nagajisの日不定記。
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奈良公園も近代化遺産なのではないか。公園そのものがそうなのではないか。いや近代化遺産にすべきではないか。そんな持論を勝手にでっちあげ「奈良公園史」を取り寄せて勉強している。
県からもらった近代化遺産分類表には含まれていないし、公園そのものを建造物と言い張るのには無理があることは承知しているが、しかし奈良県は昔も今も観光で成り立ってきた県であり、その屋台骨を支えていたのが奈良公園だった。奈良に行って奈良公園へ行かなかった人はいないだろうし、鹿を思い浮かべない人もなかろう。その鹿だって明治時代に保護政策が取られたお陰で公園内を闊歩するようになった。いわば近代の産物なのだ。近代奈良の象徴なのだ。観光立県の来し方を語る上でも、公園制度の近代化を考える上でも奈良公園は外せないのではないか。そんなことを考え、なんとかしてねじ込む方策はないか策を練っている。信念ありきで物件を探そうというのはいささか本末転倒な気もしないでもないが、ともかくそんな理由で図書館通いの日々である(よその図書館から取り寄せたものなので持ち帰れない)。
公園が設定されたのは明治13年。境界設定だとか拡張だとか山林整備だとかは近代の事業。公園を維持管理するための費用は春日奥山の森林経営によった。そういうところは林業と不可分な事業である。森林は無理だとしても、その伐採のための林道や、林道を基に開設された春日奥山周遊道路(明治33年開削・昭和7年車道化)などは対象にしてもよからんや。後者などは大軌が観光バスを走らせた観光道路だ。観光自動車道としては比較的最初期のものではないか。開設にまつわるひと悶着も、保全と開発の狭間で揺れた奈良公園を象徴するエピソードといえる。
モノに限定せよというのであれば、公園施設として作られた亭屋がいくつか残っている。例えば八方亭。いまは江戸三の所有物になっているが、もとは明治35年に浅茅が原に建設された亭屋だった。鷺池の浮御堂も大正5年の建設という(が平成6年に全面改築されているらしい。しかし鷺池自体が明治41年の築造だ。公園に水辺景観を加える意味合いが込められていたこともわかっている)。月日亭とかもそうらしいが改修度合いまではわからぬ。県物産陳列所はあの通りだから放っておいてよい。
鹿の角切りが見られる「鹿苑」は昭和4年に建設された鉄筋コンクリート柵が今でも使われているはずだし、それ以前に鹿園があった場所には日本最初の万葉植物園が作られている。大仏殿の南東には春日野運動公園があって近畿屈指の近代的設備を備えていた。今はもうないけれど。
国宝制度は奈良県議会の建議によって始まったものだし、保存法にさきがけて名勝・天然記念物の保護を始めたのも奈良県。文化財保護に関してはそういう先進性を常に発揮してきた。古物の保存はいわゆる近代化とは逆行する観念かも知らぬが、そのお陰で今日の私たちが安全に・隅々まで・心行くまで鑑賞できる環境が整ったわけで、それはそれで歓迎すべき近代化の一側面なのではないだろうか。そういう先進性を近代化遺産にも発露してはもらえまいか。とかく奈良県に全国一律の近代化観念をあてはめるべきではない気がしている。
まあ、そんなこと考えたところで実行しなきゃあただの妄想で終わるんよ。そうしてそういう権限も持たない一調査員である。
そういや近代化遺産分類表には「在来工法補強」があるな。東大寺大仏殿の明治の改修なんてモロ該当するんじゃね。
基本に立ち帰って写真による紹介をメインに。つつがなく終了。ってきた気分になってもらえたらいいなあと思う。旧橋企画は小難しくなってはいけない。
駅前の阪急そばが卵入りうどんを「スタミナうどん」と称して売っているのに倣ってスタミナラーメンを作り食う。今日もそれっきりである。食べるものがあるだけで幸せである。
試案だけ作ってそのままになっている。要らんこと二部構成バージョンで作ったからな。すぐには反映できない。
主に左カラムの整理。最新号の強調。webコンテンツは下げた。左カラムにグレー帯を入れたのは最初のに戻った気がする。記事pickupも。
最近食べ物ネタ多いですね(笑)
そりゃ、飢えてますから。