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2016-10-29 [長年日記]

[きたく] 不発続き

画像の説明

こんなに天気がいいというのに。友ヶ島汽船強風運休トラップにはまって渡れなかった。無人格に向かって呪いの言葉を吐いて去る。その後ちょっとだけ発見があったのでよしとする。

鳴門市史は偉大である。

[煉瓦][] 農商工広報(分析報文第1冊)号外「ホフマン氏楕円形赤色煉瓦窯の解説」(1887.4)

…窯室の肩辺に於て之と並行に省なる焔道を造り而て此焔道は全く外部との連通を閉絶し只内部に窯室と同数の戸を設け且天井にも窯室の天井にある四個一列の小孔と適応する所の穴を具う而て此孔を閉ずるの法は一に窯室に於けるものと異なることなく但、形の稍々大なるのみ斯くて此孔と四個一列の孔とは殊に木製の箱を以て相連絡するを得べしさて所謂熱を利用する方は先ず右焔道を一は冷却せしむる所の室と連絡し一は生煉瓦を充積して将に焚焼を始めんとするの室と通ぜしむ勿論此室は隔戸を以て其前後なる隣室と隔絶せしめ只焔道のみ開放し置くなり然るときは空気は現に冷却せしめんと欲する室より木製箱を経て小焔道に入り煙突の風力に誘導せられて右前後渾て隔戸にて閉じたる所の室に入り其道を通過して煙突に達す因て寒冷なる空気は温暖なる煉瓦を通過するが為めに其熱を受け直に之を生煉瓦に与えて水分を蒸発乾涸せしむるなり但小焔道の中途にある戸を閉づるの方は贅言を須たずして自ら明なるべし且此焔道と四個一列の孔とを連絡するに一列にて充分なるか或は二乃至三列を要するかの疑問に至ても実験の後容易に知ることを得べし

ていうけどさ、付図には小焔道の隔戸が書かれてないんですけど。。。窯各室の隔壁は濡らした新聞紙はっつけてこさえてたらしいが。やっぱり落とし戸か何かなんかなあ。

続いてこの焔道(小焔道)の必要な理由が書かれてある。生煉瓦を充分乾燥させることができない時、あるいは粉炭の燃焼によって多量の水分を生じ、これが生煉瓦(冷えてる)に接触してその水分が凝縮するようなことがあるような時は「緊要欠く可からざるものとす」、しかるに生煉瓦を充分乾燥させとけば水分凝縮の患いがない(そんなときは省いてもいいYO、とは書かれてない)。

水分が凝縮するとそこに燃生物とか灰とか付着して輝色不良ならしめる。要するに見栄えが悪くなる。赤色煉瓦じゃなくなる。大阪窯業とか岸和田煉瓦とかのよく焼けた赤色VS表面が暗褐色〜紫っぽくなってたりアバタ吹いてたりするようなやつの違いか。

実際の窯では「小焔道」を省いたものが多い。焼成室の中の空気がすでに、冷却中の室→燃えてる室→将に焚焼せんとする室→煙道という流れになっているので、わざわざバイパスさせてやる必要はないっちゃあない。けれども冷却のため取り除いた熱を乾燥に使えるんだったら熱の無駄遣いが少なくなる。盛んに燃している部屋の温度も下がらずに済む。印南郡の窯は頑張ってっも温度が足りんかったらしいからバイパスできたほうがよかったんだろう(小焔道がなかったから温度があがらない可能性が指摘されている;「赤煉瓦産地診断書」)。

燃焼室同士は濡れ新聞紙で蓋をした。燃焼場所が移動すれば自然に燃えて封鎖がなくなる。ただその新聞紙隔壁のせいでそのままじゃ乾燥させたい煉瓦のところまで届かない。だから小焔道経由で熱い空気を送り込んでやる必要があった。しかしその空気は煙道経由で排出することになっていた。農商工広報の通りであれば燃焼室の数室隣の乾燥させたい室の煙道だけを開放させ、そこへ向かって空気が流れていって余熱乾燥することになっていた。それじゃあ紙隔壁破れちまうじゃんかよ。てな感じでわからなくなる。燃焼させてる室の煙道、ならまだわからなくもないのだが。

大高の改良ホフマン窯は小焔道と煙道を連絡させ、各燃焼室ごとに設けられたそれに開閉可能なダンパーを設置、そいつを操作することで各室ごとに小焔道への吸気と排気、燃焼室からの排気(煙道経由)をコントロールすることができた。そうなると箱も小焔道の隔壁も必要なくなる。燃焼室を飛び越して冷却室の熱い空気を乾燥させたい室に送ることが容易にできる。たぶんその後その空気を窯の上に出して窯上に設置した「乾燥室」に導き乾燥を促進させてた(それを燃焼室にもってって余熱乾燥→焼成)はず。


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