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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-05-03 この日を編集

[陸幼日記]五月三日 土曜日 雨

正后、取締生徒も終了す。十三時より吉満少佐殿より、衛生講話を受く。十四時四十分まで一時間整頓棚・寝室・自習室の整頓を行い四十分より月例身体検査あり十五時三十分に整頓検査あり。夕食後、腹痛にて困る。自習を為して集会所へ行かず。


1942-05-03 この日を編集

[陸幼日記]五月三日 日曜日 曇時々雨

今日は日曜日にて平常なれば休業なれども、多々水曜日が欠くる故水曜日の授業あり。されど教室掃除なし。午後は十三時半より自習室に於て生徒監殿の話「児玉生徒監殿東京の自由学園視察」其の他あり。十四時二十分より愛校作業「校庭の除草」あり。運動時は鉄棒をなし豆を作る。
本当なれば休日にて今頃は何をか為さん等思いながらも、良く終日を真面目に過す。
近日亦もや眼ばたきの癖出で眠たき心地一層なし困難す。


1943-05-03 この日を編集

[陸幼日記]五月三日 月 晴

作文は父の伝記なりき。午後映画見学にて、十四時出発、十六時より朝日館にて俘虜の生活・シンガポール総攻撃・ニュースを二時間に亘り見学す。此くまで上下の団結がゆき、涙ぐましき行動に感じたり。我の心情としては泣かずにはおれぬ気持にて苦労を克く察したり。其の他我の胸の裡にあり。鼻血出でてのぼせるを思う。延灯はなるべくさけんとす。二十時半消灯なりき。良好なり。


2011-05-03 誰か買ってくだしあ この日を編集

[] 昭和12年青森営林局管内図、昭和12年秋田営林局管内図×2

画像の説明古本市で売られていたので回収しておいた。青森営林署のものは青森、岩手、宮城が一枚に収められている。秋田営林署管内図は秋田県の×1、山形県の×1。計3部ある。どちらも元の図を丈夫な布紙に切り張りしてあって、輪郭線から図葉外にかけてちと千切れてたり2、3書き込みがある以外はそんなに悪くない状態。

サイトでは15000〜20000円で売られてるブツだが、合わせて5000円で入手できたのでこれが回収できればいい。必要な方はnagajisあっとまーくthe-orj.orgまでご一報を。


2013-05-03 この日を編集

[ORJ] 購読期間廃止の処理

ちまちまと更新中。すでに過去号を無条件にダウンロードできるようになっているはず。告知はまだしていない。何か穴があるような気がしてならないのでもいちどチェックする。

購入・非購入の判定はユーザーテーブルを見て判断してもよいのだろうが、ダウンロードしたあとで更新が入った号を表示させるため、ログから読み取る方向で行く。どうせ何千万も何億もrowがあるわけじゃないんだ。

ダウンロード対象を記録していたつもりだったのに上手く行ってなかった…。阿呆也。らくは購入日で比較することになるため、漏れなく更新情報オープンになっている。このへんは我慢していただくしかない。更新情報欄から直接DLできたらいいんだろうけど…errata.datにファイル名を記録してねえ(汗。

数日前に創刊号~2010年頃の号のjavascriptを修正してupしたのだけれども、よく考えたら過去号に正しいff()を入れる必要はなかったのな。新しくリンクを付け加えるのではないのだから。例のフラグが立っていればそれでいいのだ。それよかついでに直したREARTYREのほうが重要な更新だろう。 新ゴが孤立点になって残っていたのに気づかなかったというやつ。ふだん作業で使っているAcrobatでは埋め込まれていないエラーが出てくれないので気づかなかった。

[煉瓦] 拓本

画像の説明採るだけなら簡単なんだが、ムラなくきれいに採るのは難しい。やっぱりちゃんと絹タンポ作ってやらないといけないようだ。その後の処理もいまいちウマくない。きっちり裏打ちして平らにしないとスキャンも上手くいかない。そのうえ網掛けしたらかえってムラが目立ってしまった。よほどきれいに採らないと。

