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2013-07-04 [長年日記]

[煉瓦][近代デジタルライブラリー] 戦後

近デジにS22版とS24版が含まれているのを発見し,まあそんなに大きな発見はないだろう泉南市年報でもチェックしてはるのだしと思ってへろへろ見ていたらそんなことはなかった.やはり戦後もきっちりチェックしないとだめだ.

  • 日本煉瓦はS22版まで載っている
  • 関野煉瓦は戦前で消滅,阿弥陀村南池の工場は伊藤窯業が,曽根のは播州煉瓦合同が使用?
  • 弘栄煉瓦が西神吉村岸に分工場(播州煉瓦合同の岸工場もある)
  • 昭和16年以降に成立した会社もいくつか.堺窯業とか.

[独言] ほっほー

http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?&topLat=34.783435460314&bottomLat=34.775936324399&leftLon=134.76543748797&rightLon=134.77566206873¢erLat=34.779685977564¢erLon=134.77054977835&zoomLevel=17&selectedYearEraFrom=1111&selectedYearEraTo=9999&selectedEndScale=99999999&selectedStartScale=0&dataTypeArrStr=4_2_3_1_5&colorTypeArrStr=2_1&dataTypeId=0

大正煉瓦曽根工場のホフマン窯は昭和50年頃まで残ってたらしい.

http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckk-74-11/c6/ckk-74-11_c6_46.jpg

そうして乗り遅れたので新システムの件には触れない.

[煉瓦刻印] 三石耐火煉瓦「ニドヤキ」耐火煉瓦

三石耐火煉瓦「ニドヤキ」煉瓦刻印

いまさらこんなカテ作って、はいはい煉瓦刻印煉瓦刻印。

「ニドヤキ」って二度焼きのことだろうか? と思いつつ撮影.検索すると三石耐火煉瓦のこのページがヒットした.鋳造用耐火れんがのグレードの一つだそうだ.確かに蝋石っぽい白い耐火煉瓦だった.

[煉瓦刻印] 大阪窯業耐火煉瓦株式会社耐火煉瓦

大阪窯業耐火煉瓦「OYT」

昭和11年に耐火物部門を独立させた,大阪窯業の子会社.現ヨータイの直接の先祖.SK番号の入ったやつは「OYK」だったが,あれは「耐火」を省略した結果なのだろうな.SK番号の入っていないこちらのほうが古いように思われる。そうすると大阪窯業時代に作っていた耐火煉瓦には何て書かれてあったのだろう.そうじゃないかも.戦後の『工場通覧』には大阪窯業耐火煉瓦株式会社はなく大阪窯業株式会社貝塚工場が耐火煉瓦を作り続けていた.なので「OYT」=大阪窯業耐火煉瓦株式会社,「OYK」は大阪窯業株式会社貝塚工場が作ったやつということだと思う.

大阪窯業耐火煉瓦「OYK」

ああ,これだこれだ.これは貝塚工場の近くで撮影したもの.「OYK」でゼーゲルグレード32が表記されてる。

耐火煉瓦の社名表記ってなんで3文字なんだろうか...わかりにくいったらありゃしない(が、大阪の煉瓦会社が幾何学模様を社章にしたのと同じような「倣え右」が見えて面白くも思う)。戦前は特にそのような拘りはなかったらしいので、いつ頃からそうなったのか考えると面白いかも。

[煉瓦刻印] 伊藤窯業株式会社耐火煉瓦

伊藤窯業耐火煉瓦「ITO」

のはず.大正煉瓦曽根工場跡地にて.伊藤窯業はここから直線距離で200mも離れていないところにあった.昭和22年『全国工場通覧』にも製造種に耐火煉瓦が含まれてる.何で三文字(ry

[煉瓦刻印] 三石耐火煉瓦耐火煉瓦

MITSUISHI耐火煉瓦刻印

同じ場所で.「MITSUISHI」とだけ刻印された耐火煉瓦.赤い色をしているが赤色の耐火性粘土というものも存在したのだそうだ(『日本窯業史』耐火煉瓦編).その土を何て言ったんだっけか。俗に「赤」といった.純白のものに比べれば若干劣るが充分耐火煉瓦の素材たり得た.なお蝋石は粘土に包まれた状態で産出し,その粘土の色によって蝋石の色も変わるらしい.p.71

