nagajisの日不定記。
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廃道に拘る理由を「何故廃」に書いていた。基本この企画は自分の思考を整理するためのまとめ書きだが、同時に「話の前提」のような意味合いもあった。私個人の話ではなく廃道の話をする時の前提だ。廃道に何があるから面白いのか。何を感じるから面白いのか。その面白いの中身は何か。だから廃道の話を書くのです、という意思表示・例示だった。
おハナシとして読めるよう、個人的な体験を芯にして書いたが、それがいけなかったと思う。すでに廃道に興味を持っていて、前々から読んでいたような人にとっては冗長だし、廃道に即物的な興味しか持たない人にはまったくもって要らない記事だ。そうなるだろうことはうすうす覚悟していたけれど(以下数十文字削除)。そういう人は第一部だけ読んでいればいい。
人に自分の趣味を紹介する時、今でも多少のためらいがある。「趣味は廃道探索です」と言い放って一片のモヤモヤも残らないわけではない。Дの入ったAAつきで問い返されることを恥じるからではなく、ただの数奇者と思われて(あるいは変に理解されて)自分の願う形での理解が得られないのではないかという心配があるからだ。私は道を通して過去の日本を知りたい。この世の仕組み、歴史の理解の一助として、今目の前にないことを理解するための手段として廃道を歩きたい。そこで見聞きし、調べたことを書き留めて、歴史という泰山に一個の小石を積み上げてなお高くしたい。仮令それが微々たる一個であるとしてもだ。
ORJは、「廃道」という字面言葉面から連想されるものを変えたいという挑戦でもあった。シニフィアン・シニフィエの関係は変えることができないだろうが、廃道から真っ先に連想されるものを変えたい。叶わなくても第二項ぐらいには意味が載っていてほしい。その場の喉の渇きを癒す程度なら他にいくらでも趣味はある。
珍しくぴしっと決まった。これが限界か。しかしISO400なので塗り絵が激しい。
ヒラヌマ サイクル でない所が惜しい!!