う事も近日稀なり。其の故に愉快なりたるか。腹は終日満ち満ちたり。良好なり。
「工事美談號」と銘打たれた昭和3年1月号のなかで,ちょっと身につまされる話題を見つけた.ある建築家(設計家)の苦悩の独白だ.
英國の言葉にアーニングといふのと、プロフェッションといふ言葉がある。アーニングといふのは簡單に言ふと『只金を得るために仕事をする』。プロフェッションといふのは『仕事をやることの第一義は、生きる上に、何かよい仕事をして見たいといふことであつて、そこには金錢以外の慾求がある』といふ意味である。唯物史觀と唯心史觀との對立にも似てゐる。現在日本でもよく言はれてゐる。
技術家といふものはプロフェッショナルな心情を多分に持つてゐる。何かよいものを造らう、といふ心を持つてゐる。所謂藝術的良心とかいふものをー。ところが世の中の人はさうは思はぬ、『金がまうかりませう』と、これだ。http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/04-01/04-01-0687.pdf
全く重なるわけではないけれども,似たような気持でORJを作ってきた.今は直接incomeに繋がらなくとも,金銭ではない何かを得たい,良いものを作りたいという一心でORJを作り続けてきた.
だが,現実問題として,今を生きるためのincomeがなければ生きていけない.そしてORJ製作にかける時間,リアルでの仕事にかける時間.時間は限られている.いきおい,今やっている仕事を「食う手立て」と割り切って,余力をORJに注ぐことになる.
ちょっと言い訳じみているが,あくまでも余力しか注げないから,ORJはいつまで経っても中途半端だ.ORJのために時間を割けたら.そのために,ORJから収入を得て『earning』のくびきから離れられたら,と何度思ったことだろう.しかしそれが実現したとしても,周囲から見れば「金目当て」と見られるのがオチなのかも知れない.
「好きなことを仕事にする」.誰もがそうありたいと願うことに違いない.だが,それが実現できている人はどれくらいいるんだろう.なぜそれが,実現しないのだろう.
こうはなりたくないものです。NIKKEI NET(日経ネット)より引用。
廃虚写真巡り「著作権侵害」 写真家が同業者を提訴
鉱山や変電所跡の廃虚を撮った自分の作品と酷似した写真を発表され、著作権を侵害されたとして、写真家の丸田祥三さんが9日、写真家の小林伸一郎さんを相手に写真集の販売差し止めや約600万円の損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こした。
訴状によると、丸田さんは1992年の個展「棄景」以降、廃虚をテーマにした写真を個展や写真集で発表。小林さんも98年以降、「廃墟(はいきょ)遊戯」などの写真集を出版している。(00:29)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090109AT1G0902G09012009.html
ちょろっとGoogleセンセイに尋ねたら検証サイトみたようなものも作られてたり。でも撮影場所が同じだけって感じもするし、そもそもグッとくるシーン(撮りたくなるシーン)なんて誰でも一緒なんじゃね?(超暴言)
場所の秘匿性だとか一番乗り云々なんかがあって、廃墟の場合は特殊なのかも知れないが・・・あまり、そういうのにはなってほしくないな>はいどう
あ、ついでに追記。nagajisがORJに寄稿したネタはネタ独占したりするつもりはありませんので、みなさんどんどん行ってどこかで公開してください。ついでに撮ってきた写真をnagajisに与えると喜びます。
すらっしゅこーどが更新されてClassicなMacのMozillaでは見られなくなりますた。問答む用で落チます。
ま、生みの親にまで捨てられたOSだ、いまさら自他罵他しても仕方がない。かえって作業に集中できるとおもへ。
製作機関の前半をみっちりバックナンバーCD#2製作に費やしたので(というのは言い訳だが)その分のしわ寄せがみっちりと。お願いですから「年末年始企画なんてするからだ」ナンテ言わないでください(泣