三石の耐火煉瓦の刻印には様々なバリエーションがある.三石に限ったことじゃないかも知れないが,缶コーヒーが毎年のように新作が出るような感じで新製品をじゃんじゃん開発したんだろうなあと思う>耐火煉瓦業界.それゆえ耐火煉瓦を建造物の製造年推定に使うのは難しい.メーカーできっちり記録を残してくれていれば別だが,そんな僥倖は多分ないだろう.

追記:『旧大阪府庁舎跡』発掘調査書ではMituisihiと三石耐火を直結していない.他にも「三石」を冠した耐火煉瓦会社はあったから.慎重だなー.

[煉瓦刻印] 三和煉瓦耐火煉瓦

三和煉瓦耐火煉瓦刻印

泉南市鳴滝の三和煉瓦跡地にて.Sanwa Taikaの略か,会社名が三和耐火煉瓦になっていたか,どっちだっけ.「STR」もあったのだから三和耐火煉瓦なのかもしれず.

三和煉瓦耐火煉瓦刻印

その「STR」.泉南市年報によると乾式製造もやってたみたいで,そういうのはバリが残るから区別できるのだそうだ.これと上のはバリがないし,ずいぶん歪んでいるので,手成形なのかも.

画像の説明

井桁で囲まれたバージョン.伊丹市大鹿にて.これにはバリがある。別の会社だったりする可能性もなきにしもあらず……佐藤耐火煉瓦とか佐野耐火煉瓦とかありそうだものな.

耐火煉瓦は赤煉瓦よりも遠くに運ばれやすかった。同じ工業製品でありマスプロダクツであるはずなのに、赤煉瓦は局地的に流通する傾向があり、耐火煉瓦はそれよりも広範囲に運ばれたという印象がある。工場数でいえば赤煉瓦<耐火煉瓦で、結構万遍なくあちこちにあったようなんだけどな。ちょっと不思議だ。

品川白煉瓦の大阪支社は月ヶ瀬だったか伊賀だったかの白土を使って製造するために作られた。難波に。現地ではないのな。耐火煉瓦は工場で使うものだったから、工場が集中していて需用があるような場所で作ったほうが輸送費が節約できたのだろう。

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]
_ kousen (2013-07-04 19:35)

いつも情報頂いているのですが、内容が凄すぎてなかなか書き込みができませんでしたm(__)m三和煉瓦跡地に関しては多分、煉瓦塔の跡と思われる所に瓦礫煉瓦があるのご存じですか?もしご存じもしくは既に行かれていたなら申し訳ありません。

_ TUKA (2013-07-04 19:41)

ndyk

_ nagajis (2013-07-04 20:17)

わざわざお越しくださってありがとうございます>kousenさん.ここは自分に宛てたメモ書きのつもりで書いていますから,わかりやすい説明がなくてゴメンナサイです.三和煉瓦の跡地は今年の5月に行ってみましたが,工場跡地とおもわれるところはすっかり更地になってしまっておりました・・・一歩遅かったという感じです.<br><br>ndyk=Nagajis Dakara Yokei Konran? 

_ kousen (2013-07-28 21:24)

今日、通りがかったので行って来ました。三和煉瓦の耐火煉瓦はS.TとSTRのみで赤煉瓦には刻印は打たなかったようです。おっしゃる通り工場跡は更地になってました^^;もう一つ○にS.Tのバージョンがあるようです。納品先は和歌山の住金、東洋クロス、大阪市内のビルの耐火性が必要な部分等らしいです。

_ nagajis (2013-07-28 22:35)

情報ありがとうございます! 赤煉瓦に打たなかったということは、近辺で見られる三重丸+バッテンの刻印はよその会社のものということですね。納入先がわかっているということは会社から直接納入したということでしょうか。それも興味深いお話です。卸か小売業者を通して販売してたとばかり思っていました。


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