nagajisの日不定記。
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長くなったので未来にトバす。弘栄煉瓦が岸に進出するのは播煉よりも遅く、昭和16年頃のことらしい。そうして39年頃まで操業した。従業員Gということなので49人以下の小規模工場だったのだろう。
該当番地の辺りはすっかり住宅地に生まれ変わっている。そのど真ん中の1ブロック、もし今ここに煉瓦工場があったら煙害で大問題になっているだろうという場所だ。それゆえ痕跡は全く見られず、煉瓦すらも落ちていなかったが、ブロックの東橋に写真のような空き地が残っていた。現所有者は不明だが「立ち入り禁止」「ここで遊ぶな」という手書き看板がこれでもかと建っていた。工場の番地が判明してもモノが残っているとは限らない。そういう当たり前のことを確認した。
とは言い条、住宅街の端にある大歳神社の片隅で煉瓦を目撃した。1つは明らかな焼損煉瓦。無刻印。もう1グループは機械成形のJIS煉瓦で、但しずいぶん歪んでしまっている。これも焼損の類かも知れぬ。
この神社の東側に古い長屋が残っている。奥までは立ち入らなかったが、入口の路地の脇に写真の刻印煉瓦が落ちていた。機械成形の肌に「K」を打刻したものだ。刻印というよりも釘か何かで作ったような素朴さがある。機械成形の煉瓦なのに。
あやうく忘れるところだった。同じものを四郷町明田でも見つけている。これが弘栄煉瓦の刻印なのだろうか? それとも「Kn」シリーズの流れを汲むもの---共同販売刻印の名残りなのか?Kn=弘栄で、その名残り? なのだろうか。これがあるせいで仮説が仮説の域を脱せない。
昭和3年から操業開始したバンレン岸工場。これは国土地理院で公開している国土基本図@S30年代に記載されているので間違いない。ただしその発行からも約半世紀が経過し、住宅街が立ち並んだり姫路バイパスが開通したりしたことで、辺りはすっかり様変わりしている。工場跡地もローレルコート加古川という最新式の?マンションになっていて、見るべきところすら見つからなかった。周囲の住宅も新しいものばかり……。
もっと心に余裕があったら、大字神爪だとか山陽本線の南側だとかを歩き回っていただろうが。。。ぱんつはいてないと気合が入らぬ。気になってならぬ。早々と諦めて宝殿駅へ向かった。
以前この駅から乗った時には鉄道南側で三本線刻印を見かけている。集中的に。ここに工場があったという記録はないが、何かヒントになることが見つかるかも知れぬ。次回の課題だ。
播州合同煉瓦岸工場では操業末期に道路用コンクリート製品(排水渠や排水桝等)を作っていた。やがてそれが本業となり今日のバンレン(株)になっている。
今日の成果はまた日を改めて。曽根天満宮の石垣のことだけ書いとこ。
高砂市曽根にある天満宮はかなり有名な社だそうだが、そのことよりも石垣が面白かった。境内西側を限っている石垣が見事。合場の合わせが寸分の狂いもないのはもちろん、毛抜き合場四ツ目になりそうな場面を巧みに交わして崩してある。相当な上手の作である。
などと思いつつ見ていくと、こんな遊び積みも。よっぽどの名人でなければこんなことする余裕はない!
参道を挟んで北側にも石垣が続いているが、こちらはちょっと見栄えが劣る。合端の隙間が目立つし、水平が崩せてないっぽいし、写真の場所には重箱気味な積みも一箇所ある。(とかなんとか評しているが自分がこんなにうまく積めるとは思っていない。さっきのが上手すぎるのだ)
そうはいうが、この区画にも遊び積みがあった。恐らく杯なのだろう。赤っぽい石を選んで作ってあるところにセンスを感じる。先の瓢箪(酒瓢箪)と対になるようこの形を選んだのだろう。師匠と弟子の作品、といったところか。