ふと振り返ってみると、最近はデザイン(笑)に凝った企画が減ったなあと思う。見飛ばされちゃいそうな1ページを半日かけて作るより、もっと効果的な方法(=手抜きできる方法)を見つけてそちらに頼ることが多くなった。いいのか悪いのか・・・。少なくともネタが良くなければダメなのだが(ダメだからデザインで何とかしようということが多かったかも。TRDBなどはその傾向が特に強い)
実際に作れるかはさておき、本物の雑誌の誌面のようなpdfを作ってみたいと思うことはある。しかしpdfでそれをやると1ページ開くのに数秒かかったり目がチカチカしたりして画面で見るのには向かない。ファイルサイズも大きくなり過ぎる。「廃道をゆく」や「廃道本」ではデザイン確認や校正のときに誌面をpdfにして送っていただいたのだが、正直うちの非力な400MHzMacさんは悲鳴をあげまくりんぐであった。そういう大変なものでなければまだまだ戦えると思っている。
また番号間違えた。永久欠番にしといてもいいのだが82086の82だしな(謎
ここのところ真冬の寒さが続いて、何か温かい食べ物が恋しくなるわけだが、いや「恋しくなる」というのは慣用的用法であって、泣く泣く冷たいものばかり食っているnagajisなのではないのですけれども、それはともかく、ふと
流しうどん
なるものを想像してしまい、あられもなくワクワクしてしまった。どうだろうか。流しそうめんのそうめんのかわりにうどんが流れてくるのだ。
もちろん温かくなければ意味がない。茹でたてうどんが鰹だししょうゆのつゆに乗って流れてくるのだ。にゅるりにょろにょろの白太麺がドヒャーっと流れてくるのだ。流しそうめんですら既に「食べ物を玩ぶな」という倫理観への觝触だというのに、剰え麺を流したうえにつゆまでも、という。背徳の快感べき2乗である。禁じられた遊びである。うえに屋外でやれば湯気がモウモウと立ち昇って「うおーメガネ曇ったー」のお約束もできる。そうして曇っているうちにうどんは流れていってしまう。ほどよい難易度があってよいではないだろうか。
折角だから具も加えたい。きつねさんが流れてくる。かまぼこが流れてくる。薬味のねぎも流れてくる。一つひとつ掬わなければならない。月見うどんなんかで来られた日にゃどうしたものか。しかしそれに対処するのが日本人たる我々に課せられた使命であり運命である。
わけないだろ。
またダダ長くなった・・うえに終わらねえよ。明日にはなんとかしたい。
大学時代、田舎の友人・N氏から
ボクハ オドルヨ
デカダンス
とだけ書かれた葉書が届いたことを、ふと思い出した。この頃から鍛えられていたのかも知れぬ。
そう思って例の箱を漁ってみると、確かに出てきた。この虚無い感じが何とも言えず、当時の空気がよく思い出される。
こういう、よくわからないものが詰まった箱がある。要るかも知れないがまず使うことはない、あるいは絶対要らないだろという小物を放り込んでいたもので、例えば高校時代の友人のテストの回答用紙だとか回答の褒美にA先生から貰ったお菓子の袋だとか昼弁当についてきたトキハインダストリーのシールだとかが入っている。
最も古いものは中学3年の時のもの。文化祭で掲示する学級新聞を作った時にガイチがレタリングした「せ」。うまく描けたからやる!捨てるな!と言われ、それ以来20年間保有している。思い出したら回収してくれ>ガイチ
文章を括弧で始めるとヒキになるらしいぞ。
「机の上にオタフクソースが2本あるんだ」
虚ろな目でNはいった。Nはいま、頂き物の超巨大キャベツを消費すべく、広島風お好み焼きを作って食べている最中である。そのお好み焼きは大好きなコゲをカリカリしている最中箸を折り「あ〜あ〜あ〜〜〜折〜〜れ〜〜た〜〜」と宣り温度や混雑といった抽象概念を食べて生き太陽の塔を「恥ずかしいなあ」と評したE氏の直伝だ。本物の広島風お好み焼きだ。惜しむらくは、思いつきで入れたカボチャスライスのせいで生地が破れてしまい、ただの蒸しキャベツの塊+生地断片になってしまっていることだが、惜しんだところでそれが元通りになるわけもない。
そもそも始まりが良くなかった。Nが広島風お好み焼きばかり食べ続けることになる、めくるめくお好み焼きの日々が始まる初日、NはE氏の教えに従ってオタフクソースを買ってきた。しかし、赤いキャップのお好み焼き用と間違え、黄色いキャップの焼そば用のそれを買ってしまった。何という迂闊だろうか。
