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2014-01-28 [長年日記]

[煉瓦工場][煉瓦刻印] ★刻印の出処を突き止めた(か?)

★煉瓦刻印

大阪府下、特に淀川以南で比較的頻繁に発見されるこの刻印。何処の煉瓦工場のものかわからなかったのだが、本日の探索行で有力な物的証拠に出会った。昭和3年に 泉北郡八田荘村大字堀上町156に興った 堺煉瓦製造所 (!=堺煉瓦株式会社)である可能性が高い。

画像の説明

現在は堺市中区になっている堀上町の156番地付近でこのような壁を見つけた。丹治煉瓦工場の壁によく似た見事な透かし積み+三種類の異形煉瓦を使った芸術的な煉瓦ワークに仰天した。三種類というのは、いわゆるへっつい角に使う丸角のものと、半円形のものと、普通煉瓦の長手が1.5倍になったもの。最後の一つは丸窓の桟に使われている。 そうしてここに使われている煉瓦がすべて

★煉瓦刻印

★刻印なのだった。

画像の説明 堀上町にはもう一つ煉瓦胸壁の小屋があって、ここにも★が使われている(裏には焼損煉瓦を使った壁も)。地蔵尊の祠の脇に積まれていた古レンガも★だった。これだけ集中的に使われている地域は初めてで、なおかつ工場の番地にそれがあるというのだから、かなり確率が高いだろうと思う。

★が堺煉瓦製造所だとするといろいろ説明がつく。大阪府の中部〜南部にかけてこの刻印煉瓦が分布していること、比較的分布数が多いこと(=後年まで製造してたから)、五本線と五稜星の近似していることとか。ただしこの会社は昭和3年創業なので、和泉市の舊府神社壁に堺煉瓦・日本煉瓦と共使いされていることが説明できない。明治29〜昭和21の日本煉瓦はともかく、大正9年頃廃業した堺煉瓦と一緒に使われるわけがない。

次点として八田寺村にあった塔本煉瓦商会の可能性が考えられる。もとは素地専業でM36年頃 鳳村大字大鳥に 創業、後に八田荘村に移って製造もしていた(大正5年)。大正10年には東洋煉瓦が買収している。塔本煉瓦商会所在地は八田荘村大字八田寺で、堀上町の西隣。T10時点で月産50万個(過去記事山椒)。

堺煉瓦製造所の規模はbctableで書き忘れている。S3−14まで存在し、その後似たような番地(165)に日本マグネシア煉瓦会社ができている。いま堺市堀上町には165番地が存在しない。堺温心会病院の斜向かいが164番地。

壁・倉庫はどちらも個人宅。前者は留守、後者は在宅だったが無関係とのこと。話を聞こうとすればするほどうっとうしがられて体よくあしらわれた。

堀上町のほか、深井駅東側の深井東町でも★が優勢。八田寺町は歩けていない。

[煉瓦刻印] S刻印@堺市堀上町

S煉瓦刻印

それに、堀上町でこんな煉瓦を見かけた。「S」とだけある。S=堺と見れなくもなく、そうなら★=塔本説を後押しするだろう。ただし採取できたのはこの1つだけであった。堀上町では他に焼損煉瓦っぽい紫がかった 機械整形煉瓦を複数個発見したが、この一団にも★は混じっていたのだった。

[煉瓦刻印] FYK耐火煉瓦@深井沢町住宅

FYK耐火煉瓦刻印

たまたま通りがかった深井沢町住宅は煉瓦の特異点になってた。理由ははっきりしないのだが、なぜか古煉瓦が多数花壇に使われていた。耐火煉瓦が多く、写真のFYKのほかにもATR、TAR、KATO、FUJIなど散見された。それに加えていびつな機械整形の赤煉瓦(JISサイズ)が多数。そんな中に

[煉瓦刻印] 大正煉瓦 on 機械整形@深井沢町住宅

大正煉瓦刻印

大正煉瓦の「大」刻印on機械整形が1個と、

[煉瓦刻印] 岸和田煉瓦「|×|」on 機械整形@深井沢町住宅

岸和田煉瓦「|×|」煉瓦刻印

キシレンが1個混じっていたのも謎……。

[煉瓦刻印] YMT刻印@深井駅花壇

YMT耐火煉瓦刻印

深井駅東側の花壇で。隣に大阪窯業のOYK。


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