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2013-07-03 [長年日記]

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まずはこういうのから始めたほうがいいのではないか.

[煉瓦工場] 弘栄煉瓦工場(印南郡阿弥陀村魚橋)

画像の説明

地図】『工場通覧』の番地が変わってなければこの辺なのだが...と思いつつやってきた.現地には駐車場に使われている広い空き地と取り残された格好の医院.その南方には新興住宅地が広がっている.

舗装されていない駐車場の地面に煉瓦が5,6個埋まっていたのと,駐車場の隅に煉瓦の固着塊が1個あった程度で,明確に「ここが工場跡」というだけの物証に乏しかった.上記煉瓦に刻印も見られず.ハンマーと鏨を持ってきていたので固着塊を割ってみても良かったのだがその前にある家のワンコがキャンキャン喧しかったので止めておく.そもそも駐車場転石にそんなことをすることはできない.

諦めて帰ろうとし,県道を渡って西へ行ったところ,行き掛けに通った魚橋集会所の前に出た.そこから南のほうを見て,古い感じのする街並みがその方向に広がっているのを発見,誘われるようにして入っていった.路地裏でK6刻印を発見し,さらに迷いつつ南へ行くと,住宅地の端にある畑のそばに出た.その畑に面している家の庭に「イ」刻印の焼損煉瓦が敷き詰められているのも発見.おお!これは!と思ったが,しかし,探している工場は「ABC」を社章にしていた弘栄煉瓦工場だ.明らかに違う.しかし焼損煉瓦があるってことは……ううむ.

ふと視線をあげると畑のふちでおっちゃんが休んでいるのが目に入った.あの人に聞いてみよう,と話しかけてみると,たいへん気さくな方で,煉瓦工場があったという話もご存知であった.工場跡に到着する前,壁にこしかけて休んでいた別の広場がそうだという.

「すぐそこやからついてきな」といって案内して下さるおっちゃんの後を慌ててついていく.確かにさっき休んでいたところだ.整地され砂利敷になったその広場は奥でもう一つの空き地につながっている.その空き地の前がおっちゃんの家だったのだ.

画像の説明

そこでいろいろな話を伺った.おっちゃん家の前の広場にプレハブ小屋が建っているが,これが煉瓦会社のものだという.あれそんなに最近までやってたの?と訝しく思えたのだが,ちゃんと看板も残っていた.「中播煉瓦」とある.あれ? 弘栄煉瓦でなくて? 

どうやら末期は煉瓦類の販売業になっていたようだ.おっちゃんも,製造はしておらず,耐火煉瓦を主に売っていたというようなことを仰る(看板には赤レンガセメントレンガ耐火煉瓦など取り扱い品が記されている).弘栄煉瓦としては長続きせず,その後中播煉瓦の名前を使って煉瓦小売をしていたようだ.

おっちゃんは阪神大震災後に移ってきたそうで,町のことはよく知らなかったが,地元の方にいろいろ教わって知っているという.詳しいことは町の人に聞いたほうがいいかもな,という話をしているところへ,たまたま附近のお父さんが通りかかった.その方曰く「おっちゃんが住んでいる区画一帯が煉瓦工場やったんや」.おっちゃん家は,さきほど見た広場の南側にある新興住宅地の南の端だ.やはり場所はここで良かったのだ.

画像の説明おっちゃん家には,中播煉瓦の人から安くで譲ってもらったという煉瓦が山積みになっていた.その中には品川白煉瓦のほかにこんなものも.どっかで見たことがあるはずなのだが思い出せない.「煉瓦にはこういう刻印が押されてあって,作った会社がわかるんですよー」みたいな話をしたら,おっちゃんはこれを譲ってくださった.(帰って確認したら尼崎の旭硝子のだった.旭硝子の前身は朝日窯業で日ノ出刻印を使用していた会社だ).

その後,家のお母さんも参戦?して賑やかなことに・・・.近くに煉瓦の煙突が残っているとか,生石神社のこととか,様々なことを教わった.

帰りはおっちゃんの薦めで宝殿駅から乗ることになる.お母さんが地図を書いてくださり,それをもとに歩き出したが,すぐにおっちゃんがやってきて「そこまで送ってやる」と.何とも親切な方であった.煉瓦煙突の場所や生石神社,その裏の展望公園にも連れて行って下さった.ザックに煉瓦が2個半入っていて重いんですとは言い出せず,むしろ親切が身にしみて有り難かった.

おっちゃんとは生石神社の先で別れた.駅へ向かう一本道を歩きながら「イ」刻印のペーブメントを撮り損ねていることを思い出した.まあ,いいか.民家の庭だったしな.

そうして「ABC」刻印も見つからないままだった...そもそも「ABC」を刻印として使っていたという保証はないのだけど.要再調査かも知れぬ.特におっちゃんが座っていた畑の辺り.

画像の説明駅へ向かう一本道を歩いている最中に「三本線刻印」の煉瓦を発見してしまった.しかも結構な数.後日中筋村に行った時も(1つだけだが)三本線刻印を発見することになる.この刻印も印南郡周辺が発祥地である可能性が出てきたわけで,ますます印南郡の煉瓦工場の全容解明が必要だと感じた.

追記:おもしろいことを発見.昭和22年『全国工場通覧』には伊藤窯業株式会社南池工場があり住所が印南郡阿弥陀村魚橋956になっている.魚橋に伊藤窯業があった時期が確かにあったのだ.なので「イ」刻印がここにあってもおかしくないのである(関野煉瓦の南池工場(素地)を引き継いだものか?だと焼損煉瓦があるのは変な話だが).昭和24年版では消滅.

[KINIAS] テキスト起し

春の講演をファーストスキャン.ここからまとめるんが大変そうなキガス.


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