さらにNは迂闊を重ねた。E氏直伝の広島風お好み焼きには焼そばを載せねばならぬ。よって焼そば麺を購入するつもりでひっつかみ、カゴに放り込んだそれは「中華麺」であった。それに気づいたのは、お好み焼きを作成する最終段階、いざ投入しようとしたその刹那のことだったのだ。
何ということだろう。これが焼そば麺であったら、オタフクの焼そばソースも浮かばれただろうに。二重の悲しみにうちひしがれたNは、遠のく意識の片隅で「同じソースだろ」と思ってしまい、それをかけて食べることにした。しかし、一口食べて幻滅した。絶命した。滅法辛いのだ。その辛さはキャベツの甘さと喧嘩する辛さだ。広島風の良さを全くスポイルする味だ。しかもそれが、ソースが尽きる数日後まで続く。Nは胸が締め付けられる思いがした。
いたたまれなくなって、Nは正しいソースを買ってきた。それが今日のことだ。
よって、目の前に2つのオタフクソースがある。
正しい広島風お好み焼きを食べながら、Nは思った。富士山に月見草が良く似合うのと同様、広島風お好み焼きにはオタフクのお好み焼きソースが良く似合う。否、オタフクのお好み焼きソースでなければならぬ。仮令それが無駄遣いになろうとも、このお好み焼きにはオタフクのお好み焼きソースでなければならぬ。重ねてそう思った。そして誓った。
二度と間違えないことを。
日本道路史資料編より引用。国道表公布に先立って陸軍省と協議したときのやりとり。以下あらまし。
※明治19年街路取締規則標準
(7)国道の等級廃止と幅員の制定に関する諸通達<1−3−6(1)>
内務省稟候
道路分類等級の義に付ては去明治九年六十号達を以て制定の未当省乙第七拾三号調整方達に依り各地方庁に在っては管内限路図調整差出候付爾後当省に於ては右図面に基き其接続を取調且他の実測国図に拠り別に全図を製し而して更に全国の路脈に就き関係の軽重を酌量し取捨増減を加うる等前後詳密なる取調に従事したるを以て為に巨多の歳月を累[かさ]ね候儀の処此程に至り整頓候に付
此際国県道共斉しく線路御確定可相成筈の処県道に至ては爾後制度の沿革に従い其分類等今日に適せず其他更に取調を要する廉も不少蒡即今御裁定の運に至り難きのみならず之を国道に比すれば緩急も有之且国道経理の義に付ては此程允裁の趣も有之目下線路確定を要し候義に付此際先ず国道のみ別紙図面の通り御取定の上速に御布達相成候様致度
将又右御布達相成候に付ては此際道中の規模をも御定相成度尤も明治九年第六十号御達に国道は一等七間二等六間三等五間と各等級に依道巾の広狭を定められ候得共並木敷を設くるや否も分明ならず
夫道巾は四間以上を以駅路の適度とする処にて別に並木敷の為め三間の余地を要するものなれば一等を七間と為すは並木敷をも見込みたる如しと雖も二等三等の道巾に於ては並木敷の余地を見ず
元来道路に等級を附せられ候儀は其経営上に於て緩急軽重の標準と為すべしと雖も斉しく国にして之を軒輊[けんち:優劣・軽重・大小などの差]するは穏当ならず之を軒輊せんとするより転た道巾に広狭を区別せざるを得ざるは様相成儀に付断然国道の等級を廃し其道巾の制を更正せられ国道は道巾を七間以上と為し其内四間以上を以て道敷とし道敷の外左右に各五尺の並木敷を設け該敷の裏面と外面とに別に各二尺の湿抜きを整通するものと其規模を一定せられば国道の体裁も完備すべしと存候
今也交通運輸の開くるに従い行旅車馬の往来歳月を追い頻繁を加うるに従来国道中にも僅に二三間に過ぎざる狭路も猶各地に儘之あり不便も亦甚し
自今官の管理に属する以上は其新設に係る道路は必ず此規模を保ち旧道は漸次之を目的として改修を勉むる様致と存候
且並木は盛暑に在っては炎気を遮り深雪の地にては路線を標し吹雪を防ぐ等道路に功用を与え湿抜きは地盤を鞏[かた]むるに必要のものに候間崖傍水涯等実地差支ある地所に非る以上は並木敷湿抜を設けずんばあらず
右は修繕費支出方等の設計上に於て関係不少に付第六十号達中先国道に係る等級を廃せられ其道巾の制御改正の義も此際府県へ御達相成候様致度
路表図面並御布達按御達按等相添此段相伺候条至急仰御高裁候也 17年8月23日
追て本件陸軍省へ及協議候処別紙の通回答有之該意見中道巾を六間半以上と定めらるる儀は実際難被行既に明治九年中道巾の制を公達せられたるも該制に依り旧来の狭路を改修したる向も無之只旧狭路を改修せらるのみならず爾来続々新道開鑿稟中候も大抵其巾三間許に過ぎず弐間半許にて止むものも亦少からざる程にして今一般に四間巾と為すも全国の広き巨額の工費を要し漸次に非らずんば被行間敷見込に有之
