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旧道倶樂部録"

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2013-07-05 [長年日記]

[独言] 川内村の方から

川内村の方から村内の林鉄遺構を活用して何かできないだろうかというご相談を受けている.まだアイデアの卵という段階であるようだし,今後それが雛に孵るかどうかもわからないのだが,お手伝いできることがあってもなくてもご協力いたしたく思っている.

その返事をしなきゃいけないのだが.編集部にメールを回すのが遅れて,ちと滞っている.正式なご返事はもうちょっと待ってくださいませ.

個人的には一番近いTUKAさんに窓口になってもらってはどうかと思っている.自分がノコノコ出かけていくわけにもいかないだろうし(お金ないし).ORJとしてじゃないほうが自由度高くなるんじゃないかな.

えっと,北海道のフットパスとしての活用事例・・・丸瀬布だったっけ? 魚梁瀬についてはなんといってもI先生が適任.

[煉瓦] 旧大阪府庁発掘調査報告書

が出ていることを発見.拝見すると「阪府授産所」以外にも興味深い刻印がいくつも見つかっているらしかった.さすがは本式の調査報告書,微に入り細に入った記述で圧倒させられ勉強になった.今なら1部1000えんで購入できるそうだよ.

しかし・・・煉瓦の表裏ってまだコンセンサス取れてないのね.報告書では凹みがあるほうを上面(β面),平滑なほうを下面(α面)としている.表裏の違いは諸井恒平の煉瓦要説でちゃんと説明されてるんだけどなあ.やっぱり凹み筋が気になってはるんかなあ.

[煉瓦工場] 和田煉瓦工場(印南郡伊保村中筋893)

中筋の南の方にある旧市街地をうろうろしていて「ワ」の刻印煉瓦を発見し,これが和田煉瓦に違いないとFさんと喜んでいたら,その煉瓦があった家の方がちょうど帰ってこられて「何しよんか?」的に怪しまれた.すぐさまRDF(Reality Destortion Field・現実歪曲空間)を発生させ、煉瓦工場の話を切り出す.「この『ワ』っていうの,和田煉瓦っていう煉瓦工場のコトじゃないかと思いまして…….いま煉瓦工場の歴史を調べてるんですよ,ご存知ではないですか」とか何とか.

RDFに引きずり込まれた可哀想なお父さんは親切にもいろいろなことを教えて下さった.この北にあるマンションが立ち並んでいる一帯が工場だったこと.昔は採土のトロッコがあって,戦後にそこでトロ押しもしたことがあること.そういう話,とてもありがたいです! といってますますRDFに取り込もうとするnagajjis。

家の前にある煉瓦壁に案内していただいたりもしつつ(ここにも「ワ」刻印があった.先日UPした釘で形作ったやつだ.それが左右逆になったタイプもあった),しばし話し込んだ.和田煉瓦は個人工場であったという話,阿弥陀にも大きな工場があって,そこが土を使ったせいで阿弥陀一帯が低くなったという話(昔は阿弥陀のほうが一段高くなっていたそうだ.今じゃJR線の両側は等しい高さになっている。まるで平一面の水田地帯に築堤を築いて通したかのよう)。こういう話をして下さる方に出会いたくて歩き回っているようなものなのだが、会えるかどうかは運次第である。

画像の説明

満を持してそのマンションへ行ってみた.日成マンションといって,古刹・時光寺の東隣に3棟並んでいる.やつだそうだと言われなければ立ち寄る機会もないような住団地である

画像の説明

しかし,一歩敷地に入ればあちこちに煉瓦工場の香残り香漂っている.古煉瓦が大量に再利用されていて,大正煉瓦阿弥陀工場の跡地がマンションになり古煉瓦が使われていた のと全く同じ状況だ。そうして当時の構造物と思われるものまで残っていた.敷地の南端に再構築ではない煉瓦壁が残っている.

画像の説明マンション前の舗道も古煉瓦.ここに見える煉瓦のすべてに…大正煉瓦の刻印が入っている.壮観だ.

しかし待てよ.ここ,和田煉瓦だったよね?

不思議なことに,マンション敷地の古煉瓦には和田煉瓦の刻印は見られなかった.さっきの壁も無刻印だった.やはり工場の建物には自社煉瓦を使うことがなかったのだろう.和田煉瓦は昭和2年7月創業,大正煉瓦は大正6年なので,大正煉瓦から買ってきた煉瓦で工場を作り,「ワ」刻印の煉瓦を焼いたという流れは矛盾しない.

