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2008-02-23 今号・次号ネタ [長年日記]

[ORJ] 22号旧橋補遺

画像の説明もう一つの明治橋梁・新淀川橋梁の写真を撮ってきた。写真左が最初に開通した宝塚線。右が神戸線。言われなければ明治桁かどうかも気にかけないだろう橋である。

画像の説明

たしかに低水位部のPG桁は古い桁の特徴を持っている。桁の末端にも補剛鋼がある「箱型PG」(いま勝手に命名)だ。銘版があったはずの場所に後付けで補剛鋼が取り付けられてあり、これは支承部分の剛性をあげるためのもののようで、このために銘版が外されたようだ。以前は段違いになっているとろこが橋脚に引っ掛かる格好だったのだろう(か。にしては橋脚薄過ぎるかな)。

北詰の一連にかろうじて銘版が残されていた。金網で囲まれていて接近できないが、望遠を駆使することで何とか写真に納めることができた。汽車製造合資KWAISHA製、明治四十二年の銘などが読み取れる。宝塚線で唯一の明治銘版、撤去せずに残してほしいものだ。
画像の説明

[ORJ] 安治川河底隧道

画像の説明大阪市内にある面白い隧道。航行量の多い川を渡るために川底にトンネルを通し、深さ20m近くにあるそのトンネルへエレベーターで降りて行く。日本最初の沈埋管工法による隧道(でもあり橋でもある)というのも面白いし、エレベーター式の交通システムも本邦初なんじゃないか。竣工は終戦直前の昭和19年。昭和52年に廃止され、いまは人道部分だけが利用されている。写真は昇降機の格納塔兼係員詰所の建物。ちょっと構造主義チックな無骨さがあって、こういうのnagajisは大好きだ。

よく知られた隧道だがいつかはORJで取り上げたいと思って資料を集めてきた。廃止された中身がどうなっているかとか、隧道両詰めにある建物の中身がどうなっているのかとか、そこまで突っ込んでみたかった。特に隧道車道部。「大阪府の近代化遺産調査報告書」には内部のようすが写真つきで紹介されている。本文を読む限りでは中に入って撮影したものらしいから、お願いしたら見せてもらえるんじゃないかと淡い期待を抱いていた。

ということで、思い切って大阪市建設局に掛け合ってみた。見事に玉砕した。

が、かわりに竣工直後の内部の写真を見せてもらえることに。次号でお届けできればと思う。

問題はどうやってWTCへ行くかだな・・・。大阪北部から自転車で行こうとすると、住之江区の辺りまで遠回りしなきゃいけない。泣きながらニュートラムに乗るか。

[ORJ] 続

上記は22日の出来事。なにも新淀川と安治川を見に行くのが目的だったわけではない。大阪市立図書館に資料ゲッツに行くつもりだった。

「思い立ったが吉日」という言葉があるけれど、ことnagajisの資料欲に関して言えば当てはまらないことが多い。22日は金曜日、市立図書館の休館日だ。へいこら走って辿り着いて思い出した。

図書館の休館日に図書館に行ってしまうことが何故か多い。あらかじめ調べておけばいいのだが、しかも行く前に本があるかどうかを図書館サイトで調べているにも関わらず、休館日に行ってしまうことが多い。間抜けというか馬鹿というか。

大阪府立図書館では2回やったことがある。月曜日を外して行ったら月末の管内整理日だったこともある。飯台の図書館なんかもそのテの門前払いが何度かあった。和歌山の県立図書館でもやったっけ。やる気まんまんで向かった時程そんなポカミスがあって、かなり悄気る。

で、月曜迄に資料を揃えておかなければならない必要性から、2日連続で府立図書館へ向かった。自宅から府立図書館へはそこそこ距離があるが、幹線道でほぼ直通だということに最近気づいた。十三から阿波座方面に出て、阿波座1と阿波座駅前の交差点を折れればもう図書館だ。いわば市立図書館エクスプレス。1時間半かかるけどな。

大阪市立中央図書館はなかなか快適なところ。コピーは1枚10円だし、雑誌関係の資料は揃ってるし、古い地形図もある。府立図書館にない資料も多い。例えば前々号の竹筋コンクリートとか、安治川河底隧道に関するガリ鈑刷りの小冊子とか。土木学会誌も工事画報復刻版もある。

今回入手資料。
安治川資料1。安治川河底隧道資料×4。源兵衛渡資料1。丹州街道資料1。浜中津橋資料2。岡部三朗氏資料1。堀威夫氏の資料が見当たらず。内務省史のどこかだと思ったのだが・・・日本土木史だったか?

こういう資料探しに豊富に時間をかけられるようになったのも読者のみなさんのおかげだ。感謝しなければ。


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