若し同省意見の如くするときは莫大の潰地を要し為めに田畠を損するのみならず工費に於ても貲[はか]られざるべく而広潤の道巾なるときは自然修繕掃除等も難行届より荒廃の隙地を生し平時維持の方法行届難く行軍の日に在っても却て使用を為さざるの恐有之況んや国中到る処山間河崖の地多く畢竟うべく行われざるものと相考候
又各軍管より営所並要港要塞に聯絡するものを国道に増加せられ度云々に於ては明治九年公達の制規を改正せざるを得ず 該制規を改正するに於ては各軍管より営所等に通ずる道路にもならず此外にも国道に編入せられるべき見込のものも可有之
猶該制規御改正の儀に付ては追て可相伺積に候此外橘祭[ママ]巾員坂路傾斜等の儀は全省の意見を須たず本省にても橋梁巾は道巾と同からしめ坂路勾配は廿分一よりも緩ならしむる見込に之有
右等の次第猶同省へ遂協議候上上陳可仕義には候得共本文申陳候通本件の儀は国道経理上に関し目下速に御裁令を仰ぎ度見込も有之徒に往復に時日を費すの恐あるを以て不取敢同省回答書相添進呈仕候条何分の御高裁を仰ぎ度此段追申候也
伺の趣聞届候事 18年1月6日
[別紙]
陸軍省より内務省へ回答 17年8月12日
国道線及び巾員等の義に付去る6月7日付御内議の趣致承知候
右国道の儀は之を軍事上の要旨即ち全国防禦の大計より考案を下すときは実に緊要なる軍路にして其経始の如何は大に兵略上の計画に得失を与え影響の及ぶ処遂に国家の大事にも関する儀に有之候得ば之が制限を建んには深く慮り以て永遠の規模を定めざる可らず自然目前の小利害に拘泥し苟且に失する如きあらば他日の憾を遣や必ずせり
故に軍事上の要旨に基き論究せるに別紙事項の如きは国道即ち軍路の制限に於て最も緊要なる者と相認め候間宜敷御詮議相成度別冊国道表返進此段及御回答候也 17年8月12日
追て橋梁並坂路傾斜の二項は御内議中には無之候得共右は国道に附帯する事件に付是亦可然御詮議相成度此段申添候也
一 国道巾 六問半(十二米突)以上と被定修造困難なる場所は四間(凡七米突)を以て最小限と定められ度事
此理由 軍事上即ち行軍等の利害に就て考うるときは我国現制の六馬の砲車(馬並に車を併せ長さ凡十四米突)を以て背転行をなすには其巾通常凡九問(十六米突)を要し四馬に在ても尚十二米突を要す(別紙附図)縦令不便を厭わず変法を以て背転行を為すも六馬の砲車に在りては決て十二米突を下るべからず
是れ十二米突己以上の道巾を要する所以なり然れども実際上種々の原因に依り此の如くなる能わざる場合あらば其局部に限り七米突を以て最小限と定められ度此巾は尚一層の変法即ち後車を解脱して漸く背転を為し得べき最小限を以てなり
但最小限(四間)の道巾の所に在ては路線の曲折部は務めて鈍角なるを要す若し己むを得ず鋭角となるときは道巾の広さを加えざるべからず
二[ママ] 橋梁巾 三間(六米突弱)以上と被定且支柱は充分砲車の重量に耐ゆべからしめ度事
此理由 明治九年第六十号御達中橋梁巾員の義は道路の種類に随うを至当とす然れども其巾の如きは必ずしも道巾に随うを要せずと有之のみにて其制限に一定の明文無之然るに砲車互に行違うに要する最小限は六米突弱(欄干を除き真の通行路)を下るべからず是此制限を要する所以なり然れども右は永久の架橋に限り一時の仮橋に属するものは勿論此限にあらず
但橋梁の一端より直に曲折の道路接続する所は最も車軸の通過に困難なるを以て務めて鈍角なるを要す己むを得ず鋭角なるものには十分の余地を設けざるべからず
一 坂路の傾斜 二十分一より峻急ならざる様被定度事
此理由 二十分一は欧州に於ける山路傾斜の上極にして之より峻急なる時は砲車の登上に困難多し若つ夫れ百分の九乃至十八(五度より十度)に及べば馬数を増加せざれば砲車を登らしむる能わざるの大困難あり然れども現今俄に此の如い緩傾斜に悉皆作為し能わざれば事情あらば漸を以て改良の目的に定められたし
一 国道聯連絡線 左の通増加相成度事
第一軍管内
一 武蔵国横浜より相模国浦賀へ
一 下総国舟橋より同佐倉へ
一 同国千葉より上総国富津へ
一 甲斐国甲府より信濃国下諏訪近傍へ
第二軍管内
一 越後国新潟より同新発田へ
一 同国新発田より羽前国米沢近傍へ
一 陸前国仙台より羽前国山形近傍へ
一 陸前国仙台より同荻ノ浜へ
第三軍管内
一 加賀国石川或は越中国高岡近傍より能登国七尾へ
一 近江国木本近傍より越前国教賀へ
