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2014-10-28 [長年日記]

[独言] ねる

明日に備えて英気を養うべく寝る。寝るったら寝る。

なんとラーメンにチャーシューを8きれも入れてしまったのだ。贅沢なのだ。

結局読んでしまったじゃないか。

[] 『悪文(第3版)』(岩淵悦太郎編著・日本評論社刊)

いわゆる「美しい日本語のほん」である。自他ともに認める悪文書きなのでそーゆーのを読んで勉強したらどうかと思わないでもないのだが、読んだら読んだでショックで立ち直れないに違いなく、何より読んだ程度で治るわけがないという確信めいたものもあったから、意図的に避けてきた。なのにこの本を読んでしまったのは、古書棚にあるのをたまたま見つけたことと、まさかこのタイトルでそのような内容だろうとは思わなかったこととによる。要するに暇つぶしに手にとってみたらそんな内容だったということだ(悪文の見本)。

読書の効果の程はさておき、中々面白い内容だった。通常この手の本だったら「よい見本」を示して教えてくれるものだと思うのだけれども、そうじゃなく、タイトルの通りの悪文がこれでもかという位に列挙され、ここが悪い、そこが悪いとあげつらわれる。例えばこんな感じ。ある飲料の広告だそうである。

新発売!

舌でまさぐる宇治の香りに 平安の昔が偲ばれる味です 異国の方にはグラスの底からショウ七リキの音が聞えてくるそうです またお若い方にいわせると十二単重の胸元から 豊かにこぼれる現代女性のにほい そんな酔心地です。

確かにこれは気持ち悪い。飲み物の風味を味わうのに「舌でまさぐる」という表現はどうかと思うし、宇治=平安時代という等式を成立させようという誘導も苦しい。宇治茶を飲んでいちいち平安貴族気分に浸れる人がいるものか。ショウは笙、七リキは篳篥なんだろうと読み解いた苦労は異国の方限定で腰砕けるし、 十二単重はかろうじて「じゅうにひとえ」のことだとわかるけれども何だか単位重量のことを言っているみたいだし、そのくせ胸元から現代女性の薫が漂ってくるという時代錯誤で混乱が極まる。挙げ句の果てに「そんな酔心地です」と逃げられる。さっぱりわけのわらない比喩を並べておいて「そんなです」はないだろう。筆者も「普通の文章の常識をはずれている」と評している。

てな感じで文章を批評するのは簡単なことなのだ。揚げ足を取り、ペケポンをつけて突き放すことは素人にだってできる。この本のえらいところは悪い理由をちゃんと教えてくれるところだ。時には添削だってしてくれる。上記の場合はさすがにさじを投げた格好だったけれども、思いついたイメージや通りのよい言葉をつらつら並べただけの例としてあげているので、それがよくないことだということはわかるのだ。

そこなんだよね。難しいのは。自分が書いた文章を読んで、なんか気持ち悪いなと思えたとしても、ではどう直したらいいのかがすぐにはわからない。当たり障りなく書き直せば新聞記事か報道原稿か、ってな体裁になって、するする入ってするする抜けていく。一生懸命直してみるものの、何度もその一文を読んでいると頭の中に流れが出来上がってしまって、省略してはいけない部分が省略されていたり、論理が飛躍していたりすることに気が付かなくなってくる。気が付かないというよりも不感症になってくるといったほうが合っているかも知れない。そうして力尽きて「もうこれでいいや」となってしまうのだ。あ。なんかすごくぎこちないのは本の影響があるからです。そういう時はしばらく放っておいて、間をあけて読み直すことにしている。そのうち何とかなるだろうという魂胆。もしくはゼロから書き直すかだな。どうせ脳味噌は有限なんだし、捻ったところで100%逹意なものになる見込みはないのだし。

あと、自分がよく読む文章がこんな感じなものばかりで(戦前戦後の雑誌だとか本だとかが圧倒的に多いことに最近気づいた)、そこから真意を読み取るようなことばかりしてきたから、この手の悪文に寛容になっているというのも良くないのだと思う。美しい日本語とやらに拘泥して悪文を目の敵にしていると本当に得たい情報まで切って捨てることになる。悪文の中から書き手の主張なり気分なりを読み取れるようになったほうがなんぼか有益なんじゃなかろうかねえ(自己弁護)。

「文章は人に伝えるために書くものなのだから、わかりやすく、伝わりやすく書くべきである (とかなんとか) 」という言葉は耳が痛い。そんなことわかっておるのだ。書くだけだったらここだけで用は済ませてあるのだ。くそ。びっぐしっと。と反抗する気概が残っている辺り、そんなに影響されていない証拠だろう。良かった。それを一番心配していた。今後も大手を振って悪文を書こうぞ。


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