nagajisの日不定記。
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503祭が片付かなかったので一部未完成のまま発行したぞ。祭りが収まったらwww.the-orj.orgから普通にDLできるはず。リーボ以外は。
15日発行縛りははるか昔に誰かさんのせいでできなかった時点で有名無実化してるからなー。はっはー。
せめてspamで連絡しとこうと思ったのだが、あれもブラウザからなのよな。そのうえcoreじゃ動かねえ。DLとログインとスパム、coreで動かせるよう修正しておこう。面倒くさい人は放置で。
今回の台風で桟橋が破損したため渡航不可能になったそうだ。観光協会にとっては災難でお見舞い申し上げるが、対策を考える時間的余裕ができたと前向きに考えてはいかが。
まったく、あれを最初にアニメと結びつけたのはどこのどいつのどんな脳味噌だろうね。嘘を被せて都合よく解釈する愚はいいかげんやめてみ。んでそういう食いつきやすいキーワードはマスコミも喜んで使うから正フィードバックがかかりやる。一部はルールを守ったってそれ以外が8割9割じゃどうしようもなかろうもん。そういや今日のNHKラジオ第一でその系のニュースが流れていたが9割の耳には届くこともないだろうし、そもそも元凶がどこにあるか理解してるのかしらんという感じだった。どの口が言うか、っていう。
但馬竹田の竹田城阯も同様に哀れ。入山制限するというニュースが数日前から流れていたのに当日400人が追い返されたそうだ。「もっと告知を徹底してほしい」なんてよく言えるな。全国紙すべてに告知広告でも出せってか。TVのゴールデンタイムにCMしろってか。全国全てのJR駅に竹田城阯入山制限しますってポスター貼りますか。それでも「見てなかった」言うだろうな。
↑蔵書点検日に図書館に行きがちなnagajisがそう言った。
首の凝りが取れず鼻奥のカラカラもママのまま今に至る。葛根湯を幾らも飲んだが抜本的な解決にはならなかった。はてどうしたものか。 栄養のあるものーーー例えば吉野家の牛丼とかーーーでも食って寝るしかねえか。
そろそろレンジ回りの掃除をせねばならぬ。まずはそこからだ。あとはぶっつけ本番でいく。でないと時間がない。できんかったら2枚で提出するまでだ。
戦時中に計画されていた中部横断道路(の構成要素)。金沢からブナオ峠越えて県境越えて鳩ヶ谷まで。鳩ヶ谷からは越美西線までバスが通っていた。ブナオ峠は富山大学サイクリング部のTTコースかトレランコースでなかったっけか。あのへんも一度行ってみたかったな。
「金鵄」などという大層な名前がついているから大きな企画物かと思ったがそうではなかった。要するに金沢と鳩ヶ谷を結ぶから金鵄なのだ。語呂と語感だけでものにしたような報文だ。
全ページpsdで作ったのでこれだけで29MBにもなったのは遺憾である。加えてページごとのファイルで作ったせいで、繋ぎ合わせて初めて貫く芯がないことに気付いた。前に書いたのを蒸し返して書いていたりナニしたり(前半なしでも意味が通じるようにという狙いも若干はあったけれどもな)。.qxpとか.inddのように全ページを見通せるフォーマットで作るべきだったな。最初に書いたテキストは作りながら加筆訂正全書き直ししたので上記問題点を解決してくれるものではない。
山場をもっと強調すべきだった。絵面が全然変わらないため起伏なしで終わってしまう。それにくどい独白がついているものだから、そのくどさが余計に目立って仕方ない。そうなるだろうとは思っていたがじゃあどうするかが思いつかなくて結局そのままになった。ポップアップでなしに地図ベタ張りで入れるべきだったのかも知れないな。それで万事解決とも思えないけれども。イメージとしては白背景文字のみページくらいの切り替わりが必要だったはずだ。
梅田駅拡幅を詳しく書かなかったのはそれでいいんじゃないかと思う。どうせ知らないことなんだし、実際を体験している人もあるだろうし、脇道を長くすると迷子になる。