一 伊勢国山田より志摩国鳥羽へ
第五軍管内
一 伊予国松山より同三津浜へ
一 伊予国松山より同宇和島へ
一 安芸国広島より備後国三次を経て出雲国松江近傍へ
第六軍管内
一 筑前国福岡より同山家近傍へ
一 肥前国柄寄近傍より同伊万里へ
一 肥後国熊本より同百貫石へ
一 肥後国熊本より同大津を経て豊後国大分へ
此理由 軍事上より見を下せば何れも営所要塞若くは要港等への聯絡にして最も要用なる軍路なり 他日兵営要塞等増加に従い線路の延長を要すべしと雖も現今に在ては先此分を必要とす
(国道表省略:出典「日本道路史」、原文新字カナ、赤字太字[]はnagajis注)
センター試験を受けているらしいのだがパソコンの前に座っている。解答はパソコンを通してFTPサーバに一時保存することになっているらしい。何だかんだしてひととおり解答し終え、保存する。
余った時間で暇つぶしをする。テキストエディタでAAを作成した。結構な力作だ。こういう時ほど保存し忘れたりするんだよなーと思いつつ、その動いているAA(スクワットしてた)を眺めながらCtrl+s。と同時にさっきの回答を上書き保存してしまったことに気づく。うわっ、やっちまった! バックアップなんて取ってねえぞ!
慌てて記憶をもとに解答をでっちあげようとするが、細部まで思い出せず、苦労の3割方が飛んでしまったような感触。脱力感。嫌になって立ち上がり、ふらふらと歩き出す。
試験会場は大きなスーパーの一角にあって、壁なしで陳列棚のある空間につながっている。そこで元主将のIw氏に出会う。早く解答を終えて暇を持て余しているようだった。
Iw氏は陳列棚の一番下の棚に置かれてあったイカ燻駄菓子の袋を手に取って言う。「最近これまずくなったんだよねー」と。それはホタルイカをまるごと燻製にしたような感じのイカの駄菓子で、私も好きなやつだった(ちょっと酸い味の噛みごたえのある駄菓子、ということに夢の中ではなっている。実際にあるものなのかどうか覚束ないが、探せばありそうな気がする)。開けてみると形はイカだがご飯粒を練り固めて作ってあった。白い粒々の塊だ。一つ食べたがもさもさするばかりで確かにまずかった。五匹も入っていたのは質低下のお詫びのつもりなのか。こんなにいらんっちゅうねん。
席に戻って続きをやる。4,5人×何十列の隊伍を組んだ隊列が、奥から左手前に向かって行進している映像。その角の人物が誰かを答える問題(その人物だけ黒塗りになっている)。さっきは何て解答したのだっけ。女の子だったか、子供だったか、それともヒゲのオヤジだったか・・・。姿を想像するたびに映像にカートゥーン風の手が入り角の人間を入れ替えていく。悩み過ぎたせいで隊伍の並びがぐちゃぐちゃになってしまう。時間は刻々と過ぎていく。
学生を演じる長大リアリスティック夢を見たんだが内容を忘れた。もったいない。
商売繁昌を願うつもりで服部神社へ。今回は大人しく杖を2本ついていく。住宅街を通っていくといろんな発見があっていい。
例えばこの飛び出し注意看板。坂の途中にある、曲がりくねった狭い丁字路に置かれてあって、確かにあらまほしき場所の注意君だと思う。設置した人には思慮がある。しかしこう切り取ってしまうと、向こうの壁が道路に飛び出していることに注意せよ、という看板だと取れなくもない。飛び出し注意君の向きが効いているのか。
それからこの看板。人のイラスト(恐らく市議会議員大町氏)に「前向きな行動」と書かれてある。これを見て、人物像の向きが前向きなのだろうか、即ち左が前なのだろうかと思い、しばし立ち止まって悩んだ。「前向きな行動」の文字は左書きなのから左が前と取れなくもない。しかし人名および看板の向きは縦であって、ちょっとそぐわない。そうだからといって上が前だとして上を向いているイラストも変だ。右を向いていたらなおさら左書きの文字と喧嘩してしまう。
いっそのこと正面向いたら万事解決! 常に前向き! とホクホク顔で結論に至ったものの、それだと単なる似顔絵だろ、と気付いた。
ハナから「前向き」と顔の向きを掛けていたりしなかったのかも知れない。そう思ったほうが心が落ち着く。
これは奇妙なポテンシャルではない。石垣石に石臼を使っている実例を初めて見た。ちょっとうれしかった。