これくらいくっきり採れるような状態のいい刻印なら、まだいじり甲斐がある。小島煉瓦は裏しか採れなかったのでスカスカな梨地になってしまった。2値処理したらさらに汚くなるだろうし、きれいに取れたやつとの差が目立つに違いない。

ネタバレすると、こんなのを沢山作って煉瓦刻印Tシャツを作ろうと思っている。刻印と製造者との対応表を前面にプリント(背中だと自分が見れないからな)、うなじ?にワンポイント。刻印はイラレで作ったのを並べてもいいのだけれども拓本のほうが味があるんじゃなかろうか。そう思って採拓用の煉瓦を拾い回っている昨今であったりする。しかしいくつか課題が解決していない。製造者が確定してない刻印を使うかどうか、とか。実用性を考えると確定したもののだけで揃えたほうがいいだろうが数が限られてくる。この六稜星だって津守煉瓦のだと確定したわけじゃない。

刻印1個でもいいのかな。前面に大きく1個。荒いハーフトーンで。

[煉瓦] 下野煉瓦と五稜星

『集成』から入ったので下野煉瓦の刻印=★と信じて疑っていなかったのだが、採取行を重ねるにつれてそれが疑わしくなってきた。少なからぬ数の★刻印煉瓦が府下に存在している。数個なら何かの荷物に紛れて持ち込まれた可能性もあるだろうが、それにしては数が多い。明治20年代初頭にはすでに多数の煉瓦製造者が操業していて、大阪窯業もホフマン窯で焼いていたらしいから、栃木の煉瓦が大阪の市場に入り込む隙なんてなかったんじゃなかろうか。だいいち鉄道だって通じ切っていなかった。

★刻印はシモレンのホフマン窯から見つかっていて、それでシモレン=★とされている。しかしよく考えてみると自社の窯に自社製造の煉瓦を使うことは稀なんじゃないか。特にシモレンの窯みたいに創業時に築いたやつなんかは。その煉瓦はどの窯で焼いた? 窯製造用に登り窯かダルマ窯でも築いてえっさえっさ焼いた? それよりもよそから煉瓦を買ってきたほうが早いじゃないか。事実シモレンのホフマン窯からはシモレン設立以前に地元にあった煉瓦製造会社・東輝煉瓦の「T」刻印が見つかっているそうだ。

要するに、大阪に★刻印を使っていた会社があって、その煉瓦がシモレンのホフマン窯に使われたんじゃないかという妄想をしている。その会社のアテもないではない。ただし現状では2、3の仮説に立脚する危うい論だ。シモレンとは無関係な大阪の会社がそれと知らずに★刻印を使ってたという可能性のほうが高いだろうし、栃木>大阪はなくて大阪>栃木はあり得る!と主張するのはずいぶん無茶な話だ。いくら大阪が煉瓦製造が盛んだったといってもな。

大阪にある★刻印は拓本を採ってあるから、これとシモレンの★刻印を突き合わせて比べてみたい。そうしたら同違がはっきりするはずだ。誰か手伝ってはくれないだろうか……。


2014-05-03 この日を編集

[独言][煉瓦] うむ

たったいま箆書き煉瓦の解読がFAXされていることに気づいてしまったのだが、ヘッダーがないためどこのどなたが送ってくださったのかわからない。なんというやつだ>nagajis

さらに残念なことに、今はそれどころじゃない佳境の最中にある。正確にはあった。燃え尽きて疲れた。

えっ、もう5月なの?! と今さら思った。なにもかもが速すぎる。全然休みがねえ。年取ると時間の流れがゆっくりになるんじゃなかったのか。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ おこぜ [年のとり方が足りないだけでしょう...30代はすごく速い...40代は更に速い...70過ぎるとやや穏やかになる,と聞く。]


