nagajisの日不定記。
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近遺調2次調査として吉野・樫尾発電所を見学。報告書はすでに書き上げていたのだが、それをチェックして下さった関電さんが見学許可をくれたのだ。関電さんにも、わざわざ私の空き時間にそれを設定して下さった教育委員会さんにも感謝しなければならない。
見学はIさんとともに。行き掛けに、以前から懸案になっていた葛城山麓のマンボを探してきた。ひとしきり歩きまわって見つけられなかったので、西北窪在所で訪ねてみて、3人渡り歩いてようやくマンボを現役活用しているというお宅に到達した。しかも偶然その家の方がおられ、詳しい話を聞くことができた。
以前はあちこちにあったが、耕地整理や吉野川分水の開通、市営水道の開通、あるいは個人宅に竪井戸が普及したことで、マンボを使っている家はほとんどなくなったそうだ(3人伺ったうちの2方は見たことがないと仰っていた。どちらも70overのご婦人だ。にもかかわらず見たことがない、あるいは話でしか聞いたことがないというほど少なくなっている)。
このお宅の水田は耕地整理がされていないのでマンボが生きている。&、住宅の飲用水として使っていたものもあり、今でも台風の時などはかなり水が出るそうだ。この辺りの水道はポンプで汲み上げている(圧送している)ので、仮に停電したりすると水道さえ使えなくなる。そんな時マンボの水があるのはとても心強いと仰っていた。
見せていただいたマンボ。論文から想像していたような、あるいは大野山麓長谷の棚田のガマから想像していたような開口部はない。棚田の法面を構成している石垣の一部分でしかなく、それと教えていただかないと見分けがつかなかっただろう。しかしこの石積みの隙間からしずしずと水が湧いていて、手を浸ければほの温かい、いかにもこの時期の湧き水といった手触りの清水だった。
この石積みの裏に「ドビ(土樋?)」が埋め込んであるという。ドビが具体的にどのようなものかよくわからなかったのだが、継ぎ継ぎして、とか、差し込んで、とかいう表現をされていたから、陶管のようなものと想像される。そしてその奥にマンボが掘ってあるらしい(掘った時の話も聞かせていただいた。昭和39年に80歳で亡くなったというおばあさんの兄弟が掘ったと)。そうしてこのようなマンボが所有のほぼすべての田にあって、合わせて2反の田畑を潤している。2反=2000平方メートル。
宅で利用しているマンボも見せていただけた。そのマンボは普段は枯れている。同じような石垣なのだが、こちらには特別大きな石をはめこんであったのでわかりやすかった。
おまけ。闇雲に歩き回っていた時に見つけた小学校。伏見西尋常小学校なのだそうだ。鬼瓦に「小学」「伏見小学校」と彫られている。隣の家の方が買い取って牛舎に転用し、今は倉庫として利用中。昭和30年代の終わり頃に廃校となったそうだが、いつ作られたものかはわからなかった。
奈良県にはこんな旧小学校があちこちに残っている。純和風な作りのせいでそれと見抜きにくい。
肝心の吉野・樫尾は写真がない。詳細はNDA。