石臼を石垣に混ぜ込むのはある種のまじないで、そういう風習が全国各地にあったそうだ。富や食の象徴である石臼で家を支えることが縁起がいいとか、水平にして使うから石垣が安定するとか何とかいう意味が込められていたはず。神戸六甲のほうに行ったら多そうな気がするがじっくり見たことはない。
カレーに林檎を入れたらバーモントカレーだわーいと喜びつつ一玉入れた上におつとめ品セロリ一本を刻んで放り込みついでに旧臘の白ネギを刻み入れぐつぐつ煮込んで香味芬々なカレーが鍋一杯出来上がりつつあったところへ思いつきでイワシ蒲焼きの缶詰めの残り汁約1ccを入れてみたところ全てが殺されてイワシ蒲焼き缶詰カレーになってしまった。この劇的な変化は水炊きに未処理のトド肉を投入してしまった大学4年のクリコン以来の発見だ。匂いだけで味がないのも味覚をおかしく刺激する。
カレーに魚の缶詰めを入れるというのは王道といかないまでも旧街道くらいの常道だと思っていたのだが記憶違いだろうか。あれはさばの水煮だったっけか。イワシ蒲焼きが特に缶詰臭を発するような気もする。
これでようやく年末に買い溜めておいた野菜を消費し尽くした。そして頂き物の野菜がまだまだある。
入浴剤を購入するより100円ショップで塩を買ってきてドバッと風呂に入れたほうが効き目がありそうな気がするのだがどうだろうか。浸透圧の関係で痩せたりしないだろうか。
他にも酸性洗剤を薄めて入れてみるとか、重曹入れてアルカリ泉とか。酢とか。炭酸泉というのはあっても塩酸泉とか酢酸泉とかはないから新しい泉質開拓も兼ねて試してみるべきだろうと思う。
雑談の中で地方電鉄会社の復興策が生まれた.名付けて「だるまさんが転んだ列車」.車掌が鬼となり電車の中で「だるまさんが転んだ」を行なう.もちろん運転中にである.遊戯特有の静止の難しさに加え電車の揺れにも抗わなければならない難易度の高いゲームである.例えば御堂筋線梅田駅から淀屋橋に差し掛かるあのカーブなどはかなり難易度が高いと思われる.そういう揺れを掌握した鉄道会社側と乗客との間で繰り広げられる,熱く,そして静かなバトル.燃えないわけがないではないか.
キモは路線や電車によって揺れ方が異なること.その電車に乗らなければ味わえない(練習もできない)わけで,赤字路線の集客に絶大な効果があることは言を俟たない.逆に言えば鉄道さえあれば全国どこでも行なうことができ,統一ルールの導入による全国展開も容易だ.地方線で地方予選を行なう勝ち抜きトーナメント制,あるいは全国巡業制を採用すればなお可である.
誰かこれでビジネスモデル特許を取ってくれないだろうか.私の取り分は1割でいいです.
クリームシチューを作ったはずなんだが。
CPUクーラーのファンがいきなり停止した。諏訪と思って開けてみたら思いの外ほこりだらけになっていた。外して掃除しシリコンスプレーを吹き付けたらとりあえず復活したが、それよりもこの一連の事象によってファンの音が凄まじくやかましいことに気づかされた。気になっていなかったわけではないのだが、ここまで酷いとは思わなんだ・・・・・・。
いつも身近にあるものだから(ディスプレイの隣に位置している)、毎日ちょっとずつ変化していくと、かえって気がつきにくい。気がついたときにはもう手遅れになっている。なんだか人生のいろいろに似ていると思ったことさ。とかなんとかそれっぽいことを書いてご満悦のnagajisである。
こんど大阪市街に出ることがあったら、ヨドバシかポンバシで静かなやつを買って来よう・・・・・・。さすがにそのためだけにでかけるのは(電車代を使うのは)憚られる。
5m先のレール刻印が読めれば万々歳です。
辛い経験・悲しい思いを人に話してみたくなるのは人類共通の性なんだろうと思う。語ることで気分が晴れるから。自分が話題の中心になれるから。それで何が得られるわけでもないことが身に染みて解っているから黙っている。まさしく人でなしである。まあ書くことも似たようなものだけどな。例えそれが心理だったとしても解り切った結果しか生まないなら抗ってみようじゃないか。
年越しから松の内にかけての充実ぶりの反動で気分が落ち込んでいる昨今である。面倒くさいpdf作業が続いているのも緊張感を下げている原因らしい。毎回変わらぬ内容の原稿を書き、明日食うものにも電車賃にも汲々として、単調な日々のうつろいに飽きている。改善する見込みもない(というよりも改善しようとしていない、だな)。
