nagajisの日不定記。
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DL数がピークの10分の1くらいになってるのに503とはこれ如何に。
ブラウザ経由で作るページが軒並み作れなくて難儀中。ダウンロードページはcore.the-orj.orgで作れるようしてあったからよいものの、アンケートがちょっと簡単にはいかないため、(仮)で発行するという暴挙に出ることにした。その他Headlineとか何やらとか手動作成。こんなのは久しぶりだな。
core.the-orj.orgはwww.the-orj.orgと異なるアカウントで運営している(実はkyudou.orgのサブドメイン扱い)のでwww.the-orj.orgが落ちても使えるのだった。だからここにこの時間帯にノウノウとかけていたりするのである。
なのにデータは(禁則事項)というのが妙。これ、セキュリティホールなんじゃねぇ?と思いながらもう10年近くそのままにしている。ひどい話である。
久しぶりに東熊野街道Odysseyを読み返す機会があって、ああこの人何と戦ってるんだろうと思った。そんなに世界が憎いかい? 戦わなければ死ぬのかい? そんな印象。
まあ、確かに、当時は加速し続けてなければならなかった頃だからなあ。止まったら死ぬというチキンレースの真っ最中だ。その必死さがにじみ出てはいる。今の文章に比べたら格段に命を賭けている。それだけは褒めてやる。それだけな。
あっ、そんなこと書いたら、今は命を賭けてないっぽく読めるな。それは誤解だからな。
「ガンジーが助走をつけて殴るレベル」の言い換えコンテストってのをやってたらしい。金賞銀賞より銅賞のやつが素晴らしかった。
与謝野晶子が君死にたまへと言うレベル
確かにこれは文字面のインパクトがすごい。書くときにしか使えない。あっちゃんには悪いが時おり使わせてもらおう。
メールのやりとりをしてて改めてそう思った。何年も前からのことだから今更気づいてどうこうというものではないけれども、何でなんだろうねとは思う。
過去ばかり見ているせいだろうか? どんなに偉大な精神でも、巨大な構造物でも、やがて失われて無に帰する。そればかり見ているから、かかる前からあきらめているのかも知れぬ。人は時の前には無力なもので「何かを残す」なんて幻想なんじゃないかと思う。いくら悲壮な決意も関わりのない人には届かなくて世は玉消しゲームとかポケモンゲットに夢中なのだ。そういう世の中になってほしくてあれ作ったりこれ作ったり殺し合ったり生き延びたりしたわけでもあるまい。
そのへんを追求していくと「幸せってなんだろうね」っていう話になって水掛け論になりそうな塩梅だが、ようやく今、現状に幸せを感じられるようになっておるのだから、その話題には近寄らないほうがよい。要するに現状に不満を持っていない状態(!=満足している状態)が幸せなのであって、とするとそれ以上の進歩の必要がなく、結果として覇気がなくなるのだ。うん。そうに違いない。現状以上の状況を望めば途端に不幸になるのさ。