2015-05-03 この日を編集

[ph.] シャガの花

画像の説明

シャガの花。戸平峠の車道旧道の脇で。シャガは五社峠の峠路でなじみになった。きれいな花だと思う。ユキノシタの次に好き。


2016-05-03 この日を編集

[独言][橋梁] 今日の阿振川橋・奇跡を得た

奇跡的な1枚の絵葉書に対面してきた。睨んでいた通りだった。

画像の説明

石だった……。でもなんでこんなところにこんなでかい石が。


2017-05-03 この日を編集

[由良要塞][煉瓦刻印] この伺と工兵会議の判断のお陰で

M24.9.4. 軽砲座胸壁高変更、掩体部に当初設計になかった排気筒を設ける伺→に加えてアーチ下壁を抜き積みにして通気良くする指令 C07050357500

なのだった。そうそう第4砲台には外廊がないのである。それで排気筒つけたほうがいいんじゃね?という伺になり、おkおk、そんかわりアーチ下の煉瓦を抜いて排気口作っときなということになったのだった。外廊のある第三砲台にも排気口はあるが下面がモルタルで塗られている。

第2砲台も第4砲台を真似て外廊の一部を一部省略しようとしたが却下された。

はじめM29.9.4と書いてて「えーまんま堺煉瓦じゃん」とか思った。ばーかばーか>nagajis

[由良要塞] 第三砲台厠、監守衛舎についてのぐだぐだ

第三・第四砲台連絡交通路の右に衛舎、左に厠って、どう考えても現況と合わない。衛舎の周辺には厠跡がなかった筈だし現存厠は第一砲台方面だし。残っていない年代の頃に変更があったんじゃろうかとも思うがどうだろう。第一砲台麓からあがってくる道も連絡交通路でかつ現存厠の向かいに衛舎があったとすれば納得いくが。確かに現存している衛舎は将校用と説明されている。砲台守のなら小さいのでよい。集屯所胸墻中にという言葉もあったりするしな。門柱はC、D点二箇所に設けることになっておる。


2019-05-03 この日を編集

[] “放置“される橋 なぜそのままに?増える老朽インフラ(MBS)

どうも今更感と当て付け感がぬぐえない記事。十津川村で吊り橋の通行止めなんて日常茶飯事だろう。&、車道の猿飼橋(地図マーカー置)は生きているんだから、車所有率の高い十津川村ではそっちのほうが使いでがあるんじゃないか。

(猿飼橋を修復するんだったら高津橋のほうをゲフンゲフン。結局は釣られたマニアでしか無いな>nagajis)

記事の続きでは田辺市の橋が紹介されている。これも一部の住民にとっては近道になる橋。信号が多くていらいらしている「みたい」ってえのはどうかなあと思う。

何であれ、また何処の住人であれ、いったん便利になったらその便利を手放すことができないのが人の性。不便を忍んでっていうことが普通にできるようになったら老朽インフラ問題は解決する。市井の人間の意識が変わらない限り無理な話。

[煉瓦刻印] MASUDA RENGAを捕捉

画像の説明

社章?がくっきりはっきりしているのは初めてだ。タルイの鼓形を真ん中で切断した感じ・・・というよりタルイ社章を無理矢理埋めてでっち上げたようにしか見えぬ。205×100×54mm(だったっけ・・・ついさっきまでしっかり覚えてたつもりなんだが書いたらすごく怪しくなった)。


2023-05-03 この日を編集

[煉瓦刻印]うーむ

画像の説明

同じ採刻印でも押し方によって結構歪むことを発見。朱肉の載せ方、押し方によってこれくらいは変わり得ることは知っといたほうがいい。青のほうはちょっと傾いて押した上でぐりぐりしてしまった。もともと印自体が摩耗しているので、例えば伸ばし棒の下のほうだとか、濁点の端だとかは印の中央付近よりも「浮いて」しまう。それを転がすようにして押してしまうとちょっと変わってくる。押し方を統一するよりも比較の時にそれぞれで揃えるしかなさそうだ。


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