ふと長年日記をクリックして、2006年の同じ日にも少し高尚なことを考えていたことを知った。professionはおろかearningもままなってないなと思いなおさら落ち込む。ただし少しは成長した。2013年の私は落ち込んだところで何も起こらないことを知っている(だから落ち込むな、ではなくて、落ち込む気分ならそれに従うといいよ、という諦観の境地に近いもの)。無理矢理なんとかしようとしたって歪みが溜まるばかりだからな。
幸せって積み上げたり蓄えたりできるものじゃないと思う。常に得て、消費していないと生きていけない、空気とか水とかみたいなものなんじゃないだろうか。だからいくら「幸せだ!」と思う瞬間があっても、時間が経てばそのうち忘れてしまうのんじゃないか。幸せを味わえば味わうほど閾値があがっていって、より大きな幸せを求めたりするのは、きっとそのせいだ。それを考えるとアルコールや煙草のほうが近いかも知れない。不安・苦しみ・悩みを抱えてそれに向き合って過ごすことは断酒・断煙みたいなものであるに違いない。次のいいことを最大限に喜ぶための準備期間だと考えるようにすれば、不幸をかこつ愚を晒すこともないよ。きっと。
月報も含め予定記事を全up音符(音符記号が出ないので漢字で代替する音符)。ついでに新企画まで始めたった音符。うすぼんやりと考えていたネタがたった一言の思い付きでここまで膨らむとは。言葉の魔力おそるべし音符である。
久しぶりにS9100を引っ張り出して来たりなどしている。あのようなモサモサ音符したものはEXRセンサーではまともに写らないらしい。ISO80が使える 第四世代 HONEYCOMB-HRでなければならぬ。
はてここからどうしようか。TRDBくらいなら追加できるが、無理に突っ込むよりあげたpdfを洗練させる方向へ持っていってもよい音符。年始に作ったものは結構手抜きになっている。
なぜか今年は十日戎の話を振られることが多かった。何かの啓示に違いないと思い、服役後に服部天神社へ行ってきた。
これで何も買わなかったら2011年の二の舞になるだろうと思い、初めて熊手を購ってみた。足がよくなったことへのお礼も兼ねて。高望みはしないが多少は福が集まってほしいと願う。
そういや、他人の幸せばかり願って自分のことをお願いするのを忘れてたな。まあ、いいか。
ウェーブってなんだ…。
そうだ、宮津、行こう。というつもりで用意していたのに寝過ごしてしまって無為になった昨日から本格的に書き始め、一巡目が終わり現在二巡目前半1/3まで。日曜日は仕上げたいところ。
長くなるようであれば後編一本ということになるかも知れない。小ネタに丁度いいサイズのネタが思い出せない(石アーチ橋を旧橋に分離しようかとも思っていたがそうまでして記事数を水増ししなくてもと思う。内容的には十分いろいろを突っ込めている筈)。
自分の記憶というものがかくもあてにならないものだとは。一巡目は記憶だけで書き、二巡目で写真や資料と突き合わせて訂正書きしているけれども、その訂正書きの多さと範囲の広さといったらない。白黒逆転していたりもする。2002の長旅の記録は忘れてしまっていても仕方ないが、つい数カ月前の記憶さえ間違ってることが多いのはちょっと問題だと思う。
止むに止まれぬ事情によりアカウントを復活させたが、その件に関係することがら以外は書き込むことはまずないだろうと思われるので、なんかいいことあるかも知れんと思って友達申請された方には(そういう人がもしいたらの話だが)申し訳なく思う。これ以上データの在処を分散させたらわけわらんくなること必至だしいろいろ書きづらいじゃんFacebook。nagajisのぐだぐだな愚痴と韜晦塗れの言説と直交座標が有無を言わせぬpush送信で送りつけられるなんて、考えただけでも反吐が出る。速攻ミュートする。
あ、でも、煉瓦師見習ちう肩書きは我ながらいいと思っている。こんどこっちに引っ張って来ようかしら。
あちらを立てればこちらが立たずで苦労するであらうというご神託。なるほどこういうことかと思う。それはおみくじによって与えられた今年限りの試練なのではなく、常日頃からどういう場面でも起こり得て、心労の種になることが多いことのひとつに注意を向けさせてくれるのがOracleなのだと思う。心を鎮めて私欲を捨てよ、と解決方法まで賜っている。そうそれが一番穏便で正しい対処法なんだ。そこで我を通せば通した分だけ身が痩せ細るだけ。得るものは戦ったんだという偽満足。風任せに生きるんじゃなくて風を受け流す葦の葉のようなしなやかさが必要だ。そう意気込むまでもなく、ひらりひらり。
