nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
もしやと思って回収しておいたこの物体.
掃除したことで,内側に斜めの突起があることを発見した.
http://inside.mines.edu/UserFiles/Image/library/Glass_Slides/img0051.jpg
すなわちこういうこと.産業考古学者?の面目躍起というやつだ.
そろそろ成果を出しとかないと,ということで調査票を書いている.けれども思ったほど進まない.特に前回の旅で見つけてきた旧橋の扱いに困っている.竣工年が不明なのでどうにかして調べたいのだが,そういうデータは市町村の道路課にある道路台帳なり橋梁台帳なりを調べたら一発でわかるはずなのだけれども,それを尋ねるためには事務局を経由せねばならず,そうなると竣工年抜きで書いて提出したほうが効率よさげなんだが,もし戦前のでなかった場合は無駄足になるし,そもそも市町村の橋梁台帳を洗いざらい出してもらえたらいろいろ捗るわけで,そっちを先にしてもらったらいいんじゃね?と思ってみたりすると,何のために調査票を書くのかよくわからんちんになってしまうのだった.
無駄足を厭っていたら何も進まないのだろうと思う.中途半端であっても調査票を書いて渡しておけば,それを元に市町村で追加調査してもらうこともできるだろう.資料調査が0.5次ならnagajisの実地調査は0.8次くらいに考えたほうがよいのかも知れない.そういうイレギュラーが好まれるとは思えないが.
むしろ調査の結果見つかった怪しいものを市町村宛資料に載せておく位でいいのか.そこに調査票もつけたら…ややこしいことになるかな.元の木阿弥だ.しかし一応調査員なんだから何か仕事しとかんといかんような気もする.
という具合にいつも通りのぐだぐだ進行中.
下田橋とか立川渡橋(多分)とか大滝橋とか多分戦前のだろうと思う.場合によっては大正まで遡るかも知れない.幅員5.4mは18尺,天辻隧道の全幅員に等しく,路線全体がそう作られたのではないか.とはいえ天辻隧道は旧道路法公布後に着工したのだから規格に沿う必要があったけれども,路線改修は明治末から始まっているのだから,シモはそれ以前に完成してたと考えるほうが妥当かも知れない.下田橋は大正初年には出来ていたというが,となるとますます合わないな.RCゲルバー桁は大正11年佐賀県の永井寺橋が最初とか(『日本道路史』p.974).
端駆橋(御所市・昭和3).
百寿橋(大和郡山市・昭和11).
長尾橋(山添村・大正15頃).
月ヶ瀬橋(山添村・昭和6).
高橋(吉野町・昭和5).
天ヶ瀬橋(上北山村・昭和12).
前鬼橋(下北山村・昭和8).
吉野山の大橋や東吉野村のあの橋も? それでも「S14時点で21」には遠く及ばない.
東熊野街道の橋をもう一度おさらいする必要があるな・・・
五月橋 国道165号 山添村遅瀬 3径間単純鋼トラス橋 1928
磐余大橋 国道165号 桜井市磐余 3径間単純RCT桁橋 1937
新佐野渡橋 国道165号 桜井市慈恩寺 3径間ゲルバーRCT桁橋 1938
吾橋 月瀬針線 奈良市邑地 3径間連続RCT桁橋 1927
無名橋 月瀬針線 奈良市邑地 単純RC溝橋(14.90m) 不明
松塚橋 大和高田桜井線 大和高田市土庫 3径間連続RC中実床版橋 1931
兜橋 名張曽爾線 曽爾村今井 2径間連続RCT桁橋 1935
法蓮橋 谷田奈良線 奈良市法連南一丁目東町 3径間連続RC床版橋 1931
西黒橋 赤滝五條線 下市町西山 2径間連続RCT桁橋 1932
関渕橋 赤滝五條線 下市町西山 2径間単純RCT桁橋 1932
蟻通橋 大又小川線 東吉野村小 3径間連続RCT桁橋 1929
北又谷橋 龍神十津川線 十津川村上湯川 単純RCT桁橋(15m) 1927
遅瀬橋 山添桔梗が丘線 山添村遅瀬 単純鋼鈑桁橋(41.80m) 不明
曽爾村にはT12頃に鉄筋混凝土橋を建設中(『復命書』).