nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
ついに新カテ設立に至る。気づいたこと2、3のメモ。
その1。「道路元標一件」の希望地点図によれば 政始村の道路元標は字才ヶ辻の春日神社前に設置予定になっていた。郡も村も第三工区もそれで納得している。にも関わらず告示は別の場所だ。「尋ねて」の調査ではその場所にあったような証言が得られたらしいけれども。くそう。気になる。政始村のが出てくれば宇陀郡は全残存になるんだよ。この間通った時に見とけばよかった。もし出てきたとしたら間違いなく内務省令型と予言しとく。
その2。寺川橋梁。たぶん昭和4年以前竣工。大軌三十年史にも62tの電車荷重で径間三十二米余の下路鋼構桁架けたってあるし。戦前の鉄道のポニートラスで複線幅って珍しくね?(小声)
その3。大和鉄道(田原本線)の寺川橋梁跡の裏っちょに残る橋梁。これも大和鉄道だったはずのやつ。大正12年で鉄道用のC床板桁って珍しくね?(侘助)
しかし1970年代撮影の航空写真にあれだけ鮮明に写ってるのはおかしいな。一時期道路として使われてたんかも知らん。まるでプラットフォームの如くな擁壁もあるし。(寺川橋梁が流された時の仮停留所?)
15日まで引っ張るから後ろに詰まってチェックも大変になるんだってことを今さらのように気づいた。次回から月末〆にして早めに上げるようにしよう。 誰も期待してない企画なんだし、月報言うんだったら月末〆でいいだろ一般常識的には。学習能力なさすぎ>nagajis。そうしてもう一週間を切っているのだぞ。
質問ですが鉄道の橋梁の耐用年数ってどれくらいなんでしょうか?<br>うちの近くの橋梁はなぜか昭和40年代のものが大多数を占めます
私もよく理解しているわけではないですが、税制度上で定められている耐用年数(減価償却年数)は<br>・鉄筋コンクリート造 50年<br>・鉄骨造 45年<br>・その他 15年<br>と決まっているそうな。故に約50年経過すれば工費を回収したことになり、架け換え時ということになります。<br>ただし、ここでいう耐用年数は物理的な寿命そのものではありません。50年を過ぎても安全に使えるのであれば使い続けられてます。法律が定められた時「橋はフツーこれくらい持つよね」と考えられていて、その期間で減価償却すりゃいいやとされていたということです。<br><br>そういえば、私の橋梁の先生(公団で設計をしておられた)は、橋の物理的な寿命についてこんな説明をしてくれました。鉄道橋は機関車を通すためにかなり頑丈に作っていて、機関車の大型化に伴って耐荷重はどんどん大きくなっていったけれども、電車が登場したことで車両は軽くなり、今は逆に耐荷重に余裕が生じている。だから鉄道の橋は百年以上前の橋が使われ続けている。一方道路橋はいつの時代もカツカツで、重量制限を大幅に超過したトラックが通ったりもする。また数も多いので、補修や点検が行き届かず、痛むものが多いのだと。というわけで、鉄道の場合は物理的な寿命が来たからというよりも、車両の大型化や路線の複線化に伴って架け換えられることが多いようです。