敷地内になかったかわり,アパートに隣接する空き地に「ワ」刻印のある焼損煉瓦が転がっていた.若干恣意的かもしれないが,これが和田煉瓦工場であることの証拠といってよいのではないだろーか.またこの場所には三本線刻印の煉瓦もあった。以前見たものとはサイズが異なるが、細い線3本の配置の感覚はまるで変わらない。

画像の説明おまけ.中筋の旧市街のなかに小さなお社があり,その玉垣に「原田煉瓦工場」の名前があることをFさんが発見した.原田煉瓦工場は阿弥陀村魚橋にあった工場で,T6創業,S4頃まで操業し,のちに弘栄煉瓦になった会社だ.玉垣には昭和2年建之とあり,『工場通覧』からわかる存続期間にちゃんと収まっている.ちょっとばかし面白かった.しかし工場はここから1kmも離れた場所だ.どういう経緯でこの玉垣を寄進したんだろ?

[煉瓦刻印] 大正煉瓦株式会社刻印

大正煉瓦刻印

和田煉瓦工場跡マンションの敷石.シンプルに「大」.この「大」にはいくつかバリエーションがあって,やや意匠化したものや幅3cmくらいの太楷書体などがある.阿弥陀ではテトリスブロックのような「T」という刻印も見かけた(幅約1.5cm)が撮り損ねた…….これはTaishou RengaのTだと思うんだが。

[煉瓦刻印] K5刻印

K5煉瓦刻印

中筋の旧市街で.路傍の花壇?家境界?に使われていた.「K3」というのはKousenさんが天下茶屋で見つけておられる.自分も十三の西のほうで「K9」を見たことがあった.そんなわけで,大阪にあった頭文字Kの煉瓦会社が使ってた刻印だとばかり思っていたのだが…….印南郡のあちこちで「Kn」シリーズの刻印を目撃したのだった.他にもK4,K6,K7があったはず.n=1,2,8が見つかればコンプリートだ.

候補としては弘栄煉瓦(Koei Renga)が挙げられるが確証がない.弘栄煉瓦は戦後に少し隆拡して西神吉村岸に分工場を設けたりしているから,識別符牒を1から9まで使うほどには大きかっただろうとは思う.社章は「ABC」だったはずなんだけどね.それから重要なこととして,この煉瓦の隣に「ワ」刻印煉瓦が並んでいたのは見逃せない.和田煉瓦があった頃に「Kn」を使っていた会社があったということだ.

[煉瓦工場] 阪府授産所→藤田伝三郎工場@難波新地六番町

画像の説明

古い地図と自分の理解が間違っていなければ,いまなんばパークスになっている一角が阪府授産所があった場所で,後に藤田伝三郎に払い下げられ,明治12年頃?まで煉瓦を焼いていたところだ.道路の手前,高架になっている場所が高津入堀川と難波新川の合流点.都計時代に浪華橋 (突桁式鋼鈑桁・いわゆる堀式桁橋)が架けられた場所でもある.

明治10年台の終わりに阪堺鉄道ができ湊町駅になった.今じゃ繁華街のまっただ中で「湊」のイメージは全くないが,かつては河川交通の要衝であり「湊」を名乗る蓋然性が確かにあった.

[煉瓦][煉瓦工場] クエスト遂行のためのメモ

「どんな刻印使ってましたか?」と聞いてもわかんないだろうと思う。「ここで焼いた煉瓦、どっかに残ってないもんですかねぇ」みたいな話をきっかけに煉瓦を探し、そこに刻印がないか調べたほうがよさげだ。見つからなくても「刻印があって云々」と話を膨らませられるし、見つかったらなおさらだ。

昭和40年代までやってた煉瓦工場なら、そこで働いていた人が近くに住んではるかも知れない。もし見つかったら手成形で煉瓦を作る手順を詳細に聞き出しておきたい。でないと凹み筋の謎が解明できず、用語論争で無駄な時間を費やすことになる。煉瓦造りは女性もやったので妙齢のご婦人も聞き取り対象にしたほうがよい。

もし凹筋が関西特有のものであるなら印南郡でも同じ手順で作っていたはずで、実際凹筋のある手成形煉瓦が多かった。&、裏表に刻印があるものとそうでないものがある。推定播州煉瓦合同、推定山陽窯業は欠損があるけれども片側の模様(これは山陽窯業→山本工場→播州煉瓦合同中筋工場と作法が伝承された結果かも知れず。自分で書いといて「なある」と思った今)。


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