「梅田ダンジョン」の揶揄のことはもうちょっと触れるべきだったと今更気づいた。冒頭導入で触れておくべきだ。阪急百貨店、阪神百貨店の位置づけも。
大阪北部限定のことかも知れないが、阪急百貨店は中高年の間で非常に高く格付けされている。それ以外と阪急とではスーパー玉出と成城石井くらいの格差がある。阪急のお中元・お歳暮というと非常に喜ばれるし、お世話になった方へ商品券をプレゼントするような時でも、 寸分も変わらないものがダイエーやイトーヨーカドーのサービスコーナーで買えるにもかかわらず阪急百貨店へ行って買うと聞いたことがある。阪急の包装紙で包んでもらうためだ。大阪ぐらしが長くなった自分でもそういう感覚は持ち合わせていない。
古書の箱に埋もれているのを発掘した。明治後期〜昭和にかけて陸軍軍人として高い位にあった柴五郎という人物が書き残した半生記(を編者が本にまとめたもの)。明治維新の際に会津藩が嘗めた辛酸のほどがよくわかる、そして幕末〜明治に生きた人間の強さを知ることのできる書。遺書とあるのは五郎老齢の汀になって書き留めたものであるからで、菩提寺に納めて父母の供養とするつもりのものだった。それがあれこれの紆余曲折を経て世に出た。昭和46年のこと。
会津藩の武士の子だった柴五郎は、幼少の砌に戊辰戦争に巻き込まれ、一夜にして「ただの子」もしくはそれ以下の身になってしまう。捕虜として東京に護送されたり下北半島に入植して辛酸を嘗めたりした末、青森県庁雇(だったっけ)となったのを足がかりに立身出世してゆく。最終的に陸軍の幹部になるが、その行程に平易とか幸運とかは一切ない。与えられたのはきっかけだけで、それをものにしたのはすべて自分の力。何のために? すべては薩長の芋侍を見返してやるために。故郷で待つ父のために。戦争で自刃し果てた母親や姉妹のために。
誰しもひとかどの人物になりたいと思っているだろうけれども、実際になれるのは一握りの人間だけで、どれだけ信念があるか、義理を抱えているか、恩に感じているかによって、その一握の砂の粒になれるかどうかが決まる。昔の人には嫌でも背中を押してくれる存在があって大きかった。家とか身分とか所属する藩とか。そういうものに対する恩義?務めを果たさなければならぬという強迫観念的なもの?にドリブンされていたから明治人は強かった。いつかは薩長を見返してやるのだ、家を再興するのだという思いにすがって、極寒の掘っ立て小屋の中でただ黙々と縄をない、縄をない、口惜しさを噛み殺して生き延びた。犬を食ってでも生き延びた。そういう強さを誰もが持っていた時代だった。
今は人が強くなくても生きていける時代だ。なんとはなしに生きていても命を繋ぐことくらいはできる。守らねばならない家も名もない。地位ある人間は多少その座に拘泥するかも知れないが、例えば自分のようにそれすらもなければ「ただ生きている」ことに罪悪感も焦りも感じやしない。あるいは、さくっと落伍していずこへか消えてゆくだけだ。その屍すら省みられることもない。気楽なものである。
最低限しなければならないラインもずいぶん下がってきた。「家」を守る→「妻子」を守る→独り身ならば「自分の自尊心」だけで済む。それすら不要と言われるような昨今だ。何を拠り所にすればいいのやら。だから早いこと己の芯を見つけなければならないわけだ。
見つけられなかった人間は微温湯から抜け出せない。熱くもなく冷たくもなく刺激もない湯に浸り続けて、真っ白にふやけてしまうか、飛び出した途端に湯冷めするかという結果しか待ってない。
「守らなければならないもの」かあ。おれは(表向きは)身ひとつだけだものなあ。
JR東海道線磯野橋梁と言うか、あの名前も知らない煉瓦巻き無くなったのか。合掌。<br>今回の見出しで知った。だからと言ってORJ買わんけどw<br><br>この日の柴五郎遺書の話というか感想が面白かった。面白いと言っても耳に痛いどころか頭が痛くなる内容なんだが←<br>守らなければならないものがある。それはある意味、今の幸せの物差しなのかもな。<br>まぁ、それだって中身は人によりけりなんだろうけど。