nagajisの日不定記。
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なんか調子が悪いと思ったら日曜日にメンテか・・・。そんな大事なことはTうぃってrで呟いて終いじゃなく、トップページに掲げて欲しい。
誰もかも、何でもかでもTwitterで済まそうとする精神はいまだに理解できない。
近デジがタコスになったお陰で入力済みデータの整理が捗った。大阪府統計書に工場一覧を発見し、6大会社が成立する直前の明治20年代~30年代に光をあてることができそうな塩梅。それによって2、3の刻印の出元も明らかにできそうな塩梅。ただし初年代~10年代は相変わらず闇のままだ。
大変なのはここから先なのだろう。会社<>刻印の対比が可能な資料はあらかた掘り尽くした感がある。これ以上やるなら工場跡地へ行って煉瓦を見つけてくるしかないのではないか。んでそれは大変な手間であり確実とも言い難い。
若井があるくらいなら、旭商社、大阪煉瓦、共立煉瓦のもどこかで見ている可能性がある。それとわかっていないだけで。○刻印とか英字の符丁なんかは実はそのどれかであったかも知れぬ(大多数の無刻印の煉瓦がそうであったかも知れぬ)。
近デジがタコスでなくなったら、兵庫、京都、和歌山のを確認したい。
主張に忠実に奈良公園を歩いた。視点を違えるとそれだけで様々な発見があることを再認識。春日山遊歩道に架かる小さなこの橋がコンクリート実床板橋で、月日亭の下方に架かる同規模の橋が石桁橋であること、およびその相違の裏に秘められている理由。春日山周遊道路じたいの意味。今は通行止めの林道蝙蝠窟線。大仏殿参道前の吉城川に架かる橋、水谷川橋、春日大社万葉植物園の石柵、鹿苑。どれもみな忘れられた近代であり、奈良公園の看板役者を裏で支えた苦労人たちである。誰かに気づいてほしい。誰かに伝えたい。そう思って歩いたけれども、シンポジウムに参加してすっかりその気が失せた。
自分が考えている近代化遺産と世間一般の認識とはずいぶんずれているらしい。他人が求めているような見映えのするもの・他所に自慢できるもの・利用する価値のあるものは、自分の目に留まらない。分類するなら自分は原理主義的なのだと思う。どんな近代を経て今日があるのか知りたがっているのは自分だけであって、人々は今あるものさえ利用できればそれでいいのだ。過程などどうでもよくて、残ったモノさえ使えればそれでいいのだ。それを覆そうとして独り奮闘したところで何もできやしないのだし誰も望んではいない。誰も月報を読まないことが既にそれを証明しているじゃないか。それでも頑張ってみたが、無駄なものは無駄。だって人は空ばかり見ているのだから。それが「社会の総意」なのだから。