nagajisの日不定記。
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OFF報告も少しかかりますm(_ _°)m。お待ちを・・・
webの情報を鵜呑みにしてはいけないと言われる。そう思う。かといって原本にあたればいいという訳でもない。例えば町史郡史でも間違いや省略や誘導がある。その情報の出典、例えば江戸時代やそれ以前の古文書も真に事実かと言われれば、そうでないかも知れないとしか言いようがない。そもそもそれを確認する読解力がなく、隠れた/永遠に失われた情報ももちろんあるわけで、どこか目につく不確実な情報に依らざるを得ない。当事者の発言だって間違う(とくにnagajis!)。
そうすると、自分がいま立脚しているものごとは、どこまで信用すればいいのだろう? 教科書に書いてあるから間違いではない、ということは一切ないわけで。
多数のソースをクロスチェックすれば誤りは軽減される。しかしゼロにはなり得ない。直角三角形の三辺の関係がa2+b2=c2であって(ユークリッド平面上では)絶対にそれが成り立つということが断言できる、のとは違う不安定さ。そのへんに科学信仰みたようなものが発生する余地があるのだろうと思う。
それに、誰もが情報発信元になれる昨今、氾濫する情報のなかでそのクロスチェックも容易ではない。おおまかな傾向は掴めるだろうが真実で統一されることはなさげだ。
叡智をもってバベルの塔を築こうとした人間どもは、神の怒りを買って言語をバラバラにされ、意思疎通ができなくなった。IT社会というバベルの塔も何かの崩壊の予兆を宿してるような気がしてならない。一般のヒトの思考力(とくに一般以下のnagajisの思考力)はたぶんI世界の進行速度について行けない。
自分のやりたいことは何だろう。創作、であれば悩む必要はない。事実の追求であるにしては中途半端。変に自分の感想を盛り込もうとするからおかしくなるのかも知れない。あの浩瀚な大漢和辞典に一切の私事を挟まなかったという諸橋轍次のようにはなれないのす。
大漢和辞典にCG入ってないのは時代的なものではないかと