nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
明日は早いのに眠れぬ。困った。精密作業をぶっ続けでやったせいで脳の反応がおかしくなっている。あれあれ、テトリスをやり過ぎた晩に寝ようとして目をつぶったら瞼の裏に┴とか|とか」とかが落ちてきて眠れなくなってしまった中二の春と同じような状況。あるいはMSX版初代グラディウスで一日中弾幕除けをしていた日の晩の瞼の裏。わらわらわらと飛んで来る敵の玉を数ドットで避け続けるビックバイパーの悪夢。
仕方がないので駄文を書いて疲れることにする。
この時期になるといつも思い出すことがある。あれは確かOBになった翌年の春だった。OBなのに合宿に参加する気になって、現役生の班に混ぜてもらった、その春合宿での一コマだ。正確に言えば春合宿が始まる直前の、わずか数時間の間の出来事なのだけれど。
うちの部は人数だけはやたらと多く、班単位で合宿が行なわれていた。3泊4日の日程と集合地だけが共通で、コースや出発地は班独自のものを設定するというスタイルだ。集合地(=合宿で走るエリア)は年によってローテーションする。この年は四国だった。
自分が混ぜてもらうことになっていた班は高知県の東津野村の総合運動公園を一日目の出発地点としていた。班員の多くは高速フェリーで高知に渡り、その辺りから走って行くという。分水嶺の峠に行きたかった自分は、愛媛行きのフェリーに乗り、松山で降りて、上林峠だとか今生坂峠とかほうじが峠だとか誰も見向きもしないマイナーな峠を巡って、集合日の前日夕方にそこへ着いた。公園の片隅にある東屋にテントを張って寝た。
大学サイクリング部仕込みの自転車旅行をしていると、公園で寝泊まりするのがちっとも苦にならなくなる。水がありトイレがあり屋根がある公園がホテル並みの贅沢だとさえ思えてくる。特にここのように、山奥にあってほとんど人が来ることもない公園は最高だ。誰に気兼ねすることもなく居座ることができる。この日も深く考えずに公園の片隅にあった東屋を占拠した。風が強く粉雪が舞う寒い晩だったことは、これを書くために当時の日記を読み返して思い出した。
翌日。夕方に合流することになっていたので、それまで荷物の片づけなどしながら時間を過ごそうと思っていた。荷物の虫干し兼点呼のつもりで荷物をぶちまけたりなどしている時に、小さな子供がやってきた。
「ひみつきち、とられた〜」。笑いながら男の子が言う。後ろに同じ位の年と思える女の子。どうやら自分が泊った東屋は彼らのものだったらしい。
こういう時、都会だと変に誤解されたりからかわれたりして非常にバツが悪い。しかし彼らはそんなそぶりを見せることもなく、ぶちまけた自分の荷物を興味深く突ついたりしている。「おう、ご免な、ちょっと泊らせてもらったわ」。そんな言葉が自然と出た。Such a first contact.
それから彼らと仲良しになった。男の子の名はえんしょうといった。来年小学生になる、と誇らしげに教えてくれた。女の子はみよちゃん。春とみよちゃん、という組み合わせではっきり覚えている。えんしょうとは同い年だった。
ぶちまけている荷物をいちいち聞いてくる。これなーに。ご飯炊くの。重くない? 重いさ。炊いて炊いて。まだ昼前やがな。そんなやりとり。お決まりの「どこから来たん?」という話にもなったが、えんしょうの知識レベルに合わせるのに苦労した。
n:「おととい愛媛に着いてな、そっから山の中を通って・・・」
え:「えひめって、どこ?」
n:「ほら、四国の北西、いや、ひだりうえのほうの・・・」
え:「わからんー。あの山の向こう?」(と当別峠のほうを指す)
n:「ちゃうちゃう。あっちは高知や」
え:「○ちゃんちはあの山の向こうなんよ」
n:「○ちゃんて誰やねん」
とりあえず数日山の中をほっつき歩いてきたことだけは納得させることができた。
そんなことまで妙に覚えているのも、自分(nagajis)を彼らと同じレベルのものとして扱ってくれる感覚が新鮮だったからだ。人なつっこいんではなく、人を怖がらないというか、疑わないというか。試しに「おれ2、3日風呂に入ってないから匂うやろ」と振ってみたのだが、えんしょう曰く「大工さんの匂いがする」と。優しいじゃないか、えんしょう。
そのうちもう2人やってきた。都合4人。相手をしながら何かをすることが困難になって、とうとう4人と遊ぶことになってしまった。自転車に乗せてとせがむので、後ろにひとり、前にひとり乗せて。公園のそばにある建物を何周もさせられたっけ。
お昼のサイレンが鳴り、「おひるごはん食べてからまたくるね〜」と言って別れたえんしょうとみよちゃんともう2人。1時を過ぎても、2時を過ぎてもやっては来なかった。一人旅ばかりしていて淋しさには慣れているつもりだったが、本当に淋しいということはこういうことを言うのだろうと、初めて判った。班員と合流するのがその日の夕方でなければ旅を切り上げて帰っていたかも知れない。
えんしょうとみよちゃん。あれからどうしているだろう、と振り返ると、恐ろしくも嫌なことに、もう10年も経っていやがるのだ。二人ともおれと同じ位の背丈になって、四国の形も愛媛の位置もそらで言えるようになっているのだろう。それどころか世界の大きさまで把握していたり、おれがまだ踏んだこともない異国の地を歩いていたりするのに違いない。
あの頃から微塵も進歩していない自分。昔の日記を読み返したり、自分の越えた峠の数を数えてみたりしなくなったのも、進歩のなさに気づくのが恐いからなのかも知れない。いや、「かも知れない」なんて逃げないで大人しく認めたらどうだ>nagajis。ORJやってみたりアレコレに首を突っ込んだりするのも、何かをしなければ置いて行かれるという焦りがあるからに違いなく、自分自身はふだんちっとも意識していないつもりでも、気づいた時の心の揺らぎがそれを証明している。
人より優れた存在でありたいとは思っていなくても人に遅れることには敏感なnagajis。自分の出来ることの限界を拡げるんだと息巻きながら、そのdivが誰もいない方向を向いているのは甚だ卑怯な話ではないか。存在理由を考えなければそこに居られないような存在はハナから必要ない。折り箸と同じで。それならばまだ、黙って在り続けるほうがましだろう。
取り留めもなく書いているうち、話がひどく内向的になってきた。そろそろ寝るか。
昔とてもおにいさんのように見えた高校球児。今でもそんな意識が残っていますが、息子でもおかしくない年齢と気付いて愕然...。
MSX 版初代グラディウスって確かカートリッジに音源チップ内蔵で感動的な音がしたヤツでしたっけ?