水曜日の問い合わせ、および火曜日のお尋ねにおいて、新年早々様々な利便を賜った。有り難いことだ切ないことだ。今年からは御礼のハガキくらい出そうかしら、と思ったりした。貰ってばかりじゃ申し訳ないし、それが即まともなOutputに繋がるわけでもないのだし。
↑は心境変化の転換点としてメモしておいたほうがいいかもよ>nagajis。そういう真っ当なことを積み重ねていけば少しは人間に近づけるんじゃないか。
ああ、宮津、行きたいなあ。大野再訪したいなあ。
珍しく普通の話題である。月曜日はパートさんが斃れ、今日は主任が斃れ、と明らかに感染が拡がりつつある。インフルエンザをこれほど身近に感じるのは何年ぶりだろう。いつもニュースで聞くばかりで流行に乗り遅れている、というか流行に乗る気さえないnagajisなんだが今回ばかりは遅れを取らなさそうなカンジである。しかし今死ぬのは困る(by漱石先生)。全てが停滞する。内全怨嗟。
鉄道局年報 明治27年度
https://dl.ndl.go.jp/pid/805397/1/61
北陸線 葉原、山中(導坑未貫通) 掘削中
日野川、足羽川他3箇所工事中、すでに大半完成、浅水川他9箇所は仮橋架設、九頭竜川他2箇所未着手 敦賀瀬河内間、今庄森田間は大抵煉瓦を用いる
コルベルト157箇所中146個(うち18個は前年度中)竣成、工事中1、未着手10、樫曲以北北湯尾間、福井近傍の34箇所は石材、他は煉瓦 未着手の10箇所中4箇所は石材、6箇所は煉瓦
敦賀山中間各隧道に使用する支保材煉瓦セメント真砂その他は海岸から人の背で現場へ
山中、葉原、九頭竜川橋梁、同所付近の避溢橋2箇所を除き来年度8、9月頃に竣工見込み
東海道線 M27.6.20の地震で六郷川橋梁橋脚破損
江尻静岡間 115マイル近傍 5鎖~32鎖間にかさ上げ工事
付近溝渠2フィート2径間を4フィート9インチ一径間に改造、さらに2フィート2径間の溝渠を新設
https://dl.ndl.go.jp/pid/805397/1/67
複線工事 前年より継続事業の大阪三宮間 西宮三宮間は竣工、当年度4/16より運輸営業開始
大阪西宮間は武庫川、下神崎川、下十三川の三大鉄橋は材料不足で工事中止、9/10を竣工している
向日町吹田間 当年度6月を以て起工、橋梁22箇所コルベルト15箇所の増築に着手、その大半を12月に竣工 年度末には橋台の増設を終り上部の鉄桁架設の1工事を残すのは十三橋のみ 橋台橋脚ウェル構築中2橋
大谷京都間 当年度7月起工 鴨川架橋は東西橋台及び橋脚七ヶ所とも築造中
鉄道局年報 明治28年度
https://dl.ndl.go.jp/pid/805398/1/12
大阪三宮間 本年度三月に武庫川他二大橋の竣工、4/11より営業開始
向日町吹田間 砂利散布1/10を残し他は竣工
大谷京都間 軌条6/10の敷設 鴨川他4川の鉄橋架設を残すのみ
鉄道局年報 明治29年度
https://dl.ndl.go.jp/pid/805398/1/84
敦賀森田間 本年度7/15に敦賀福井間の運輸営業開始
11/14より手取川橋梁のウエル沈下に着手
倶利伽羅・熊坂
本年度中前年度起工の九頭竜川、家久、傾城の二橋梁、江端、大町、玉江の三避溢橋、葉原、山中の両水道を竣成、手取川橋梁18橋脚中7箇所のウエル沈下を終了 その他の橋梁については床石下まで竣工せるもの15基礎あるいは煉瓦石積中のもの51小ルベルトは床石下まで23基礎煉瓦積中63、いずれも本年度の起工
大阪三宮間 本年度三月に武庫川他二大橋の竣工、4/11より営業開始
向日町吹田間 砂利散布1/10を残し他は竣工
大谷京都間 軌条6/10の敷設 鴨川他4川の鉄橋架設を残すのみ
各地で大水害
_ 葛飾白菜 [葉書の裏面が禿しく気になる・・・キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!!!キツネとクマゲラ]
_ nagajis [ただキツネが写ってるだけですよ(汗 野暮ですが「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」の言葉をさしあげます・・・「風姿花伝」の一節、作者は、ええっと、元野木阿弥さんです]