nagajisの日不定記。
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六時起床す。服装検査後より二時間、家と田口亨一へ手紙を出す。以後半時間に運動場を散歩し、それより三十分勉強をする〔をする、に朱傍線〕。十二時半より十五時半まで勉強為し、十六時四十分まで運動を為す。夕食後軍歌演習あり。今日は明日授業(教授部)なきが正規の自習なりき。
今日より日朝点呼は室外にてあり。即ち生徒舎西側。全校にて四等なりき。起床後裸体にて露店に出ず。何と清々しからずや。
午後の訓話は世界の現勢につきあり。柔道又真剣ならずや。大外刈を学ぶ。随意運動時は明日の祭典に具えて愛校作業をなす。鉄棒を行うも豆の為十分ならず。今日より大車輪の練習を毎日続けんと決す。塵も積もれば山となる。必ず前期中には上達させん。
愉快なる今日も夕に至り不快なる事一つあり。之により自習時間に身が入らず。何となれば望月と言い合う。正義なれ。公明正大なれ。淡白なれ。
十七時警戒警報かゝる。又空襲なるか。
近日運動具委員の関係上自習が欠くること甚し。作業は要図調製、音楽、愛校作業の際は入江と共に龍田山麓まで行き榊を漸く見つけ武道場のを新にす。途中鳥の巣を二つ見つけて帰り博物料に収めたり。二訓切磋・談話会。体力おとろえり。睡眠をとるべし。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107975/1764
やっと見つけた・・・.『大日本商工録』昭和6年版だ.山陽電鉄のマークからレールを取り除いたらこれになる.
デフォルメされた縦棒がこんだけ接近していると吉名煉瓦の○Yと見分けがつかないじゃないか.隙間に粘土が詰まったまま打ち続ければ全く同じになるだろう.手元の写真および現物ではどちらとも断定できなかった.とはいえ背稜山脈の懐にある庄原から大阪くんだりまで運ばれてくるとは思いがたく,そもそも瓦・土管に継ぐ三番目の取扱商品として煉瓦が出てくる程度だから,あれは吉名でいいのかも知れない.ちなみにこの会社,昭和7頃には第27工場まであった(比婆郡敷信村).個人事業者をたくさん傘下にして,それらを工場と計数して水増ししてたんじゃ中廊下.
「SRK」やキシレン印を使った山陽煉瓦は昭和17設立.兵庫の山陽窯業はT6にできT14に分裂.たぶん無関係.
今はまだ、幼樹とか灌木とかなんだろう、いずれ大きく逞しく成長するんだろう、と思った。
同じことを100万回とはいかないまでも12、3万回くらいは言われてると思う。しかしこの手の看板が苗字や名前をひらがな書きにするのはそうしたほうが選挙に臨んで有利だから|||おぼえてもらいやすいしとうひょう用紙にかきやすくもある|||隣人の例で言えば祝岩井磐井岩居呪どれであるか悩む必要がない|||というただその一点にのみ眼目を置いたものであって姑息甚だしく唾棄すべき慣行としか思っていないものだから特段申し訳なく思ったりはしない。悔しかったら漢字で堂々と書こう。主義主張と政策で勝負しよう。そもそも薗内って書いてあったほうが一目で読めるし覚えもしやすいのではないか。むしろ浩樹のほうがありがちで紛れやすいんじゃないか。
東洋組製品と他の製品をと見分ける方法を発見して独り興奮している。東洋組西尾分局の胎土には大量の雲母が入っている。そうして刈谷の後年の製品や新川辺の煉瓦には雲母は含まれていない。他の工場でも雲母を含むものは少ないので雲母の有無で簡単に絞り込むことができる。
西尾の胎土に雲母が含まれることは横須賀市教育委員会さんから頂いた猿島遺跡の調査報告書(2002)に書かれてあった。そうか雲母か、と思って手持ちの煉瓦を確認してみると確かにキラキラ輝いていた。石英結晶に光が反射して光っているものもあるが、ライトでまんべんなく照らすか、光源をまともに受ける位置から煉瓦をくりくり傾けると違いがよくわかる。これを言語化しないといけない。金銅色に面で光るのだ。キラキラが揃っているのだ。粘土を型枠に放り込んでギュウギュウやっているうちに劈開面が型枠面に沿うようになるのか、あるいは小口長手と平行なやつが特に劈開して面を見せているのかわからぬが、いずれにしても顕著にキラキラと輝く。このキラキラを探せば西尾分局製を見つけることができる。
西尾の東方に八ツ面山というところがあって、そこにかつては雲母の鉱山があったそうである。そうして雲母を含む土は西尾から岡崎・豊橋方面に分布しているという。ん? ならば岡崎で採取したあの煉瓦も? と思って見てみれば確かにこれもキラキラ光る。直径1~2mmくらいの金雲母さえ確認できた。乙川沿岸の堆積土に含まれているかどうかによって、あれが西尾から持ってきたものなのか、それとも岡崎分局製(あるいは三工舎製)なのかが言えるかも知れない。
さらに興味深いことに、西尾士族生産所時代の製品には雲母が含まれていない。鉄道省の大型煉瓦を作る頃には原土を替えていたらしいのだ。確かに発色は全く違う。生産所時代の煉瓦は堺の煉瓦かと見紛うほど充分に赤い。胎土が違うということは西尾分局の後継工場の製品だと推測するその推測が間違っている可能性もなきにしもあらずではあるが、精成社→生産所の頃の往復書簡にこの頃ようやく鉄道省の求める色合いに焼けるようになったと南隼太が報告していた箇所があったはず(うん)。ずっと火加減によるものだと思っていたが原土を変えたと考えてもいいわけなのだ。
