nagajisの日不定記。
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本棚の整理をしていたら買ってそのままになっていたのを発見.少しずつ読み進めている.文庫本だがガチ経済の話.最初はとっつきにくいが戦後からの各論にかかる頃から「なるほどなー」が増えて印象深くなる.戦後間もなくの日本はスイスのような文化国を目指していたとか(日本国憲法第九条につながる話),敗戦後に高炉がさらに減って八幡の3基だけになったとか.戦後史観は自分に身についてない分野だから,これで補えたらいいな.
廃道がらみで歴史の微細構造を見てばかりいると大局が掴めない.歴史の教科書では大筋過ぎて身近に感じられない.間を埋めるのは自分でしなければならない.大変っちゃあ大変.まあ,いまの日本ではそういうのを知る必要もないのかも知れないけれど.
売れているかどうかはさておき(実際のところいま段階ではわからない),出来たものに対する認識?評価?については2人とも同じ方向性であったことを確認し安心した.読まれた方の評価も(ピー)ということで何よりである.自分は怖くて見に行けない.書いて垂れ流し・投げっぱなしが良くないことはわかっている.だからこそ自分で各所に送りつけておるのだ.
献本先を一つ漏らしていた.今年中に送っておかなければ.そういえばクロネコメールで厚2cmまで送れるのだったな.そっちを使ったほうがよかった...あと,追加で数部いただくことができたのでどこかへ送りつけたいと思う.どこがいいだろう?おすすめの場所があったらお教えいただきたい.てか個人購入の分も捌かないと.+1
珍しくいまの時期に大掃除が済んでいる.本棚も少し整理ができた.
もう読むこともないだろう本(Vine Linuxの入門書だとかネタで購入した良悪パソの本とかHTMLのタグ辞典旧とか)を片付けたほうがよいような気がする.数年前から本棚の肥やしになってるやつなんかはヤニまみれなので捨てるしかないだろうが.蔵書の大半は古本で購入したやつで,そういうのは捨てるに忍びないが,新しく購入したものでもう読むこともないだろうものはさっさと捨てるに如かずだろう.いつも思う.自分は書籍のターミネーターである.
紙資料の片付けも徹底したいような.どのクリアファイルに何入れてあるのかわからんくなりつつある.エリア分けもちょっといまいち.背表紙に何も書いてないのがいけない.毎回毎回『林道のあゆみ』を手にして違うと舌打ちするのはさすがに愚だ.
あと,抜き出して断片になってしまった資料のナイナイ.あとで自分が困ることは屁を見るよりも明らかである.日本近代の架空索道とか.ページ抜けると府立中央まで行かなければならなくなる.その面倒くささから逃避するために特許タグをやってたりするのだがまあ無駄な話だ.時間はもっと有益に使え.
純粋に「この情報を広めたい」と思う時の宣伝の難しさ.自分が感じたことを書いても共感を得られないことを知っていながら広めなければならないという難しさ.いろいろ考える割にちっとも答えがわからない.どっかで新次元な何かをせにゃならんのだろうがそれが何なのかわからないから困る.いろいろやってみるしかあるまい.まず最初は恥をかくことを厭わない辺りから始めなさい>nagajis.嫌われることから取りかかりなさい.手を拱いてたら何も進まぬよ.
九州・山口の近代化遺産は景観法に基づく指定から始めようかという話に落ち着いた云々という話を読んだ気がする.世界遺産も文化財指定も若干お役所仕事的なところがあって,その指定以前に何かの文化財指定(例えば世界遺産なら国の重要文化財とか登録文化財とか,国文化財指定なら県とか市町村の文化財指定とか)がないとならないみたいな風潮がある.それがその物件のもつ価値を端的に&普遍的に示す指標として有効だから仕方ないといえば仕方ない.人の能力を測るのに「資格」が幅を利かせてるのと同じ.
だけどもなあ,とは思う.能力があればどんな資格でも得られるが(得られる権利がある.実務経験とか要資格とかあるだろうが),物件はステップバイステップでしか許されない.ということは個人が「いいものだ(遠い目)」しただけではいいものにならず,自治体や政府のお墨付きがない限りそこで終わってしまうということになる.公的にお墨付きを貰わないと両者ともただの馬の骨で終わってしまう.
何度も引き合いに出すが,産業考古学会の推薦産業遺産制度はその点に注目した面白い試みといえる.あえて未指定のものに限って推薦し,人々の注意を喚起するという.権威の笠を着る行ないといえなくもないが権威の使い方としては間違っちゃおらんよな.近代土木遺産制度,近世以前土木遺産制度も同じようなところがある.破壊され失われやすい土木構造物を守るための箔付けだ.
逆説的だが,人が「○○遺産」という箔に左右されず,自分がいいと思うものをいいと信じ,誇ったり宣伝したりして省ることがないような世の中になれば万事うまくいくんじゃないか.他人の「いいもの」を素直に自分の「いいもの」とできるような風潮になれば.廃道は好きだが廃墟には距離を置きたいなどと面倒くさいことを云うnagajisのようなやつが減れば.世の中は徐々にそのようになっていってて,nagajisは要らない子確定なのだから,そこは心配しなくともいい.時を待て.その間自分がどう食い繋いでいくかはまた別問題.
世の中に迎合する練習をたまにはしておくべきだろう思い、独りケーキを買ってきて食べている。お世話になった方々に感謝しつつ。ケーキである必要はなかったかも知れない。
クリスマス(イブ)は彼女と過ごさなければならないという風潮で,そうでない人を憐れむような放送をラジオがやっている.どうだっていいじゃないか.その通念は通念として伝え残す必要があるもののように思われない.
自分がそうありたいと願うことを,さも常識のように述べ立てて誤誘導するような振る舞いは差し控えなければならぬ.自分の理想我を人に押し付けるなと.それって廃道を喧伝するのと同じじゃね? と思われたらnagajisの負け.廃道が流行になったところでnagajisの価値が上がったりはしないのだ.廃道探索が流行って過去が見直されるようになればいいのであって,nagajisの名を売るために廃道を喧伝するようなことがあってはならんのだよ.と思った.ケーキの効果が全然ない.
新調した。レンズは8年ぶりである。クリアな視界がこのうえなく有難く、今度は傷だらけにしないよう気をつけながら使おうと思っている。机の上に適当に放っておくとレンズを下にして転げてしまうので注意すること>nagajis。
メガネの仕上げに時間がかかるということだったので、時間潰しにふと思い立ち、部室へ行ってみることにした。ついでに偉人伝献本してこようという魂胆。その途次、待兼山の住宅街にロータリーがあることを発見した。そういえばそうだったな、ここにはロータリーがあった。記憶が擦り切れるほど何度も通った場所なのだが、ロータリーだということにこれっぽちも関心を持っていなかった。
ちゃんと標識もある。
村田鶴との脈絡がこんな近くにもあったとは。とはいえこんなものまで脈絡のうちに入れていいのか>jis? そのうち村田姓の表札まで撮り始めるかも知れない。
で,行った部室にはクリコンの日であるにもかかわらず誰もいない.そのうえOBお断り的な張り紙がしてあって門前払いの格好.ううむ.
まるでアリバイ工作のごとくに大量の書き込みを投下する.[特許]カテゴリをやめて[戦前特許]に変えた.最初のやつも和暦表記を一発クリックで済むように修正.
人≠ひと≠hito
それは何かの謎掛けですか?
そのツッコミを見て以降、人々のHitBitが頭から離れない