しかも興味深いことに〝□+カナ〟刻印煉瓦だけは雲母を含んでいる。微細な粒になっているが確かに雲母だろうと思う。石英結晶の光り方と違うもの。もしかしたら刻印の違いは使った土の違いなのかも知れない。以前の土では高火力で焼いても発色がよくないためにイロハ印の厚煉瓦は安かったのかも知れない。
雲母の有無で西尾の土と判断できるのであれば、「愛知名古屋/東洋組瓦磚/製造所之印」を西尾以前新川時代の印と考える推測の判断材料として雲母の有無が使えることになる。これはかなり画期的であり直截的であるだろう。ただし生産所時代の煉瓦も含んでいないわけなのでそのへんの言い訳を考える必要がある。
有り難いことに、雲母によるキラキラは長手や小口でも確認することができる。むしろそっちのほうがわかりやすい。型枠にまぶした砂に含まれていたものだろうか(もちろん胎土断面にも含有を確認できるがキラキラが揃っていない)。そういうわけなので平の露出や東洋組刻印を探さずともいい。
といったようなことを昨日発見し、それ以来誰かに教えたくてムズムズしている。これを知って喜んでくれるような人に伝えたくてたまらない。しかし残念ながらそういう人が周囲にいない。
つくづく思う。人はなぜ新知識をひけらかしたくなるのだろう。見つけたものや目にした後継をSNSにアップしたくなるのも同根の、人間に備わった人間的な欲のひとつなのだろうと思うが、そう考えると書いたり伝えたりする行為の虚しさのほうが先に立って萎えてしまう。聞かされたり読まされたりする側の気持ちになるとそう積極的になることができない。その前にnagajisが人かどうかを吟味する必要があるしな。
大高並形は
鉄道局 9 x 4½ x 2¼ ins.に
水平目地 ¼ ins.を足した
module の
real dimension に
尺寸対応性を持たせたもの。
9 x 4-1/2 ins.の平面形をnominal dimensionとして設計するのがイギリスでは主流だった。東京形もその流れを引いて一枚積厚 9 ins. を意識して設定されている。9 ins. はかなりの精度で 7.5 寸に一致。
東京型は 長手=小口×2+目地(3分)の原理に沿って設定。この場合は一枚積みの壁でもきれいに 9 ins. = 7.5 寸として積める。問題は一枚半以上の場合。7.5+0.3+3.6 = 11.4寸 というなんとも中途半端なものになってしまう。目地を調整して 11.5 寸 とできないこともないが。
そこで 9 x 4-1/2 ins. を nominal dimension とみなし、目地2分を取って real を作れば 7.3 x 3.55 寸になる。これ、琵琶湖疏水煉瓦の平面形であり広島軍用水道規格の平面形。一枚半以上の壁を築くと正則で11.25寸、壁内の縦目地厚を微調整すれば3分以上の目地幅を確保したうえで11寸に収めることができる。ただしそうすると一枚厚の壁のときに困る。長手 7.3 寸 として焼くと 7.5 寸厚が確保できない= 9 ins. 厚にはならない。
大高並形は、そこで長手を 7.4 寸 にねらって焼くことを意味していたのではないか。焼成誤差があるので 7.4 寸 ± 2寸 のものは焼き上がる。7.3 寸 として作った時より 7.5 寸 前後のものは多くできる。見栄えを意識する場所にはそういう長めのものを使えばよい。短いものは長手積みで処分できる。一枚半以上の場合も、そのままでは 0.1 寸しか余裕がないが、ブルヘッダーで使うものを短めのものを選べば11寸には納められる。
東京形のように 長手=小口×2+目地(3分)原理で煉瓦寸法を設定してうまくゆくためには煉瓦の寸法がよく揃っている必要がある。大小があると一枚壁が凸凹する。おそらくプレス成形や機械成形が普及し、あるいはホフマン窯で効率よく焼けるようなった結果、焼成誤差を小さくすることができたから、その原理で設定できたのだろう。nominal dimensionによる設計は、同じ焼成ロットに7寸7分~7寸2、3分のものが現れるような誤差が大きいほうがうまくいく。よく焼いて三辺等方的に焼き縮んだものを代用できる。三辺から目地分を等しく差し引くような real dimension を狙って焼くのも焼成技術が進んでからではないか。日本はそこまで行っていないのに律儀にそれを狙った。それが 7.3 x 3.55 寸 あるいは大高並形の平面形なのではないか。
鉄道局 9 x 4½ x 2¼ ins. は水平目地を入れない擬モジュール。それに水平目地を入れたら 2-1/2 インチで、これは 2.1 寸によく一致。目地厚3分として逆算すると 1.8 寸 。むしろ1.75寸にして目地 0.25 寸 とすれば目地込み 2 寸 厚となり、設計も施工も容易になる。←ちょっと無理があるか・・・単純に尺寸体系で切りの良い厚さにしたとかんがえたほうがよい。0.25 寸 目地なので3.5 x 1.75 なのだ(0.25 足せば小口は 4-1/2ins. になり厚は 2 寸 になるZ)。 あとこの寸法体系をもう少し焼き縮めると山陽新形としても通用する(8-3/4 x 4-1/4 ins.平面形で 2 inch 厚)。7.3寸ではこういかない。
もともと鉄道局煉瓦の寸法をaim atしていたが故に鉄道局が用いていた並形煉化石の名称を引き継ぐ素地があった。